アサダワタル 日常再編集のための発明ノートエコ×演奏×メディアアート×運転 新発明「ドラぐるま」とは!? |
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寒竹泉美の月めくり本如月本「アイ・ウェイウェイ主義」 |
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野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳親子の軽快な狂騒曲 ~旅人は夢を奏でる~ |
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真子 レシピでつながる世界の景色日曜のブランチ(チリ) |
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風戸紗帆 建築素人のデザイン体験記デザイン成果発表会を体験するの巻 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
フリー編集者・ディレクターとして出版やソーシャルメディア関連をはじめ、さまざまな話題性のあるプロジェクトを展開している、米田智彦さん。彼に、「デジタルデトックス」をテーマにした新刊や「ノマド・トーキョー」などこれまでのプロジェクトについてうかがった。
-------新刊『デジタルデトックスのすすめ 「つながり疲れ」を感じたら読む本』についてうかがいます。バランスを取りながらデジタル環境とうまくつきあっていく方法について書かれていますね。どんな問題意識があったんでしょうか?
米田: ここ数年、「情報の民主化」とよく言われますけれど、今まで一定の人しか持たなかった、情報発信や知ることの権利のために使えるツールとしてデジタル機器が広まっていくのはすごくいいことだと思います。ただ、一方でその負の側面というか、道具であるデジタルツールに使われるような状態になってしまっているときもあると感じるんです。
たとえば、スマートフォンのアラームで目が覚めて、眠たい目で夜のうちに来ているメールをチェックして、電車でもスマホを見て、会社でパソコンをやり、仕事が終わって誰かとご飯に行っても電話やらメールやらソーシャルメディア(SNS)やらをやり、家に帰ってもパソコンを見て、もしかするとベッドに入った後もスマホでSNSをやってる、なんていう人は割と多いんじゃないかと思うんです。実はぼくもそうですけどね(笑)。
でも、そういう生活がつづくと、目の前の光景を楽しんだり、じっくりと時間をかけた体験ができなかったり、リアルなものをちゃんと感じる能力が弱くなってきている気がしていました。情報が過剰に増えている時代なので選択肢はどんどん増えるんだけど、主体的に何かを選びとっていくというよりは、選ばされてる、買わされてる、やらされてる、といった感覚が強くなっていて、このまま突き進んでいくのはまずいよな、と。
------米田さんはご自身で1ヶ月間、本格的な「デジタルデトックス」を実施されました。いかがでしたか?
米田: 単純に気持ちがよかったです。仕事があるので、1日に2回だけはメールを確認してもいいっていうルールにしました。Facebookで連絡くれる人もいるので、背景画像に「いまSNSを断っていますのでご連絡はメールで」っていう文章を書いて載せていたんです。
その1ヶ月で、ネットサーフィンとSNSでいかに時間を浪費していたっていうことに気づきましたね。たとえば海外の翻訳文学とかは分厚いので、スマホやパソコンのネットがつながっている環境だと、なかなか最初から最後までその世界に入りこんで読めなくなっている自分がいるんです。このデジタルデトックスの期間には、そういう長い文学作品をちゃんと最初から最後まで読み通せたりとか、あとは積極的にオフラインのアウトドアの時間を設けて登山や、滝に打たれたりしました。それまでだったらそういうこともすぐにSNSに写真付きで投稿していたと思うんですが、自分がやってることを誰かに伝えたりPRするわけではなくて、その瞬間を味わうことに集中して、鈍ってた身体感覚を呼びおこした感じです。
------米田さんが「デジタルデトックス」に興味をもたれたのは、2011年の生活実験プロジェクト『ノマド・トーキョー』がきっかけだそうですね。著書『僕らの時代のライフデザイン』でも詳しく書かれていますが、このプロジェクトについて教えていただけますか?
米田: 『ノマド・トーキョー』は約1年間にわたって、仕事をつづけながらスーツケースひとつで、遊牧民のように東京で旅をするように生活するというプロジェクトでした。ソーシャルメディアが流行し始めた頃で、いろいろな人の縁をたどって、情報の交換で生活自体が成り立っていくという、旅芸人みたいなものでした。昼はカフェや取引先のオフィスをお借りして原稿執筆や打ち合わせを、夜はSNSで知り合った人のお宅やシェアハウス、ゲストハウスなどを泊まり歩いたんです。SNSやインターネット、そしてノートパソコンやスマホといった持ち運びが簡単なデジタル機器で可能になった生活を自分でとことん追求してみようという試みでした。
------困られたことは?
米田: 2011年の1月から始めたプロジェクトだったので、やはり寒さで体力的に大変だった時期や、座椅子を倒して寝たりしていて体が痛くなったことなんかはありました。オープン前の巨大なシェアハウスにモニターとして泊めてもらったときには、布団だけでは寒くて新聞紙も体にぐるぐる巻きにしたんですが、それでもガタガタ震えていたり。
あと、人間関係で困ったことはなかったか、とよく聞かれるんですけど、意外とそれはなかったんです。その当時はTwitterも今ほど浸透していなかったこともあり、情報リテラシーが高いひとやユーモアの感覚があるひとが企画にのってくれたんだとおもいます。「人間バトン」みたいな感じで次から次へといろんなところに泊まり歩くような日々でした。
------まさに東京という街自体をシェアしていた感じですね。
米田: 「ノマド・トーキョー」を通じて、東京ならではの利点に改めて気づくようになりました。段々と生活者の視点から旅行者の視点になってきて、このホテルは23時以降にチェックインすると3,000円で泊まれるんだとか、コインシャワーっていうのがあるんだとか、こんなところにコインランドリーがあるんだとか、銀座のど真ん中に銭湯があるんだとか、ここだとWi-Fiが繋がるとか。世界中でもこういう高機能な、巨大なコンビニのような都市は東京しかないだろうなって思いました。
------興味深いプロジェクトを次々と手がけておられますが、新しい物事に対するアンテナの広げ方など、普段から意識されていることはありますか?
米田: ぼくの場合、タイトルとかキャッチフレーズが浮かぶのが最初というか、言葉が決まると残りは逆算的に決まってくるようなところがあります。それは多分、ぼくが編集者だからなんでしょうけれどね。
何かを決めるっていうのは結局のところ、思考を凝固するというか、一番大事な部分をパッっと思い浮かべるというイメージです。それができたら、あとはいろいろなことが派生してついてくる。だから考えすぎると、つい付け足してしまって複雑になっていって、最初の衝動、ピンときたことから外れていくと思うんです。もちろん、そういう方法で失敗するときもありますけどね(笑)。
------米田さんの子どもの頃がどんなだったか、教えていただけますでしょうか。
米田: ガキ大将とか学級委員長みたいなタイプではなかったです。まとめ役っていうわけではなくて、どっちかっていうと……あ、ひとつエピソードを思いだしました。小学校低学年のころに遊びで釣りをしたんですが、皆で一緒に釣りをしてると少ない魚の取り合いみたいなもので、なかなか釣れないじゃないですか。それで、一人で自転車で15分か20分くらい行って、茂みのなかにある小さな沼を見つけたんです。今考えるとちょっと危ないですけどね(笑)。で、入っていって網ですくってみたら、ナマズがたくさんいたんですよ。「これはすごい!」ということで、次の日に学校で友達に「秘密の場所があるんだ」と披露したり。小学校や中学校のときは、お金も車もないから、校区というか、その土地に行動範囲が縛られてるじゃないですか。そこをちょっと外れて、面白いお店があるよとか、ちょっとこう、エリアから外れて面白いものを見つけてきて、みんなを喜ばせるみたいなタイプでしたね。そうそう、今正月に実家に帰ったときに、うちの弟に「兄貴がやってることは昔と何も変わってない」って言われました(笑)。
------今後、どのようなお仕事をしていきたいとお考えですか?
米田: マーケティングにしろ商業利用にしろ膨大なデータからいろいろ読み取るんだっていう方法論も一方で進んでいてそれも大いに利用しながら、でも、最終的には自分がどう感じるかっていうのも大事にしていきたいですね。みんなが良いと言ってるけど現場に行ったらつまらなかったってことや、グルメサイトでの評価は低いけれど美味しい店だったっていうこともあるだろうでしょう。ぼくたちは何でも知っているように社会を生きていますが、知らないということを前提に、いろんな場所に行ってみたり感じたりすることが大切なテーマになってきています。それは今回の『デジタルデトックスのすすめ』にも繋がっているんです。
これからは、「スマホが小学校の頃からあった」だとか「幼いころからタブレットパソコンに触れてきた」っていう世代が大人になっていきます。そういうときにリアルとバーチャルの境界がどういう風に人の認識を変えていくかってことに興味があるんです。別にアナログ礼賛やデジタル批判ということではなくて、バランスですね。テクノロジーの魅力や進化は人生を面白くするものだって思うし、テクノロジーを使いながら人とどうコラボレーションできるかということを考えています。結局、生身の人間が一生涯、自分の人体を引きずって、目や耳で、五感で生きるっていうことは変わらないと思うので、ネットで繋がった今だからこそ現場に行くことや人に会いに行くことの重要さや面白さを改めて感じています。
僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方 米田 智彦 (著) ダイヤモンド社 (2013/3/15) |
『ノマド・トーキョー』では初めて会った人にもすぐわかってもらえるように、黒いトランクにハットというスタイルを変えずに移動生活を続けた。 |
これからを面白くしそうな31人に会いに行った。 近藤 ヒデノリ (著), 米田智彦 (著), サトコ(TOKYO SOURCE) (著) ピエ・ブックス (2008/8/5) |
USTREAMビジネス応用ハンドブック 最新200事例から成功の秘訣を学ぶ 米田智彦 (著), 伊藤学 (著), 岩沢卓 (著), ヒマナイヌ (監修) アスキー・メディアワークス (2010/11/12) |
混浴温泉世界---場所とアートの魔術性 NPO法人BEPPU PROJECT (著) 河出書房新社 (2010/3/2) |
マイクロモノづくりはじめよう ~「やりたい! 」をビジネスにする産業論~ 三木 康司 (著), 宇都宮 茂 (著) テン・ブックス (2013/4/12) |
セカ就! 世界で就職するという選択肢 森山たつを (著) 朝日出版社 (2013/7/18) |
米田智彦(よねだ ともひこ) 1973年福岡市生まれ。編集者。 青山学院大学卒業後、研究機関、出版社、ITベンチャー勤務を経て独立。フリー編集者・ディレクターとして出版からウェブ、ソーシャルメディアをつかったキャンペーン、プロダクト開発、イベント企画まで多岐にわたる企画・編集・執筆・プロデュースに携わる。 2005年より「東京発、未来を面白くする100人」をコンセプトにしたウェブマガジン「TOKYO SOURCE」を有志とともに運営。数々の次世代をクリエイトする異才へのインタビューを行う。2011年の約1年間、家財と定住所を持たずに東京という"都市をシェア"しながら旅するように暮らす生活実験「ノマド・トーキョー」を敢行。約50カ所のシェアハウス、シェアオフィスを渡り歩き、ノマド、シェア、コワーキングなどの最先端のオルタナティブな働き方・暮らし方の現場を実体験。2013年、その内容をまとめた『僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方』(ダイヤモンド社)を出版。共著に『これからを面白くしそうな31人に会いに行った。』(ピエ・ブックス)、『USTREAMビジネス応用ハンドブック』(アスキー・メディアワークス)、編集・プロデュース作品に『混浴温泉世界 場所とアートの魔術性』(河出書房新社)、『マイクロモノづくりはじめよう 「やりたい!」をビジネスにする産業論』(テン・ブックス)、『セカ就! 世界で就職するという選択肢』(朝日出版社)等がある。 |
先日テレビでソーラ―カーレースの特番を見た。1月19日に放送された、テレビ朝日開局55周年記念パナソニックスペシャル「挑戦!オーストラリア縦断3000キロ 世界最高峰ソーラーカーレース 密着ドキュメント」がそれ。日本からは毎年お馴染みの強豪チームとして東海大学が出場していて、番組は彼らの奮闘を追うというもの。太陽光のみで総延長3021kmのオーストラリアの砂漠地帯を渡りきる壮絶なレースは世界的に注目されているらしく、正直、「すげぇ!夢でけぇ!」と思って異様に見入ってしまった。
僕は機械工学、電気、物理的な話は興味はないわけじゃないけど、高校時代、化学と物理のテストは20点以下だったのでドロップアウト。あと、「手を動かす」って意味でも苦手で、だからやはりそういう技術を持っている人って普通に「かっこええー」って思う訳ですよね。そもそも「職人」的な世界から逃げ切れるだけ逃げ切ってきた僕のあらゆる仕事の中でも、唯一「技術」的なものが、ドラム演奏なんですよね。これだけは、自分で言うのもなんですけど大体の人より「上手い」と思ってます(ああ、言ってしまった…)。そこで、なんか自分のドラムの技術を、いわゆる機械工学的な技術と絡めてかっこええことしたいなって、テレビ観てたら妄想がふつふつと沸いてきてしまいまして…。
話は変わって僕が何度か共演させていただいたドラマーの一楽儀光さんが「ドラびでお」というプロジェクトをやってまして。ドラムの演奏をビデオコントローラとして利用し、映画やアニメなどからサンプリングした映像が演奏を同期してグロテスクかつアメイジングな世界観を表現されていたんです。スネア(小太鼓)を叩けば「キル・ビル」で出てきてヤクザの手足がひとつ飛ぶみたいなね(ちょっと違うかも…)。あと別の音楽話として、ここ数年よく「Earth Day」的なエコイベントで「自転車こいで発電してエレキギター演奏」みたいなライブ、みなさん見たことないですか? あれって環境の役に立ってんのかどうかよくわかんないんだけど、めっちゃ必死感は伝わってきます。
そこで、思いつきました。そうそう、いま話したようなエピソードが極上に混ぜ合わさったパフォーマンス一大事業を。まずドラムセットをイメージしてください。そしてそのドラムセット全体が乗っかって演奏者までも乗っかることができる大きめの台車を想定していただきたい。まずハスドラ(大太鼓のこと)を踏むと、その台車が「前」に進みます。BPM120あたりで4つ打ちなんかするとちょうどええグループでどんどんドラムが前進しますね。そしてスネアを叩くと車輪が「左」に向き、ハイハット(2つのシンバルが合わさっているやつ)を叩くと「右」に向き、左右のトップシンバルは「方向指示器」になって、フロアタム(大きいタム)を叩けば「後」へ。こんな感じで、ドラマーの渾身の演奏が自転車発電のごとくエネルギーに変換されて、しかもその演奏と車輪が完全に連動して、演奏しながら運転できるという謎のエコメディアパフォーマンスができるというわけ。名付けて「ドラぐるま」!!僕はこういった妄想と演奏しかできませんので、ぜひ共同開発者求む。まずは広くて防音付きのスペースを確保しないとね。
(イラスト:イシワタマリ) |
アサダワタル 日常編集家/文筆と音楽とプロジェクト 1979年大阪生まれ。 様々な領域におけるコミュニティの常識をリミックス。 著書に「住み開き 家から始めるコミュニティ」(筑摩書房)等。ユニットSJQ(HEADZ)ドラム担当。 ウェブサイト |
最近自覚したことがある。わたしは、主人公が悪と戦い勝利する話が大好きらしい。苦労してやっつけるのか、超人的な力であっさりと片付けるのか、戦いの過程にバリエーションはあるけれど、このパターンを基に作られた話の中に嫌いな話がほとんどない。ほとんど、というより思いつかない。そして、それはたぶん、わたしだけじゃないだろう。好きな人が多いからこそ、多くの物語がこの「悪を倒す」構造になっている。一体どうして惹かれるのか、謎である。子供のときに、何とかレンジャーやアンパンマンを見て育つせいだろうか。いやでも、そもそも子供は前知識なしで、そういう話に夢中になるわけで。DNAに組み込まれているのだろうか。
現実の世界でわたしたちはあんまり、悪と戦ったりはしない。倒すべき悪いやつがいないわけではない。怪獣やバイキンマンはいなくても、不条理な会社の上司、納得のいかない政治、隠ぺいされている社会悪などなど、悪は山ほど存在する。それらの悪に対して、わたしたちはこっそり文句を言う。が、戦わない。じっと目を伏せてやり過ごす。そのほうが自分だけは平和に生きられるからだ。
だからこそ、フィクションの中のヒーローがまぶしく見えるのだろう。
今月紹介する本の著者、アイ・ウェイウェイはフィクションのヒーローではない。今、現在、現実の中国で戦い続けているひとりの唯一無二のアーティストだ。ぽこんと突き出たお腹、ぼさぼさした髪、ニヒルな笑い顔の彼の姿は、一見すると、いかにもうさんくさいけれど、一度でも彼のことを知ってしまうと、その行動から目が離せなくなる。
アイ・ウェイウェイ主義
アイ ウェイウェイ (著), Larry Warsh (編集), 木下 哲夫 (翻訳)
ブックエンド (2013/11)
この本の表紙にある写真は、アイ・ウェイウェイが漢の時代の貴重な壺を落として壊しているところを撮影した「作品」である。なんてことするんだ……と、初めて見た時はびっくりしたけれど、中国という国の現状を知れば知るほど、彼の行動の意味が分かってくる。古い壺を壊す。それは古い価値観から新しい価値観への転換をうながすことでもあり、こんなふうに政府によって中国の伝統や文化が破壊されてきた、という抗議でもある。
行動を監視され、警官に殴られ、建てたばかりのスタジオを壊され、身柄を拘束され、それでも彼は戦い続ける。自分のためではなく、すべての人々の自由のために。
この本には、彼の言葉が収録されている。どれも短く、迷いがなく、ぱっと目の前を照らすような明るさに満ちている。言葉というのは技術で人工的に作り出されるものではなく、その人の生き様から必然的にどうしようもなくにじみ出て生まれてくるものじゃないだろうか。だからこそ、彼の言葉は胸を打つ。何度も目を覚まされる。たぶんこれから先、本を開くたびに、これらの言葉は違った輝きを持ってわたしの前に現れるのだろう。この言葉が輝くのをやめたとき、わたしはもう表現者でいる資格はなくなっているのかもしれない。
――きみが責任を担わないかぎり、世界は変わらない。
(「アイ・ウェイウェイ主義」より抜粋)
寒竹泉美(かんちくいずみ) HP 小説家 京都在住。 家族のきずなを描くWEB小説「エンジェルホリデー」毎日連載中。 デビュー作「月野さんのギター」の映画化企画が進行中。 |
やぁ、私だ。映画で好きなジャンルはと問われれば、私はロード・ムービーを挙げる。曖昧な回答かもしれないが、SFだろうが、コメディだろうが、アクションだろうが、何だろうが、とにかく劇中で登場人物が土地を移動するのを好む。なぜだろう。景色が変わり、移動する人物の生き様も何らかの変化を強いられる。映画そのものに旅と似通ったところがあるからかもしれない。
フィンランドのカウリスマキ兄弟の兄、ミカもずいぶん旅をしてきた監督だ。まずドイツで人気を獲得し、イタリアに拠点を置いたり、ブラジルにのめり込んだりと、国外での共同制作を積極的に行ってきた。私生活では離婚も経験。本人の弁によれば、新作の『旅人は夢を奏でる』は25年前に一度構想したが実現できなかった父と息子の再会の物語を練り直したものらしいが、かつてより人生の経験値が上がり、知恵もつき、機が熟したということだろう。
物語はこうだ。一流のピアニストとして成功するものの、妻子からは見放されている男ティモ。彼の前に、ある日、3歳で別れて以来35年間音信不通だった父親レオがふらっと現れる。レオの口車に乗せられ、ティモのルーツを探る旅が始まるのだが、この親父がまったくもって一筋縄ではいかない。用意した車は盗難車だし、パスポートは明らかに偽造。しかも、まず訪れるのは、今まで存在すら知らなかった母親違いの姉。ストイックに音楽を求道してきた実直すぎる男が、調子外れの狂騒曲に巻き込まれながらも、やがて彼の生は軽快なリズムを取り戻し、温もりのある和音が奏でられる。
つい音楽に喩えてしまうには理由がある。主演のふたりが、フィンランドでは高名な音楽家でもあるのだ。劇中ではセルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンの『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を父子が演奏して歌う場面が用意されていて、カウリスマキならではのオフビートな笑いをベースにした演出の中にあって、言葉に頼らない極めて映画的な見せ場となっている。
フィンランドでハリウッド大作を押しのけて記録的大ヒットとなった今作。北欧の人々の心に火を灯したヘルシンキ発の素っ頓狂な旅に、スクリーンから出かけることを強くお勧めする。
(c) Yellow Affair 『旅人は夢を奏でる』 全国で順次上映中 監督・脚本:ミカ・カウリスマキ 出演:ヴェサ・マッティ・ロイリ、サムリ・エデルマン、ペーテル・フランツェーン 2012年/フィンランド/フィンランド語/113分/原題:Tie pohjoiseen 配給:アルシネテラン |
野村雅夫(のむら まさお) ラジオDJ/翻訳家 ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。 FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00) Inter FM (Mondo Musica / Mon.-Thu. 18:00-20:00) YTV (音楽ノチカラ / Wed. Midnight) |
チリ人の母娘の食卓は新鮮な野菜や果物であふれている。レタスにレモンを絞って塩を振りかけたもの。刻んだ生にんにくとオリーブオイルで和えたトマト。朝ねぼうする日曜は昼間からワインのボトルをあける。イチゴをたっぷりいれたグラスにスパークリングワインを注ぎ、小さな気泡を陽光にきらめかせてたのしむ。色鮮やかなブランチだ。
真子 スケッチ・ジャーナリスト タスマニアと名古屋でデザインと建築を学ぶ。専門はグリーンアーキテクチャー、療養環境。国内外の町や森をスケッチブック片手に歩き、絵と言葉で記録している。 ウェブサイト |
今回は大学のデザイン成果発表会にお邪魔してきました!(お邪魔と言っても、もちろん正式な許可はもらっていますよ。笑)。大阪市立大学、工学部都市学科の3年生の総合演習という授業で行われたデザイン成果発表会です。
大教室に入ると学生や先生方が思ったよりも大勢いたので、話を聞くだけなのにとても緊張してきました。『10年後における美しく快適な安全安心の環境都市』というテーマで、都市デザイン、環境創生、安全防災という3つの異なる領域の学生が2人ずつ、6人1チームで発表していきます。同じテーマでも、各チームの考え方や素材の使い方は全く異なっていて、そのアイデアの多さに感心しました。
「オキシデーションディッチ?」「サンドコンパクションパイル工法?」じつは私がいちばん苦手な授業は数学と理科なんですが、そのときと同じぐらい、分からない言葉が飛び交っていました。いちばん印象に残っているものは綿密に計算された数式の載っている表で、口をぽかんと開けて見ていました(笑)。
私が元々知っていた言葉といえば、リノベーションとパブリックスペース、地産地消ぐらいです。分からないことが多かったですが、そんな私にもプレゼンのコンセプト、10年後はこんな都市であってほしいということはとても伝わってきました。プレゼン資料の中には模型やイラストなどがあり、わかりやすかったです。発表者たちは先生方の鋭い質問にもきちんと答えていて、頭の回転の速さに驚きました。
8チームの約4時間にも及ぶ発表会は終了しました。緊張感のなか所々に笑いもあり、思ったよりリラックスして発表を体験することができました。
それから少しだけ親睦会にもお邪魔しました。全員に自己紹介をすることはなかったので、一部の学生には「あの人は一体誰だったんだろう?」という疑問を残しながら教室を去ったのでした。
風戸紗帆(かざと さほ) 京都精華大学人文学部2年生(2014年4月からは3年生の予定。) 文章を書くのが好き。柔道初段を持っている。ちなみに得意技は一本背負い。 |