アサダワタル 日常再編集のための発明ノート雑誌『通院と旅』 |
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ミホシ 古典×耽美真夜中の大芝居 |
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野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳ふたりで360度 ~もうひとりの息子~ |
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小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー憂鬱な公園 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
パーティーやイベント企画・プロデュースを行うとともに、毎日の暮らしをより楽しくデザインするライフスタイル提案を行うパーティーオーガナイザー、コイケアカリさん。彼女に、パーティーにかかわる仕事の内容についてうかがった。
-------パーティーオーガナイズの仕事についてうかがいます。空間はもちろん、料理や音響、さらにはドレスコードからプログラムまで、いろいろな要素にかかわる仕事だと思います。どのように進めていかれるのでしょうか?
コイケ: パーティー関係のお仕事は大きく二つあり、ひとつは一般の方向けのライフスタイル提案やホームパーティーレッスン、そしてもうひとつは企業とのコラボレーションでのパーティーです。一般の方向けであれば、日本の年中行事や季節のイベント、たとえばハロウィン、クリスマス、バレンタインなどがパーティーのテーマになることが多いです。テーマにそってモチーフやテーマカラーを考え、オリジナリティあふれるパーティーコーディネートを行います。企業とのコラボレーションの場合には、企業の目的によってテーマや内容が決まってくることが多いです。
どちらの場合にも、秋だから茶色、クリスマスだから赤と緑、といった既成概念にとらわれず、たとえば、ピンクのクリスマスがあってもいいかもしれません(笑)。そのパーティーのオリジナリティやメッセージ、ストーリー性を大切にしています。
------一般の方向けのライフスタイルやパーティーレッスンには、たとえばグランフロント大阪北館HDCでの『食育ホームパーティーレッスン』シリーズなどがあります。気軽に取りいれられる「ホームパーティー」と味覚を目覚めさせる「食育」の両方をご提案されています。
コイケ:フランス流食育を学んでこられた食育パティシエの西川万里さんと一緒に、五感で楽しむパーティーレッスンを開催しています。子どもたちもお母さんやお父さんと一緒に料理の素材に触ったりして、感覚を研ぎ澄ませるんです。また、テーマに合わせた飾りつけでは、ペーパークラフトを作り自分たちの名前を書いて、それをいったん飾って楽しみ、テーブルコーディネートのご紹介や、実際に作ったスイーツをいただくミニパーティーも体験します。レッスンの後に家でも実践される方も多く、Facebookなど実際のホームパーティーの様子をご報告いただくととても嬉しい気持ちになります。親子で準備から一緒に楽しむことで子どもたちの記憶に残りますし、お母さんやお父さんの嬉しそうな様子を見ていると、「今求められていること」という手ごたえも感じています。
「食育ホームパーティーレッスン」の他に、今提案していることのひとつに「おうちビュッフェ」があります。ひとが集まっても、おうちでビュッフェという概念はまだあまり定着していません。大げさにしなくても、ビュッフェ形式にすると動きが出て、自由なスタイルで楽しい気分になります。ポットラック、いわゆる「持ち寄り」や惣菜を買ってくる場合のどちらでも、どういうふうに飾ればいいか、どうすれば素敵に見えるか、といったアイデアも紹介しています。外で買ってくる惣菜には、昔は「手抜き」というイメージがあったかもしれませんが、いまやおしゃれな「パーティーフード」になりつつあります。
2年くらい前は「家でパーティー」というのはまだあまり頻繁に開かれていなかったように思いますが、家飲みや女子会が流行し、いまは「ホームパーティー」がとても注目されていると感じます。働く独身女性だけでなく、お子さんがいらっしゃるご家庭でも自宅で素敵に過ごせる方法が求められています。セレブのようなきらびやかな世界ということでなく、気軽に家でできる「集い」をもうワンランクアップの「パーティー」にするアイデアを紹介しています。
「集まり」を「パーティー」という言葉にするだけで楽しく、気持ちがハッピーになります。ひとが集まって会話をして、そこに新しい空間と時間が生まれます。そうやって発散されたエネルギーが、参加した人たちの活力になるんです。
------企業とのコラボレーションのパーティーはどのような感じですか?
コイケ: 最近の話ということで、たとえば神戸ファッションパーティーでは、惣菜のRF1などで有名なロック・フィールドさんのブースでパーティーテーブルのオーガナイズをさせていただきました。普通にサラダビュッフェというだけでなく、「サラダ畑」をテーマに構成しました。森のイメージの木、リス、蝶々の飾り、ピンチョスも芝生から生えているように用意し、ユニフォームにもローズマリーのハーブやネームタグをつけたコサージュを作りました。単なるビュッフェではなく、食を介してお客さまとスタッフとの間に「コミュニケーションが生まれる」仕掛けにしました。ドレッシングやナッツなどのトッピングについてご希望を伺ったり、お客さんだけでなく、参加する企業側もコミュニケーションを楽しんでもらう場を意識しました。スタッフの方々にも、お客さんの反応がじかにもらえるということで、こんなに楽しい体験は初めてと言っていただけ、パーティーを通して商品の可能性が広がる、「総菜」が「パーティーフード」に変わる瞬間でもありました。
------パーティーにはハプニングが多くありそうですが、どのように対応されますか?
コイケ: 過去のハプニングでは、ファッションショーを取りいれたパーティーでモデルさんの衣装替えが間に合わなかったり、盛り上がっているときに音響担当の方が間違って音楽を終えてしまったり、といったこともありました。どんなハプニングが起こっても、その場の空気にあわせて臨機応変に対応しないといけません。パーティーは、いったん始まると止まらないし、どんどん変化していくんです。
それほど大きくないパーティーでしたら一人ずつとの会話なども通じて何となくコントロール、フォローできますが、たとえば100人以上の規模だとそういったことはできないので、全体の空気感が大事になってきます。お客さんの側でパーティーを客観的に見ながら、皆さんが楽しめているかやパーティーの雰囲気を見るようにしています。
------海外でもパーティーオーガナイズをされていますが、日本でのパーティーとどのような違いを感じますか?
コイケ: パーティーの要素は同じですが、違いが大きいのは、コミュニケーションにあふれていることです。初めて会った方でも積極的に話しかけすぐに親しく会話が始まる。日本だと親しい人とばかりついついお話をしてしまいますよね。あとは、日本だと料理をとにかくたくさん出さないといけないという雰囲気が強いことでしょうか。海外だと、ワインとフィンガーフードだけでも十分パーティーが成り立つように思います。
ニューヨークでデザイン関係者向けのパーティーをオーガナイズした際には、日本酒やお干菓子を用意し、源氏物語をモチーフにして日本文化の紹介もしました。ビジュアルについても、桜や和紙を飾るなどしていたので、日本文化に興味をもっておられる方をはじめ、とても喜んでいただけました。
------いまのお仕事を手がけるようになられたきっかけはありますでしょうか?
コイケ: パーティーに直接かかわることではないのですが、小さい頃の記憶でいまの仕事につながっていそうなことが二つあります。ひとつは、小学生の頃に友達が遊びに来ていたとき、母がクッキーを焼いてくれました。母は特にパーティー好きなタイプだった訳ではなく、特別なクッキーということではなかったんですが、部屋中に広がる甘くて幸せな香りはとても覚えています。
もうひとつも同じ頃のことなんですが、ある日の夕飯で母が買ってきたパンをたくさん皿に盛っていて、シチューを用意していたんです。夜にパンを食べる習慣はまずなかったですし、明らかにいつもと違いました。実はその日は母の誕生日で、母が自分で自分のバースデーパーティーを開いたのですが、なんとなくとても楽しく特別な出来事のように感じたんです。毎年私の誕生日会を盛大に開いてもらっていたわけでは全くないですが、その日の記憶はとても強いですね。そういうときの香りや照明の雰囲気、色づかいなどの記憶が、何か幸せで楽しくて、ステキなものを追いかけていたのかもしれません。
私は六甲で生まれ育ちましたが、地元に海外の方がたくさん住んでいる環境だったこともあり、海外文化への憧れもありました。
中学生のときに両親を説得して、初めてアメリカに一ヶ月滞在しました。現地で食べたものなどもとても覚えていますし、多感な時期に興味を持っていたというのは大きい気がします。大学の頃にも留学をしましたが、その時のパーティーの雰囲気などもよく覚えているし今の仕事に役に立っているのかな、と。その後、何をしていいか分からずに、OLとして働きながら悶々とした時期もありましたが、テーブルコーディネートという世界を知り、パーティーの現場のほうに興味をもつようになりました。目的が明確な企業のパーティープロデュースやライフスタイル提案としてのパーティーを実際にコーディネートするなかで、喜びを感じるようになったんです。
------これからどんな仕事をしていきたいですか?
コイケ: パーティーの場でうまれる笑顔やコミュニケーションを通じて、ひとが元気になったり幸せを感じたりします。そういう場や文化をもっと広めていきたいです。一人では難しいですが、企業イベントなどの大きな力を借りて発信したいですね。そのためにはいろいろな場所で新しい方々と仕事をしたいし、新たなことに挑戦したいです。
ホームパーティーレッスンの風景1 |
ホームパーティーレッスンの風景2 |
Home Party Lesson Facebookページ |
HDC大阪 食育ホームパーティーレッスン |
HDC大阪 「おうちビュッフェでみんな集まろう!」セミナー&ミニパーティー |
企業コラボレーションパーティーの風景1 |
企業コラボレーションパーティーの風景2 |
企業コラボレーションパーティーの風景3 |
紙だけで作ったパーティー空間 PAPER PARTY |
コイケ アカリ 兵庫県生まれ。パーティーオーガナイザー。篠原伯母野山デザイン、クリエイティブディレクター。 日本パーティープランナー協会設立やパーティープランナー・デザイナー養成講座運営に初代事務局長として従事。 コンセプトパーティやイベント企画等のプロデュースを行うほか、「ライフスタイルに、灯りを。」をモットーに、毎日の暮らしをより楽しく素敵にするためのホームパーティーやライフスタイル提案を行っている。 |
いま病院にいる。15年ほど前から通っている、奈良県は吉野に近い高取町の皮膚科だ。味のある古い木造建築で、病院というよりお寺のような場所。少しずつ改修されているけど数年前までは待合室が畳の部屋で、みんな思い思いに座布団を引いて寝転がったり、足を伸ばして本を読んだりしている。待ち時間が長いので、座布団を枕にしてがっつり眠りにつく人も多々あり。最寄り駅から病院までの街並もとてものんびりしている。“観光くすり町”という大きな出迎え門をくぐれば、タバコ屋や衣料店、小さな工芸ギャラリーなどがぽつぽつ。そのメイン道路の裏にはドブ川が流れていてその上に細い路地がある。僕はいつもこの裏路地を近道として使っているんだけどこの風景は15年間ほとんど変化がない。病院の周辺にある寺院もいい。もちろんこの地にまったく変化がないわけではなく、山が切り開かれメイン道路が拡幅されたり、家や店が取り壊され更地なっていったりと、少しずつだが開発は進んでいる。でも、やはりこの地の空気を吸うと、自分が精神面も含めて少しずつ回復していくことをいつも実感するのだ。
仕事や親族との付き合いを除いて、往復数時間かけて数十年ずっと通い続ける場所ってなかなかないのではないか。僕は職業上、仕事の現場も転々と変わってきているし、また3年に1回のペースで引越してるし、ただえさえ一所に留まる感覚を人一倍持たない人間なんだけど。でも、大阪の南に住んでいた実家暮らしの時代から、大阪市内の各地に住んできた時代から、いまの滋賀県暮らしまで含めてずっと通っている場所はおそらくこの病院以外ないのではないかと。病院という場所はそもそも定期的に通うものだろうけど、たまたま遠方の病院と出会ってしまった僕は、この年に数回の小さな旅に治療以上の意味を見いだしているのかもしれない。いつも自分に何かしらのリセット感をもたらしてくれる通院という旅。皆さんに同様の経験があれば嬉しいのだけど。
今日はこれまでの発明ネタっぽさはないかもしれないけど、“通院”を通じて見てきたその土地の空気を“患者”として感じながら上述のように書き綴ってゆく読み物があれば、僕は読んでみたいなと思ったんです。その名も雑誌『通院と旅』。これまで患者が書く読み物の代表的なものとして闘病記文庫などがあるけど、それとは全然違った患者による記録誌。もちろん生死に関わるような重い病気を患っている人はこの発想に対して、「何を流暢なことを…」と思われるかもしれない。でも、僕は“患者としていまその地に向かっている”というフィルターでないと、見えない景色、感じられない空気があると思うんだ。ある意味での“弱さ”を抱えた状態での旅。それをひとつの、病院をテーマにしてその土地の独特なエスノグラフィーが生まれてくるというのでもいいし(病院の多大な協力が不可欠ね)、全国津々浦々の色んな病院とその土地が鏤められた編集方針もありだな。そんな妄想に浸りながら、いま僕はその地から次の目的地まで、近鉄電車に揺られながら、車窓から見える夕暮れを眺めている。
(イラスト:イシワタマリ) |
アサダワタル(あさだ・わたる) 日常編集家/文筆と音楽とプロジェクト 1979年大阪生まれ。 様々な領域におけるコミュニティの常識をリミックス。 著書に「住み開き 家から始めるコミュニティ」(筑摩書房)等。ユニットSJQ(HEADZ)ドラム担当。 ウェブサイト |
三嬢たちは嬉しくて愛想をふりまく。
今夜もお常婆さまが芝居を見にきてくれた。
まわりは狐・狐・狐だらけ。
狐に囲まれていることも露いささかも気にする様子なく、お常婆さまは三嬢たちの芝居に夢中だった。
その熱心な観覧にお客の狐も大層嬉しくなって、お常婆さまにぼた餅や稲荷寿司のお裾分けをたんとした。
名残惜しそうにその晩の幕が閉じ、ぼんぼりの狐火が消えていく。
散り散り山へ戻る狐に混じり、お常婆さまも家へと歩を進めた。
その様子をいつまでも見送る白い狐が一匹。
三嬢いち白く四肢がすらりとした美しい白嬢の姿があった。
【出典・参考】大分県の昔話・まんが日本昔ばなしをもとに脚色しています。
ミホシ イラストレーター 岡山県生まれ、京都市在住。イラストレーターとして京都を拠点に活動中。 抒情的なイラストを中心に、紙媒体・モバイルコンテンツなどのイラスト制作に携わる。 |
やあ、私だ。カンヌで審査員特別賞を獲得し、今年の邦画で最も話題を呼んだ作品のひとつ、『そして父になる』。まさか赤ん坊の取り違えという同じモチーフのフランス映画が昨年の東京国際映画祭でグランプリになっていようとは。偶然のなせる業だが、公開時期が重なり、とても興味深い。タイトルは『もうひとりの息子』。是枝監督の作品が6歳での取り違え発覚だったのに対して、こちらはアイデンティティが既にしっかり構築されている18歳。しかも、舞台はイスラエル。ヨルダン川西岸の自治区に暮らすパレスティナの家族と、都会テルアビブのフランス系ユダヤの家族の間で赤ん坊が病院の過失により取り違えられ、テレコになった状態で大人になってしまう。設定としては、より深刻と言わざるを得ない。育った社会、宗教、言語がまるで違うどころか、そもそもコミュニティ全体としては互いに反目しあっているのだから。
監督はフランスの女性ロレーヌ・レヴィ。脚本を何度も改稿。キャスティングもそれぞれの社会に専任スタッフを配し、撮影前には現地に住み込むなどして慎重に準備を行ったようだ。我々が目の当たりにするのは、同じ土地でありながらまったく異なる生活様式であり、景色の違いである。テルアビブには高層ビルが立ち並び、カフェはそこがヨーロッパの都市だと言われてもわからないほどだ。海辺ではビキニ姿の海水浴客が戯れ、私たちが慣れ親しんだ西洋的な光景が広がる。一方、自治区はと言えば、決して肥沃とは言えない丘陵地に羊やラクダが群れ、石造りの質素な家々が密集して立ち並ぶ。そして、両者の間には、国際的にはアパルトヘイト・ウォール、そしてイスラエルではセキュリティ・ウォールと呼ばれる分離壁がぐるりとそびえ、通行証を持った限られた人だけが鉄条網の張り巡らされたゲートをくぐるというものものしい日常に唖然とする。
物語が進むに連れ、自らの意志に基づいて行き来するようになった「もうひとりの息子」たちが、それぞれに培ってきた教育と音楽によって相手側のコミュニティにぎこちないながらも溶けこみ、やがては互いの言語を口にするというモチーフの選び方と脚本の流れには希望を感じる。それを楽観的だとする批評もあるようだが、私はそんな評こそ安直だと言いたい。
作品の中で、二度、自治区の丘の上にある廃墟が出てくる。ふたりの息子がひとりずつ、それぞれ別のタイミングでイスラエルの大地を見渡す。監督は、彼(ら)を中心にカメラを360度ぐるりと回そうとしたものを、180度に変更したそうだ。言わずもがなだが、ふたりの若者、両者の世界観が合わさって、この土地全体(360度)の未来があるという考えに基づいたカメラワークである。ことほどさように、意図と願いを演出に盛り込んだレヴィ監督の誠実なフィクションの編み方に敬意を表したい。
(c) Rapsodie Production/ Cite Films/ France 3 Cinema/ Madeleine Films/ SoLo Films 『もうひとりの息子』 Le fils de l'Autre 英語題:The Other Son 全国順次上映中。 監督:ロレーヌ・レヴィ 脚本:ナタリー・ソージョン、ロレーヌ・レヴィ、ノアム・フィトゥシ 音楽:ダフェール・ユーセフ 出演:エマニュエル・ドゥヴォス、パスカル・エルベ、ジュール・シトリュク、マハディー・ザハビ、アリーン・ウマリ、ハリファ・ナトゥール、マフムード・シャラビ 2012年/フランス映画/105分/フランス語、ヘブライ語、アラビア語、英語 配給:ムヴィオラ MOVIOLA |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ/翻訳家 ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。 FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00) Inter FM (Mondo Musica / Mon.-Thu. 18:00-20:00) YTV (音楽ノチカラ / Wed. Midnight) |
無機質で古びたコンクリートは、廃鉱山などでよく見かけるが、そんな雰囲気を持った公園がある。ここはとある高速道路の高架下の公園だ。日の当たりにくい構造のためか、薄暗いこの空間は楽しそうな感じが全くしない。たった一つ置かれた総合遊具も一応そこにあるといっただけの感じ。しかし撮影後には何組かの親子連れがやってきて、子どもたちは大いにはしゃいでいた。陰鬱な空間と子供の歓声のミスマッチが特異な景色に見えた。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家 廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |
第1回書家川尾朋子 |
第2回字幕翻訳家伊原奈津子 |
第3回紙芝居弁士/ラジオDJ伊舞なおみ |
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第4回写真家田村尚子 |
第5回リソースアーキテクト河原司 |
第6回女優市川純 |
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第7回ランドスケープアーティストハナムラチカヒロ |
第8回翻訳家柴田元幸 |
第9回建築家光嶋裕介 |
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第10回プロ・ポーカープレーヤー木原直哉 |
第1回講談師旭堂南陽 |
第2回フォトグラファー東野翠れん |
第3回同時通訳者関谷英里子 |
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第4回働き方研究家西村佳哲 |
第5回編集者藤本智士 |
第6回日常編集家アサダワタル |
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第7回建築家ユニットstudio velocity |
第8回劇作家/小説家本谷有希子 |
第9回アーティスト林ナツミ |
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第10回プロデューサー山納洋 |
第11回インテリアデザイナー玉井恵里子 |
第12回ライティングデザイナー家元あき |