アサダワタル 日常再編集のための発明ノート教習所×地域住民が繰り広げる「安全運転推進のための町民演劇」とは |
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ミホシ 古典×耽美刑部姫 |
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野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳麻薬リストラ中毒 ~ただ彼女と眠りたかっただけなのに~ |
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小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー銭湯 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
内田樹さんの住宅兼合気道の道場である『凱風館』の設計で一躍注目を集めるとともに、緻密かつ幻想的なドローイングでも非常に高く評価されている若手建築家、光嶋裕介さん。彼に、設計に対する姿勢や発売されたばかりの新刊『建築武者修行』などについてうかがった。
-------まずは『凱風館』についてうかがいます。それまで一度しか会ったことがなかった内田樹さんから、当時まだ「建築家一年生」の状態だった光嶋さんに依頼があったときは、とても驚かれたことと思います。
光嶋: もちろん、大きな驚きでした。一度、山本浩二画伯に連れられてお会いしただけなんです。内田先生のことは著作を愛読していたので、知ってはいましたが、実際にお会いしてみると、父親の年齢であるにもかかわらず「かっこいいなぁ、自分も将来、こういう風な大人になりたいなぁ」と瞬時に思える存在でした。すぐさま、「内田先生」と自然と呼んでいる自分がいました。出逢ったその日に、内田さんから「道場を建てたい」という話題が出たからびっくりです。それまでまわりのひとにいつも「何か設計させて」と散々言いまくっていましたが、全然実らなかった。しかし、このときばかりは向こうからそういう話題が出たんです。建築家であることを猛アピールしました。「敷地が決まったら連絡するから」、と言ってもらって名刺を交換し、年末には年賀状のやりとりをさせてもらいました。最初は正直、社交辞令かと思いました。
じつは、2008年にドイツから帰国してすぐの頃は、新しい人脈をつくるべく、打算的に動きまわっていたこともありました。建築家というのは、他人から仕事を依頼されないと成立しない仕事ですから、とにかく必死で、「このひとと会えば仕事になるかも」といった感じで、かなり前のめりだった時期がありました。人脈を広げることこそが建築をつくるための最短の道だと考えていた時期でしたが、打算的に動いても何の結果にも繋がらないことを痛感しました。やはりひととひととの自然なご縁、尊敬と共有に基づいた素直なご縁が最も大切だなあ、と。
------『凱風館』の現場では、『みんなの家』で書かれているように、とても明確で高い意識をもつクライアント、そして施工側も熟練した大御所の職人たちがいました。当時は初めての現場ということで客観的に比べることが難しかったと思いますが、他でもいくつか物件を経験されたいま振り返ってみると、いかがですか?
光嶋: 何から何まで初めての現場でしたし、現場の方々は経験豊かな方ばかりで、「お前は、いままでに何も建てたことないやん」と言われてしまえばおしまいの状況ですから、とにかくひとの話を聞きました。ドイツの設計事務所での仕事はともかく、自分の責任ですべての決断をするという立場での初めての経験のなかで、「こうしなさい」と指示をするのではなく、まずは、いい建築をつくりたいという熱意を伝えるしか手だてはなかった。オーケストラの音楽でいえば、最高のバイオリニスト、ピアニストたちがいるわけですから。
最初の仕事というのは後々の仕事の基準にもなりますから、今ではその最初が凱風館だったというのは大きいと感じています。大きな一歩をスタートに、今は1から2、2から3という具合にステップアップし、どんどん高いハードルを越えていきたいと思っています。凱風館で目一杯やりたいことをやらせてもらえたのは、タッグを組んだ仲間たちが強者ばかりだったからであり、そこでのハードな交渉の経験はいまでも僕にとって大きな財産です。建物の設計だけでなく、たとえば書籍をつくる過程でも、編集者やデザイナーとの対話を経て、ひととひとの関係が凝縮され一冊の本が出来上がります。まさに「ものづくり」という共通点があり、当時の経験は、僕のなかで糧となっています。
------内田樹さんからの設計依頼のエピソードは、まだ設計経験があまりない若手建築家たちにも勇気を与えてくれますね。一方、光嶋さんの著書などから、ただのラッキーだったわけではなく、光嶋さんの建築や芸術全般への強い情熱があったからこその結果だと感じます。
光嶋: 僕にとって建築の世界の扉を開けてくれたのは、師匠の石山修武さんです。18~24歳までの6年間、早稲田大学の研究室でも、石山さんの自邸兼事務所である世田谷村でも、一番間近で建築という世界の複雑な魅力を学ばせてもらいました。そして、建築を設計することは、生半可なことじゃできないぞ、ということを教わった。貪欲に色々なことを多面的に吸収しないといけない。若い自我を捨て、ひととの対話を生む論理的思考法を叩き込まれました。世の中には、さまざまなクライアントがいるわけで、誰とでもオープンな対話ができなればならない。たとえばクラシックが好きなクライアントに対して、「いや、ぼく、ジャズは好きだけどクラシックは分からないんで…」などとは言ってられません。学生時代から社会性に対して広い視野を求められ、外に向かって自分を磨くこと、知らないことに対する知的好奇心が大事だと痛感しました。
たとえば、昔はダンスやバレエには関心が一切なかったんですが、ベルリンで生活するようになって実際に見てみたらすごく感激したんです。演劇も同じ。そういった経験や知識は統合されて、自分が建築を設計するうえで何かしらの影響があると信じています。グレン・グールドを聴きこんでいるからこういう設計ができる、といったような直接的なものではないですが、たとえばドローイングを描くときに、クラシックだったり、ジャズだったり、あるいは、ダフト・パンクを聴くことによって絵の雰囲気が変わる、ということはあると思います。場所の空気が音楽によって心情を変化させるとでも言えるでしょうか。そういう意味では感受性のセンサー、ボタンをたくさん持ちたいと常々考えています。さっき「ご縁」と言いましたが、これはボタンを押されたときに瞬時に健全な反応がどれだけできるか、という風に言い換えることができると思います。そういう自分のトータルな身体感覚を上げるよう、磨きつづけたいものですね。
------新刊の『建築武者修行 ―放課後のベルリン』についてうかがいます。コルビュジエ、ミース、ガウディなど、各地の建築を訪ね歩いた経験が描かれています。
光嶋: 『みんなの家。』(アルテスパブリッシング)は、ぼくの処女作のドキュメントですが、『建築武者修行 ―放課後のベルリン』(イースト・プレス)では学生時代より歩み続けたヨーロッパのひとり旅や4年間のベルリン生活の話であり、建築家として独立するまでの修行時代の話を書きました。その意味では、いくぶんマニフェストの意味合いも込めたつもりです。実際の十年に及ぶ旅の経験を言葉とスケッチで伝えるシンプルな構図ですが、言語化するにあたっては、非文節的な体験をひとつの芯が通った物語として書かなければなりません。そうやって抽出された経験の断片を再考し、編集していく過程において、自分でもまったく思いも寄らなかったことが思いついたり、不思議な点と点が結びついていく新鮮な発見がたくさんありました。非言語的な体験を言語化する作業は、とてもクリエイティブなものだと感じました。
誰しも建築に住んでいるという意味で「建築」には、素人は存在しない。そういう広い意味での「建築」という回路でいろいろなひとと接続したい。それは、建築の魅力を少しでもまだ見ぬ新しい読者に伝えたいからであり、より多くのひとにこの本を届けたい。
------NHK WORLDで放映されている「J-Architect」(毎月の最終木曜日に放映)のナビゲーターも務めておられます。海外で放送されるため、すべて英語でつくられた番組ですね(ネットストリーミングで日本でも視聴可能)。
光嶋: 9月26日は青木淳さん、10月は坂茂さん、といった感じで、世界的に活躍されている建築家の方々を取り上げています。彼らの最新作を見ながら直接インタビューができるというのは、ぼくみたいな駆け出しの建築家にとっては、非常に刺激的な経験です。そういう現場からの雰囲気が伝わればいいですね。各国のモニターからも、総じていい評価のようです。
もちろん慣れない撮影の現場では苦労もあります。最初のころは「表情がこわばってますよ」とよく言われたりしましたが、そりゃあ、こわばりますよね。「カメラ目線で」と言われても、レンズのどこを見ていいか分からなかったですし。試行錯誤の連続ではありますが、プロのナビゲーターになるわけでもないので、気楽に自分のできるベストを尽くし、あとの部分は一流の作り手の方々にお任せしています。この番組でのぼくの役割は、日本人建築家のつくる建築の魅力を世界の視聴者に英語で発信することにあるのです。
------著書『幻想都市風景』(羽鳥書店)では、緻密で幻想的なドローイングを発表されています。継続的に描いておられますが、建築設計と絵を描くことの関係はどのようなものですか?
光嶋: ぼくのなかには、すべてにおいて明確な繋がりがあります。一言で言うと、「建築家としてやっている」という原点ですね。先のテレビのMCも、文章を書くことも、すべてにおいて根底にあるのは、自分が「建築家である」という立ち位置を変えることなくすべての仕事をしているということです。凱風館での現場では、強者たちが集まったという話をしましたが、そういう場において、「こういう建築をつくりたい」という目指すべき方向をみんなで共有するためには、自分のなかの熱意が大切だと思っています。クライアントや職人さんなど、皆がそうやって同じ方向を向いてくれれば、現場でのいろいろな壁を乗り越えられるものです。
ぼくにとって絵を描くことの本質は、そうした建築に対する熱意や向かうべき場所を自分のなかにしっかりと確認し、根付くための創造の作業なんです。現場での共同作業には複数で束になって解決する大きな課題がありますが、先の熱意や情熱というものは、中心にいる者がしっかりとチームメンバーの全員に伝達しないといけない。ぼくにとってはドローイングがそうした自分の原点と向き合う時間であり、自由な感覚を養うための基礎トレーニングのようなものです。野球選手の素振りみたいなものでしょうか。静まり返った深夜の静寂の時間に、白紙の紙と向き合って、自分と対話するのです。
------ところで、子どもの頃は、どのように過ごしましたか。
光嶋: 男3兄弟の次男としてやんちゃに育ちました。子どもの頃は、野球ばかりしていて、たまに絵を描くと親に「上手、上手」とよく褒められたものです。すぐその気になっていましたが、実家にある子どもの頃の絵をいま見ると、大した絵ではないんです。褒めることの力は偉大だと感じましたね。今は大学でも教えているので、学生たちの学びを駆動させることと、褒めることの効果とバランスの大切さを強く実感しています。
アメリカ、イギリス、カナダに住んでいた頃から、父親に連れられて家族でよく美術館に行きました。立派な絵画を実際に見ることで、本物のエネルギー、時間を越えてきた作品に憧れるようになりました。それが更には、都市に対しても時間の積層したような表情が魅力的に見え始めました。
早稲田大学の附属高校に通ったことで、大学受験がなかったことも大きかったと、今にしてみれば思います。油絵を描いたり、音楽のバンド活動をやったりと、新しいことにどんどんチャレンジしていきました。受験がないせいで、将来の可能性について悩みながらも、じっくり考えることができました。頼りにしていた美術の先生に「建築は芸術の最高峰や。ひとの命を守る大切な存在だからね」という風に教えてもらったんです。そして、大学で建築を選択し、先に述べた石山さんが建築世界への扉を開いてくれました。
------最後に、これからどんな建築をつくっていきたいですか?
光嶋: 僕は名建築を旅することで建築世界の魅力を教えられました。そして、魅力的な建築というのは、ある特定の場所に、そこのひとびとたちのために堂々と建っていました。そうした建築は、愛着をもって、生きられていくものです。建築設計の世界には、ひとつの絶対的な正解があるわけではありませんが、建築家は自分の責任でもって最良の選択をし、ひとつの答えを提示せねばなりません。そのためには、考えつづける必要があります。その場所に根付いた、丁寧につくられた建築は、その建築に携わったひとびとの思いを宿し、いい歳のとり方をするものです。僕は、自分の感性を磨きながら、土地やクライアントから届く最良のシグナルに反応し、それを建築という形にすることで、「みんな」に喜ばれる建築をつくり、それがあわよくば、時間を超えて文化として残っていくような本物の建築を、いつかつくりたいと思っています。念じれば叶うはず。そんな風にして、いつか豪快な予告ホームランを打ちたい。
凱風館 外観 (C)鈴木研一 |
建築武者修行 ―放課後のベルリン
光嶋 裕介 (著) 出版社: イースト・プレス (2013/9/7) |
みんなの家。建築家一年生の初仕事
光嶋裕介 (著), 内田樹(ゲスト) (著), 井上雄彦(ゲスト) (著), 山岸剛 (写真) 出版社: アルテスパブリッシング; 四六版 (2012/7/10) |
幻想都市風景
光嶋 裕介 (著) 出版社: 羽鳥書店 (2012/6/15) |
『J-Architect』NHK WORLD【テレビ】 第一線で活躍する日本人建築家を世界に紹介する番組。 毎月最終木曜日、ネットストリーミングで日本でもご覧になれます。(放送日には、4時間おきに6回放送) MC:光嶋裕介 |
レッドブル・ジャパン・本社オフィス 会議室を小屋にし、路地や縁側がある、外部のような内部をもつ開放的なオフィスの提案 (C)山岸剛 |
レッドブル・ジャパン・本社オフィス (C)山岸剛 |
photo by RurikoTaniguchi |
光嶋裕介(こうしま ゆうすけ) 建築家。1979年、米ニュージャージー州生まれ。 8歳までアメリカで育ち、ミドルネームは「ブライアン」。帰国後奈良の小学校を卒業するとまた父の転勤でカナダ、トロントへ。その二年後には、英国のマンチェスターへ。 2002年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同大大学院へ。石山修武研究室に所属。石山さんの自邸兼事務所である「世田谷村」で朝から晩まで図面を描き、模型をつくる。2004年、大学院卒業とともにヨーロッパへ。ドイツの建築設計事務所で勤務。 2008年に帰国し、事務所を開設。内装設計やコンペに励み、ドローイングや銅版画を描く日々。2011年、思想家の内田樹さんの自宅兼道場(合気道)である凱風館【がいふうかん】が神戸に完成。若手建築家の登竜門である、SDレビュー2011に入選。 2012年からは、首都大学東京・都市環境学部に助教として勤務中。 光嶋裕介建築設計事務所 www.ykas.jp |
このお盆、34歳にしてようやく普通自動車免許を取得した。これまで大阪の都心に住み、自転車と電車さえあればどこでも行ける環境だったし、必要な時は仲間の車に乗せてもらいつつ助手席で身勝手なマシンガントークを繰り広げながらなんとかおんぶに抱っこで乗り切ってきたのだが…。しかし、昨年、滋賀県に転居。くわえて地方に滞在することが多くなったり、もうすぐ第一子が誕生予定…。こんな諸々の理由で、なんとか2週間の予定を空けて京都の山奥の免許合宿に駆け込んだのだ。
一緒に入学した人たちは、ほぼ18歳~20代前半。僕はだいぶ場違いな感じ。でもなんせ自由業の身なので見た目が若いせいか、いかにも地元では悪い遊びをしてきただろう18歳の男の子と結構仲良くなったり。合宿ならではの一夏のアバンチュール的な状況(僕は一切無関係だけど)が透けて見える男女の動向を観察して楽しんだり。しかし、肝心な運転技術は散々たるもので、仮免試験の前日の見極め段階で落ちるという次第に。その後はなんとか挽回して一日だけの延長で卒業できたのだが…。何より興味深かったのが、路上教習の時にまるで“仕込んでいる”かのように、脇からサッカーボールが飛んできてその後に子どもが走り出してくるとか(「キャプつばか!」って思わずその場で声に出して呟いてしまったが…)、めちゃくちゃよぼよぼのおばぁちゃんが歩道と車道すれすれのところを歩いているとか、引っ越しの兄ちゃんが積み込みのために大胆に駐車しててめちゃくちゃ視界が悪いとか。僕はその時思ったのだ。「これはひょっとして“演劇”なんじゃないか」と。
国土交通省は「平成24年度自動車事故対策費補助金」の交付を決定。目的は、自動車事故による被害者保護の増進及び自動車事故の発生防止を図るため。「安全運転推進事業」の枠では、全国各地計19件の教習所がこの交付を受けている。中には、雇用創出に課題を抱え、過疎化に歯止めがかからない地域もあろう。決して雇用対策の交付金ではないが、そこは知恵の絞りどころ。この「安全運転の推進」のための教育プログラムを教習所と地域住民と恊働で開発することに活路を見いだす自治体が現れてくるのではないか。そこで前述した「演劇」という話に繋がる。つまりこういうことだ。教習所の職員たちが「脚本兼演出家」として、町民が「役者」としてこの交付金で雇用される。職員はまず路上実習の経路作成を行うとともに、どの交差点でどの役者をどんなシチュエーションで登場させるかを、すべて演技指導する。そして町民はスタントマンさながら、時には自らの命をかける覚悟で配役を務める。すべては教習生に安全対策意識を叩き込むため。こうして、国土交通省的にも、厚生労働省的(雇用対策という意味で)にも、もっと言えば文部科学省的(市民参加型演劇という意味で)にも、とっても効果的なモデル事業「安全運転推進事業町民演劇」が行われる!しかし、この妄想はどうも外れていたようで、前述の19件の中に僕が通った教習所が含まれてなかったのだが…!
(イラスト:イシワタマリ) |
アサダワタル(あさだ・わたる) 日常編集家/文筆と音楽とプロジェクト 1979年大阪生まれ。 様々な領域におけるコミュニティの常識をリミックス。 著書に「住み開き 家から始めるコミュニティ」(筑摩書房)等。ユニットSJQ(HEADZ)ドラム担当。 ウェブサイト |
図書は月を見上げた。雲もなく美しい秋の月が浮いている。
ぼんやり見ていると月の光があの目によく似ていることに気付いた。
しっかりとした輪郭なのにやわらかく照らす…何もかも見据えたような…。
天守で出会ってからというもの刑部姫を忘れる事ができなかった。
最初は驚いた。まさか天守に怪異が住んでいるなどと信じていなかったから。
しかしいざ会話をしてみると、荒々しい中にも楚々として妖怪と呼ばれるような姫には見えなかったのである。
今頃姫も月を愛でているのだろうか?同じ城内に居るのに遠く感じる。
図書!!
寝所の奥から城主の声がした。
【出典・参考】老媼茶話、まんが日本昔ばなしをもとに脚色しています。
ミホシ イラストレーター 岡山県生まれ、京都市在住。イラストレーターとして京都を拠点に活動中。 抒情的なイラストを中心に、紙媒体・モバイルコンテンツなどのイラスト制作に携わる。 |
やあ、私だ。消費増税の目論見が透けて見えるような景気回復の知らせがかまびすしく聞こえてくる一方で、大企業の冷酷な手段を講じたリストラ話が引きも切らない。リストラは短期的には企業経営を上向きにさせるが、社内の空気を濁し、長期的には優秀な社員までも放出してしまうというリスクをはらんだ麻薬のようなものという見立てがある。実際のところ、首を斬る側も高い報酬と引き換えに精神的にギリギリのところまで追い込まれる例が後を絶たないと聞く。企業がどんどん多国籍化する中で、各国の映画もこうしたテーマを扱っている。今回は、この程京都で日本初上映となる2004年のイタリア映画『ただ彼女と眠りたかっただけなのに』を紹介したい。
マルコ・プレッシは、ある多国籍企業の若きエリート社員。これまで社員の啓発を行ってきた彼は、ある日フランス人上司ジャン=クロードに、3ヶ月で25人の「刈り込み」を命じられる。これまで仲間だった社員をひとりひとり面談して目標達成に向けて努力するうち、彼の仕事はずぶずぶと私生活を侵食し、家族や愛する恋人の存在をないがしろにするようになり…。プレッシがリストラという麻薬の罠に絡め取られて様子が何とも切なく痛々しい。
カプッチョは、後味のほろ苦いコメディーを得意とする監督だ。物語をうまく映画的に省略することに長けていて、本作でも登場人物が多い作品を手際よくまとめながら、労働の価値を風刺した驚きの結末までグイグイと観客を引っ張っていく。現代イタリアを代表する人気俳優ジョルジョ・パソッティの好演と、イタリアでは誰もが知る日本人女優市川純の冷徹なほどにクールなキャラクターにも注目いただきたい。
私がフィルム探偵業の一環として主宰する京都ドーナッツクラブが自信を持ってオススメするカプッチョの手腕をまとめて堪能できる機会がついにやって来た。他にも、自主映画制作の苦労と喜びを映画愛あふれる引用を散りばめて描いたカルト作品『フィルムがない!』や、敏腕弁護士が病気をきっかけに人生観を問い直させられる代表作『ふたつにひとつ』に字幕を付けて初めて日本のスクリーンにかける。関連イベントも用意しているので、DVDでは観られないイタリアの未知なる作家カプッチョの実力を「どんなものかね?」と観に来ていただきたい。
(C) 2012 Magda Film, Paco Cinematografica 『ただ彼女と眠りたかっただけなのに』 Volevo solo dormirle addosso 監督:エウジェニオ・カプッチョ 脚本:マッシモ・ロッリ、アレッサンドロ・スピナーチ 出演:ジョルジョ・パソッティ、市川純 配給:京都ドーナッツクラブ 2004年/イタリア/カラー/96分 DVDでは観られないイタリア映画 アゴスティ&カプッチョ特集 2013年9月7日~20日 京都 元・立誠小学校 特設シアター (1897年に日本で初めて映画が上映された由緒ある場所に設置されたスクリーン) |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ/翻訳家 ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。 FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00) Inter FM (Mondo Musica / Mon.-Thu. 18:00-20:00) YTV (音楽ノチカラ / Wed. Midnight) |
風呂なしという住居が少なくなってきたためか、銭湯を利用する客は減少傾向にあるという。客層のほとんどが常連さんというケースが多いが、近ごろでは銭湯ファンが少しずつ増えているようだ。昭和の懐かしい感じや、大きい浴槽につかる爽快感を求めたり、薬用風呂やジェットバスなど家庭のお風呂にはないものを体感できるのも銭湯の魅力だ。また、展示会や講演会、スタンプラリーを行う地域もあり、盛り上がりを見せてきている。ちなみに銭湯上がりはスコールを飲むのが最近の私のお気に入りだ。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家 廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |
第1回書家川尾朋子 |
第2回字幕翻訳家伊原奈津子 |
第3回紙芝居弁士/ラジオDJ伊舞なおみ |
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第4回写真家田村尚子 |
第5回リソースアーキテクト河原司 |
第6回女優市川純 |
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第7回ランドスケープアーティストハナムラチカヒロ |
第8回翻訳家柴田元幸 |
第1回講談師旭堂南陽 |
第2回フォトグラファー東野翠れん |
第3回同時通訳者関谷英里子 |
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第4回働き方研究家西村佳哲 |
第5回編集者藤本智士 |
第6回日常編集家アサダワタル |
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第7回建築家ユニットstudio velocity |
第8回劇作家/小説家本谷有希子 |
第9回アーティスト林ナツミ |
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第10回プロデューサー山納洋 |
第11回インテリアデザイナー玉井恵里子 |
第12回ライティングデザイナー家元あき |