アサダワタル 日常再編集のための発明ノート渋谷系~小室ファミリー~椎名林檎まで 平成世代の「うたごえバス」 |
||
ミホシ 古典×耽美冬の宮 |
||
野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳~オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ~ |
||
小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー工場夜景 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
京都を舞台に、「かつて」あったはずの伝統文化の世界観を再解釈し「いま」の生活へとつなぐための企画を展開している、「職人」と「文化」を時代につなぐ人、宮下直樹さん。彼に、『VOICE OF KYOTO』を軸とするさまざまなプロジェクトについてうかがった。
-------まずは、『VOICE OF KYOTO』についてうかがいます。「伝統以前の京都を伝える」をコンセプトに、職人やクリエイターの方々とコラボレーションをしながらワークショップなどを展開しておられます。立ち上げられた経緯は?
宮下: ぼく自身、高校まで京都にいて、大学・社会人と関東の方で過ごしました。そのとき、関東から見ている京都というのが、観光に特化したものになってしまっている面があって、物足りなさを感じていたんです。それに、京都に帰ってくるたびに、ちょっと納得のいかない大きな建造物なんかができていたりして、がっかりしたり違和感を感じたりしました。もちろん、みんながみんなそう感じているわけではないとは分かっているんですけれど。
一方で、ぼくの家は祖父の代から着物関係で、日本ならではの着るものをプロデュースしていたということもあり、当時の広告という瞬間最大風速的な仕事ではなく、人の手に残るようなものをやっていきたいなという思いが強くなったんです。自分で直接つくるかどうかは別として。自分が編集するという目線で京都というものを発信したり表現したらどんなことができるんだろう、ということで最初に立ち上げたのが『VOICE OF KYOTO』というメディアです。
------『VOICE OF KYOTO』には『academia(アカデミア)』と『botanical(ボタニカル)』の2つの流れもありますね。
宮下: VOICE OF KYOTO の自主イベントや若手染織作家とのコレクションをはじめ、HYATT REGENCY KYOTO でのニューイヤーコンサート企画など、京都・東京・金沢で5年ほど企画をやってきたのですが、どれも年に2,3度やるのが精一杯なところがありました。これでは、死ぬまでに何も達成できないなと(笑)。そんな風に感じるようになり、『VOICE OF KYOTO』という何となく概念的なものを発信し続けるのではなくて、あらためて入り口となるような企画を5周年を機に用意しようと思ったんです。その一つがアカデミアというトークセッションの企画で、もう一つがボタニカルというワークショップの企画です。
たとえば京都では、僕ら世代の若手の職人やクリエイターたちが、ガチトークをできるような場所をつくりたいなと思ったんですよね。酒の場で、というのもいいんですが、翌日には記憶してない人が多くて(笑)。やっぱり、アツく話したことは憶えていてほしい。なのでシラフで突っ込んだ話ができる場所を用意しました。15人までの限定で、この人が来てくれたら面白いかなって人に毎回声をかけ、講師にお呼びして。一方的に話を聞くんじゃなくて、相互に話をするというスタイルを貫きました。世の中との接点をみんなが模索する中、まだ若手でも、家の背景も手伝って百貨店の美術画廊に呼ばれるような状況がありますが、何より本人たちもみんな、まだまだ研鑽の場が欲しいって思ってたりします。そこで短期集中で学び気づきを得てもらうための場所が用意できたらなと。
さらに、この academia という企画は、海外でのプレゼンテーションの場にもなればいいなと思い、台湾でも誠品書店で実施させて頂いたりもしました。
ボタニカルに関しては頭脳的なトークの場所ではなくて、実際の体験を通じて、日本の本当の美意識みたいなところに触れられる場所をつくりたいということで始めました。きっかけは華道家の家元の友人のために生徒さんを集める方法を考えていたときに、花だけじゃなくて違う要素もくっつけようと思ったことです。「花より団子」っていう言葉がありますけど、最初は冗談半分で、生け花と和菓子のワークショップをセットにした企画を考えたんです。「花も団子も」って(笑)。実験的に友人を集めてやってみたんですが、これだけだと勿体ないなと感じました。これは、「花と団子」だけの話じゃないなと。これはもっと広い深い日本の潜在意識へと通じるテーマなんじゃないかと気付いてしまったんですよね。つまり、工芸や文化を広く追体験できるんじゃないかな、と。金網細工、染色、陶芸など日本らしいものづくりに広く触れてもらえたらということで、例えば、和菓子づくりと生け花、金網細工と生け花といったように、複合的に組み合わせたワークショップをテーマと体験内容をかえながら5回通して体験してもらう企画を組み立てました。
------どんどんと内容が深まっていったわけですね。
宮下: そうですね。深くなり過ぎそうになりました。一度、5回通しのbotanical企画を終えた時、こういうのはもっと日本的な文化や芸能と距離のある東京でやった方が意味があるのではないか?と思うようになったんです。そこで、ちょうどつながりができていた、東京の地下鉄で10万部を毎月配布(いつも3日以内になくなる!)している超人気のフリーペーパー『メトロミニッツ』に協力してもらうことにしました。初回からたった7人枠の限られた企画でしたが、フタを開けてみれば、毎回100組を軽く越える方が応募してくれて。その後も多い時には150組を超えるような申し込み状況が続き、おかげ様で、超人気企画となりました。満員電車にギュウギュウに詰め込まれながら、やっぱりそういう日本的な感覚に触れられる接点を求めている人がいて、その接点が著しく欠如しているのを改めて実感したんです。
ぼくは割とストイックに世界観をつくっていこうとする方なので、いままでの方法だと巻き込める人数が限られてくるんです。そこで、作り手の世界と日常で接点がない人たちを繋いでいくことで、ものづくりの組織の力も上げながら、世間一般から文化への入り口も広げるといったことをこの先もやっていきたいなと考えています。
------その新しいプロジェクトについて教えていただけますか。
宮下: これまでのことを継承しつつ、あらためて取り組み直してみようと思っているのが『Terminal81(ターミナル・エイティーワン)』。ここでは、職人と文化を自在に繋げながら経済活動にきちんと結びつくように取り組もうと。根っこの部分では変わっていないんですけども、たとえば優秀な人材が集められるような仕組みをつくって工房をより強くする方法だとか、この取り組み参加する作り手同士がノウハウやスキルを共有できるようにしたいですね。
「81」は国際電話の国番号なんですけど、これを漢字で書くととても日本らしい面構えになるんです。それもいいなって。この番号、誰が選んだんですかね?ぼくらはみんな感謝した方がいいですよ(笑)。話を戻しまして、シルクロードを通っての交易の時代から、この日本は極東の終着点でもあり、また押し返す場所でもありました。今、この時代においてもターミナルとして非常に特異な存在だと感じているんです。日本を一つの発着駅みたいな感じで捉えながら、台湾のこととかヨーロッパのこととか、ちょっとずつですけども、入り口と出口づくりみたいなことをやっていきたいなっていう風に思っています。
------日本の中で日本人に伝えていくことと、海外に向けて伝えることとはかなり違うと思うんですけれど、いかがですか?
宮下: 『VOICE OF KYOTO』を始めたときに、外に向けて発信する前に、まず自分たち側の知識や見る目を鍛えることが大事だと感じました。今お手伝いしていることで例えると、作り手としては「和紙のアイテム」や「和紙をアクセサリーにしていることが凄いんです」ということにこだわりたいと思うんです。でも、例えば海外のバイヤーとかがいいなって思うところは、防水性があって堅牢度も革なみに強く、そして軽い、といった情緒的なことよりも機能的なことが優先されるはずなんです。「和紙を使っている」ことは最終的な仕上げ・味付けの部分で付加価値的かもしれませんが、強度や軽さといった要素を備えていることがこのアイテムの素晴らしいところだって口にすると思うんですよね。情緒を排除したときに残っている極めて機能的な良さっていうのをちゃんと自分たちが理解しないと、売れるはずのものが結果的に売れなかったりすると感じています。
------宮下さんがどんな子どもだったか、教えてください。
宮下: ずーっと、暇だ暇だといいながら過ごしてましたね(笑)。あの時間が、いま本当に悔やまれます。小学校の3、4年ぐらいの時にはロールプレイングゲームとかの真似事をしていましたね。キャラクターの駒をつくって、シナリオからゲームを紙上で創作していました。家族に「あんたがつくったら誰もクリアできへん」と言われたりして。後はレゴが好きでしたね。ヨーロッパへの漠然とした憧れはレゴの賜物ですかね。
------子どもと言えば、お菓子で『和のチョコパイ』のコーディネートなんかもされています。もともとお菓子という接点はありますが、ロッテと京都老舗菓子店というイメージがずいぶんと違うもの同士のコラボレーションで、ご苦労もあったかと思うのですが。
宮下: かなり緊張しましたね。取り組みの期間もとても短かくて2ヶ月半ぐらいしかなかったんで、企画を進める上での全ての工程が一発OKを求められる綱渡りみたいな感じだったんです。当主の方がたまたま、本当にチョコパイをお好きだったので色々なハードルがありながらもスムーズに進みました。こういう企画って、とことんまで突き詰めるか、遊び心を持ってやってやるか、どちらかだと思います。それから、距離の遠いもの同士だと整合性がないということではなくて、ものが繋がる接点を見極め、そのつながりを生む解釈に責任を持ち、方法を間違えなければ、たいていの物事って繋がると思っています。この仕事も最終的にはそうだったのかもしれませんし、普段ぼくが何かを企画するときにも、そこを一番に考えるようにしています。
------今後のビジョン・展望についてお聞かせください。
宮下: VOICE OF KYOTO という取り組みは、京都を離れていた自分が京都の魅力を再発見し、それを外へ広げていくための活動で、それはもしかすると自分なりの視点にこだわった「外」からの働きかけであったのかもしれません。それを6年ほど続けてきた中で、ある意味やり切ったんだなと。それを踏まえ、今まさに取り組みをスタートさせる #Terminal81 は、自分視点にこだわるのではなくて、世の中目線で現実に求められている解決すべき課題や接点を、自分がフィルターやハブとなり、信頼関係を結び理解し合える職人や文化人らと解決していく取り組みです。VOICE OF KYOTO を続けている時は「宮下さんは何で収益を得てるの?」と謎の怪しいプロデューサーと思われることが多かったのですが、#Terminal81 以降は、それ自体を自分と、そして関わってくれる方々の経済活動を支えるものにしていきたいんです。これまでの長い歴史とこれからへの継承に取り組むのに、それ自体が持続可能でなければ意味がないですよね。文化的な側面やこれまでの背景を押し付けてビジネスをするでも、手作りに無理にこだわってものを売るでもなく、欲しいもの体験したいことが自然と職人仕事や日本文化とリンクしている未来。それが、これまでも、そしてこらからも取り組んでいきたいと思っていることであり、特に今の時代においては、伝統文化や職人の世界を世の中につなぐという意味の本質なんだろうなと思います。
HYATT REGENCY KYOTO で3年にわたって開催したNew Year Concertでは、着物のディスプレイと音楽との競演を演出。 |
開化堂、金網つじ、朝日焼といった京都の老舗の職人らとの台湾でのプロモーションでは日本では得られない多くの学びが。 |
京都でのacademiaの様子。リノベーション途中の廃墟ビルや老舗旅館の柊家など、時々のテーマにあわせた会場をコーディネート。 |
東京でのacademiaは代官山の蔦屋書店にて。matohuさんをゲストに迎えた会には、デザイナーを志す多くの服飾専攻の学生の姿も。 |
京都で立ち上げたbotanicalはテキスタイルメーカーのHINAYA KYOTOさんに会場をお借りして。和菓子・生け花・金網細工・染色・絵付けなど、日本の美意識を追体験するために趣向を凝らした。 |
東京でのbotanicalの様子。場所は西麻布の隠れ家的な awai HIGASHIYA さんにて。室町時代の生け花である立花(たてはな)を、石草流の家元を講師に招いての体験を企画。 |
一番最近のbotanical。ビーズのアクセサリとつまみ細工をセットにしたこの会のコンセプトは極小のパーツを組み上げて作り出す日本的な造作の美しさ。 |
ロッテ『和のチョコパイ』[ 濃茶仕立て ] キャンペーンサイト (キャンペーンは2013年4月30日で終了) |
宮下 直樹(みやした なおき) 1978年京都府生まれ。「かつて」と「いま」をつなぐ trans-culture agent。『VOICE OF KYOTO』主宰。 株式会社博報堂を退社後、東と西をいききしながらも京都に軸足をおきつつ、伝統と文化をいまの世の中につなぎ直すためのプロトタイプづくりに取り組んでいる。 『VOICE OF KYOTO』は、「伝統以前の京都を伝える」をコンセプトに、独自の視点で京都の取り組むべきテーマや課題を見いだし、企画・編集を繰り返しながら取り組み続けるプロジェクト。京都をはじめ、金沢・静岡・東京の職人やクリエイターらとのコラボレーションの中でacademia(アカデミア)やbotanical(ボタニカル)など、様々な取り組みを展開している。 他に、京都や職人、工芸・文化についてのプロデュース・プロモーションや、30周年を記念して企画された『和のチョコパイ』(ロッテ×京都老舗和菓子店 老松)をはじめとするコーディネート業務、コンサルティング、編集企画・ライティング、築50年のビルをリノベーションした「つくるビル」のプロジェクトアドバイザーなどもつとめる。 宮下直樹official web |
師走である。世間は忘年会真っ盛りでウコンの力が死ぬほど売れているとかいないとか。それはそうと、飲み会の3次会あたりで定番なのがカラオケ。僕も年末にカラオケボックスを借り切ってのパーティーを主催している。しかも、ただのカラオケではない。音楽を生業のひとつとしている手前、DJやミュージシャンの友人たちと画策して、カラオケボックスを「クラブ」に変えてしまうという試みだ。具体的には渋谷や京都のシダックスのパーティールームを借り、そこにDJブースをつくる。そして部屋にあるDAMサウンドと持ち込んだCD-Jを共にDJミキサーに繋ぐ。DJプレイで参加者に踊ってもらいつつ、さらにあるタイミングでチャンネルをDAMに切り替え、参加者からのリクエストを入力。今度は参加者が主役になって歌い踊る。「KARAOKE DISCO」というこのイベントは、元は友人のDJ codacoda君がクラブでJ-POPをかけまくって踊ってもらうイベントとしてやっていたことがきっかけ。それをカラオケボックスという会場にスライドさせることで、より日常的な現場から面白い音楽遊びができるのではないかということで、僕はMC(べしゃり&あおり担当ね)として一緒に企画・出演している。
ところで、先日興味深い本を読んだ。音楽社会学者の小泉恭子さんの著書『メモリースケープ ー「あの頃」を呼び起こす音楽ー』(みすず書房)で、ある特定の世代に聴かれた音楽を「コモン・ミュージック」という言葉で語り、そこから想起される個人の記憶が集団的な記憶として演出される具体例がたくさん紹介されていた。その中でとりわけ気になったのが「うたごえバス」。「うたごえ喫茶」の流行を知る昭和20年代~50年代に青春時代を送った世代の方々が昭和のヒットソングをがんがんに歌いながら東京の土地土地を走り回るという企画。「歌は世につれ世は歌につれ」とはよく言ったもので、青春の記憶を求めて心の旅をしたい人たちが毎度押し寄せ満席御礼。重要なのはバスガイドさんの役割で、これがまた「当時」リアルタイムで仕事をしていた「OG」バスガイドさんなのだ。彼女がまるでDJのごとく、MCのごとく、流れる選曲と風景を編み上げながら闊達に喋り上げて、参加者の記憶の余波をファシリテートしまくるというわけ。
そこでこの企画。ぜひとも、我々平成世代、つまり90年代~'00年代対応の企画としてもやるべきなのではなかろうか? 例えば渋谷系、ピチカートファイブの「東京は夜の七時」の「待ち合わせのレストランはもうつぶれてなかった♪」感じや小沢健二さんの「ドアをノックするのだ誰だ?」に出てくる「東京タワー」。そこから小室ファミリーに飛んでみたり、また椎名林檎の「無罪モラトリアム」が流れれば歌舞伎町から丸の内からお茶の水から池袋まで風景との絡みは増すばかり。そこにこの世代特有のロスジェネ感がやや冷めた空気が漂いつつも、でもなんだか寂しいし実はもっと素直に盛り上がりたい欲望が集団的記憶の波となって押し寄せてくるのだ。「カラオケでクラブ」の次はいよいよ屋外に繰り出すか。
(イラスト:渡邉智穂) |
アサダワタル(あさだ・わたる) 日常編集家/文筆と音楽とプロジェクト 1979年大阪生まれ。 様々な領域におけるコミュニティの常識をリミックス。 著書に「住み開き 家から始めるコミュニティ」(筑摩書房)等。ユニットSJQ(HEADZ)ドラム担当。 ウェブサイト |
春が嫌いです。花弁と舞いどこかへ消え去ってしまいそう。
夏も嫌いです。鈴の音の声が蝉の声で掻き消されてしまう。
秋も嫌いです。鮮やかな朱ですっかり隠れてしまいそう。
冬は好きです。真っ白な雪の中、濡れ色の黒髪を見つけることができます。
巡る季節は確かに美しく、宮中の皆はこぞって耽け歌う。
けれど、わたしは憎らしいのです。
入内され初めてお会いしたときから慕っていたとお伝えすれば
藤壷の宮さまは微笑んでくれるのだろうか?
このまま雪と共に溶けてしまえばいいのに。
懐で小さく呟くと藤壷の宮さまは訝しげな表情をしながらも
「光の君、大丈夫ですよ」と、わたしの小さな手を握って下さるのです。
【出典・参考】源氏物語をもとに脚色しています。
ミホシ イラストレーター 岡山県生まれ、京都市在住。イラストレーターとして京都を拠点に活動中。 抒情的なイラストを中心に、紙媒体・モバイルコンテンツなどのイラスト制作に携わる。 |
「1920年代に莫大な金をかけて建てられた。4000人を収容し、ここでコンサートや映画の上映も行われた。それがいまや駐車場だ」。モータータウンとの異名を持ち、かつて栄華を誇ったものの、70年代から緩やかな衰退を続ける町デトロイト。真夜中のドライブ中に立ち寄ったのは、かつての殿堂、元ミシガン劇場。遥か遠くモロッコのタンジールから会いに来た女に、男がそんな解説を加える。
挨拶が遅れた。やぁ、私だ。ジム・ジャームッシュの新作が吸血鬼モノだと耳にして一足早く鑑賞した。ただし、彼の作品をひとつでも観たことがある人なら、きっとこう思うだろう。何らかのひねりがあるに違いない。その通り。期待していい。
ライブをせずに音だけを発表してカリスマ的な人気を誇るミュージシャンのアダムと、その妻イヴ。ふたりは何世紀も愛し合って生き続けてきた。久々に再会したふたりだが、そこにじゃじゃ馬の妹が現れ、状況があらぬ方向へ動き始める。
アダムは自己破壊的な傾向のある近年の人間たちを「世界をダメにしたゾンビ」と呼び、科学技術、楽器、文学など、古いものを偏愛して収集しながら、確固たる美意識と価値観に基づいた厭世的な暮らしを送っている。
考えてみれば、ジャームッシュは一貫してアウトサイダーを描いてきた。吸血鬼はそのモチーフの極北として合点のいく設定だ。シニカルなセリフと枚挙にいとまがない引用の数々。ミニマルだが芳醇な様式美。冒頭で引いたセリフしかり、長生きの吸血鬼は各時代の人間の営みを、独自の視点に基づきながら、凝縮した言葉と振る舞いによって再解釈してみせ、私達に再考を促す。この作品は、周縁に身を置くからこそ表現できる監督の風刺によって構成された、人類史の編み直しと言えそうだ。
これだけ重層的な作品を、ワンカットとして無駄のない映像で構築するジャームッシュの手腕はますます冴え渡っている。観るたびに新たな「知的興奮」と「気づき」に出会えるこのフィルムは、それこそ吸血鬼のように息長く後世に残るに違いない。
(C) 2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved. 『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』 ONLY LOVERS LEFT ALIVE 12月20日(金)より、TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷、大阪ステーションシティシネマほか全国ロードショー 監督・脚本:ジム・ジャームッシュ 制作:ジェレミー・トーマス、レインハード・ブランディング 音楽:ジョゼフ・ヴァン・ヴィセム 出演:トム・ヒドルストン、ティルダ・スウィントン、ミア・ワシコウスカ、ジョン・ハート 2013年/米・英・独/123分/英語/ビスタ/5.1ch 提供:東宝、ロングライド 配給:ロングライド |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ/翻訳家 ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。 FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00) Inter FM (Mondo Musica / Mon.-Thu. 18:00-20:00) YTV (音楽ノチカラ / Wed. Midnight) |
近未来的な背景を背負う夜の工場はどこか不気味なようにも見えるが、薄明かりの中独特の質感やさび具合などが、日中よりも優しく浮かび上がる。宙に浮いているような小屋や、息をひそめている煙突、ループ状のめがね橋、日本一の高さの商業ビルあべのハルカスなど、用途の異なる様々なものが写っているが、不思議と一つの景色として成立している様が面白い。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家 廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |
第1回書家川尾朋子 |
第2回字幕翻訳家伊原奈津子 |
第3回紙芝居弁士/ラジオDJ伊舞なおみ |
|||
第4回写真家田村尚子 |
第5回リソースアーキテクト河原司 |
第6回女優市川純 |
|||
第7回ランドスケープアーティストハナムラチカヒロ |
第8回翻訳家柴田元幸 |
第9回建築家光嶋裕介 |
|||
第10回プロ・ポーカープレーヤー木原直哉 |
第11回パーティーオーガナイザーコイケアカリ |
第1回講談師旭堂南陽 |
第2回フォトグラファー東野翠れん |
第3回同時通訳者関谷英里子 |
|||
第4回働き方研究家西村佳哲 |
第5回編集者藤本智士 |
第6回日常編集家アサダワタル |
|||
第7回建築家ユニットstudio velocity |
第8回劇作家/小説家本谷有希子 |
第9回アーティスト林ナツミ |
|||
第10回プロデューサー山納洋 |
第11回インテリアデザイナー玉井恵里子 |
第12回ライティングデザイナー家元あき |