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(聞き手・進行 牧尾晴喜)
ポール・オースターをはじめとする現代アメリカ文学の名訳で知られる翻訳家、柴田元幸さん。彼に、翻訳を手がけた新刊『失踪者たちの画家』を中心に、原書との出会い方など翻訳にまつわる話をうかがった。
-------まずは、柴田さんが翻訳を手がけられた新作『失踪者たちの画家
』について。ポール・ラファージのデビュー作で、あらすじを紹介するのが難しい本ですね。読みどころというか、どんなお話なのかについてうかがいます。
柴田: じつは一時期、この話を新聞での連載小説にしないかという話があったんです。明治以来、翻訳の新聞小説はなくて、それを100年ぶりくらいにやろうかと。結局、事情があって新聞小説の話は立ち消えになったんですが、この本が新聞小説に向いていると思ったのは、1ページに必ずひとつ、変なこと、つまり奇譚が書いてあるからです。
小説全体も奇譚なのだけれど、ひとつひとつのエピソードもミニチュアの奇譚になっています。話のなかに店がでてくれば、店の描写に変なところがあるし、山に行けば山も変なんです。反射神経的に変なことを考える作家なんでしょうが、それが面白い。柴崎友香さんが推薦文を書いてくれたんですが、『一行読み進めるごとに、この「都市」は姿を変えていく!』というのは、まさにその通りです。もちろん、それだけで300ページの小説にはならないので、恋人がいなくなったりするような、大きな話もあります。妙に説明しようとしないで、不思議な雰囲気をどこまでもリアルに追求していく小説です。
たぶん日本のほうが、アメリカよりもこの作品を分かってもらえると思います。アメリカって、小説にはすごくリアリティを求めるんですよね。日本では、幻想的な部分がない小説のほうが珍しいくらいで、リアリティから外れてしまうことに寛容です。
------舞台となる街、建物の描写も印象的です。柴田さんご自身もあとがきで『「都市」こそがこの小説の主人公だという評もある』と触れられています。
柴田: 見事にどこの街でもないですね。死者が生者の街にやってくるわけですが、何世紀か、どこの場所かも分からない。そういう枠組みで考えるので、具体的な街のイメージと結びつかない。アジアじゃないだろうが、とくに欧米っぽいかというところもないです。
------運河をはさんで向かいあっている博物館など、アメリカよりはヨーロッパっぽいイメージなのかな、と何となくおもうシーンもありました。
柴田: たしかに、あえていえば、ヨーロッパっぽいかもしれません。この作家の3作目はフランス語を英語に翻訳した対訳形式になっていたりするし、ヨーロッパびいきという感じはあります。アメリカという感じは少ない。ぼくはやっぱり、ポール・オースターのように、ヨーロッパ志向のアメリカの作家が好きですね。
------この作家(ポール・ラファージ)は、プロフィールをみても、ずいぶんと遊び心がある方のようですね。「学校で花火のデザインを教えている」とか。
柴田: そんなことあるわけないだろ、みたいな(笑)。
「フランス語を翻訳した英語版」という形の3作目は、ポール・ポワセルというフランス人が著者ということになっています。きちんと確認はしていませんが、もとのフランス語版というのはおそらく存在しないでしょう。こういうのは、本を売ろうと思ったら損をする遊び心でもあります。フランス語からの訳書ということで、本屋ではフランス語の作者の名前に入ってしまいますから。まあ、ポール・ラファージの本がもっと売れたら、状況は変わるでしょうけど。ポール・オースターにもポール・ベンジャミンという別のペンネームで出していた本がありますが、いまはオースターのファンなら知っていることだし、本屋でもオースターの本として並べていたりしますから。
------表紙や挿絵にある、スティーヴン・アルコーンの版画も魅力的です。植物画だけでなく、ジャック・ロンドンなど作家のポートレイトも描かれているようですね。
柴田: ミュージシャンのポートレイトもやっていて面白い方ですよね。この小説では画家の話が出ているので、こういう小説の絵って案外描きにくいと思うんですが、魅力的になっています。
------柴田さんは、翻訳の技術はもちろん、その選書眼でも有名です。今回のポール・ラファージという作家も、日本ではほとんど知名度がありませんでした。
柴田: ポール・オースターみたいに有名になっている作家の本をどんどん出せるのも嬉しいですが、日本で知名度ゼロの作家の本を出せるのもうれしいです。「この作家はすごい」と自分は思っていて、でも他ではまだ知られていない、というのは今のところこのラファージが最後かもしれません。
------日本にまだ紹介されていないような作家や作品は、どのように発掘されるんでしょうか?
柴田: ひとつには、海外の書評をみるとか、知り合いの作家、たとえばポール・オースターから「この本が面白かったよ」といった情報の届き方もあります。でも、一番いいのは本屋に行って、ぜんぜん知らない作家や作品を手にとってみて、面白そうだ、というパターン。こういう出会い方、案外多いんです。
レベッカ・ブラウンなんかは、本屋で見つけなければいまだに知らなかったです。バリー・ユアグロー、ノーマン・ロック、なんかもそう。ほぼ間違いなく。もとの本も、Amazonでも扱っていないくらいの小規模な出版社から出ていたりしますから。
------柴田さんの翻訳がきっかけとなって注目を集めたので、レベッカ・ブラウンなどは本国アメリカよりも日本でのほうが人気があると言われていますね。
柴田: 彼女の本のときは、いろいろな意味でほんとにラッキーでした。好きな小説だけど日本で翻訳を出すのは難しいかなあと思っていました。エイズ患者の介護の話で、地味なんです。大学の授業で扱って学生は気にいってくれてたりはしたんだけど、社会性だけでとらえられるのは嫌だし、と。
それが、雑誌『オリーブ』の400号記念のとき、いくつか出した翻訳の企画が却下されて、困ったなあと(笑)。他の本命とあわせてついでみたいな感じで出したら、そのレベッカ・ブラウンが通ったんです。担当の編集者たちが粘り強かったのがよかったんでしょう。いわゆるオリーブ少女たちが読んでくれました。「わたしは小説なんて読まないけれど、これはよかった」といった反響もあって、それで担当者たちも力を入れて、単行本にしよう、と。そういう編集者たちの熱心さがはたらきました。
レベッカ・ブラウンの本を見つけたのはイギリスの本屋でした。当時はアメリカではまだぜんぜん認められていなくて、イギリスでは本はいちおう出た、という感じでした。やはり本屋に行くのは大事です。
------原書との出会いのほかに、編集者や出版社とのタイミングも重要ですね。今回の『失踪者たちの画家』ではいかがでしたか。
柴田: 今回の本は中央公論新社から出ているんですが、村上春樹さんがレイモンド・カーヴァーやフィッツジェラルドの翻訳を出されたときの編集者で、ぼくも村上さんの翻訳本では英語のチェックでお手伝いをしているので長い付き合いがあります。「一冊、柴田さん自身の本を」と言ってもらって始めたのがこれなんです。関係者みんなが盛り上がってくれました。どの編集者も熱心だし、どの本でもある程度は盛りあがるんだけれど、今回はいろいろなできごとがとくにいい感じで作用しました。
------柴田さんが翻訳された本は、ほぼ毎年、数冊のペースで刊行されています。ものすごいスピードです。
柴田: 基本的に大学の夏休みに翻訳をすることが多いです。
仕事にかける時間と出来高のことを考えると、時間をかければとてもいい仕事ができるという人もいて、それが一番いいんだろうけれど、ぼくは短期的にいっぱい仕事ができるほうなんです。そのあとはあまり考えても仕方がない。もちろん推敲はしますが、ある編集者からは、「柴田さんあんまり直さないでください、最初の勢いがなくなりますから」と言われたりもします(笑)。最初のが一番いい、というのは結構あります。生まれつき足が速いというのと一緒で、ぼくの場合は偶然に翻訳をするのが速いんです。物を書くのも、本を読むのも人並み以下だと思うけれど、とにかく訳すのは速い。
------翻訳のお仕事は、少しずつコツコツとされるのか、あるいは一気に仕上げるのか、どちらでしょうか。
柴田: 基本的に、毎日ちょっとずつよりも、一日中やれるのだったら、そっちのほうがいいです。スイッチをいれてすぐに100%の能率、とはなかなかいかないので。30分、1時間とやってるとちょっとノッてきます。半日もやっていれば、あとはずっとオートマティックで動く、という感じです。
------直訳、意訳、などのバランスで心がけておられることはありますか?
柴田: 原則、直訳です。直訳調で変な感じになるようであれば、最低限はしぶしぶ変えるという感じですね。バランスというよりは、できるだけ何もしない、ということです。建築での比喩は分からないけれど、料理でいえば、なるべく日本料理のような(笑)。
------どのような子どもだったかについてお聞きします。昔から本や英語がお好きでしたか?
柴田: 子どもの頃は漫画しか読んでなくて、本とかは全然読んでなかったですね。読書量とかは、本当に少ない。何をすればいいか分からない子どもでした。小学生や中学生の頃は、アメリカのポピュラーソング、ビートルズ解散のちょっと前あたりから聴きはじめました。そういうのが好きで、英語にはなんとなく親しみはあったんです。中学校では勉強はわりと得意で、とくに英語は好きでした。学校の試験なんかの英語は得意で、何を本当にやりたいのか分からないまま、大学まで来ちゃいました。
------そしてアメリカ文学や英語のほうへ進まれるわけですね。
柴田: 大学ではありがたいことに、英文や仏文といった進学先(専攻)を3年生にあがるときに決めるシステムでした。英語が得意だからとりあえず英文に進んだわけです。でも英文に行ってみたら、とにかく文学について語りあうところで、全然駄目だったんですけれど、大橋健三郎先生というすばらしい先生がいて、こんな先生みたいになりたいな、と。企業に勤めるという気もなかったので、そのまま英文の大学院に進みました。大学院でも翻訳は意識してなかったです。機会があればやりたいけれど、それを仕事にできるとは思ってなくて。あんまり向いてる気はしませんでしたが、アメリカ文学を教える文学兼英語教師でいこう、と考えました。
大学で教える仕事をしているうちに、翻訳の仕事はアルバイト的に何かとまわってきました。それを一つずつこなしているうちに、編集者や出版社とのコネクションもできてきて、だんだん好きなことができるようになってきたんです。「自分でぜひこれをやりたいと思って、あてはないけどコツコツ訳していた」といったカッコいい話ではないです。
当時のぼくがいかに翻訳に興味がなかったかということで言えば、たとえば、1987年か88年くらいに、ポール・オースターを発見しました。まあ、発見と言っても、丸善で勝手に見つけて読んだだけなんですが。こんな面白いものは当然日本語に訳されているだろうと思って、翻訳されているかどうかについて、確認もしていなかったんです。アメリカ文学の研究者になろうということだけを考えていたので、翻訳の棚なんて見もしなかった。ところが、いざ見てみたら、何も訳されていなかったんです。オースターもミルハウザーも。
------これからどんな翻訳を手がけられたいなどのビジョンはありますか?
柴田: 目標というのはないです。トップダウン的に、大きなビジョンがあって仕事をしたことはないんです。いつもボトムアップ的にひとつひとつを手がけています。
そういう意味では、『モンキービジネス』みたいな雑誌をするのはよかったです。まあ、雑誌も本当はトップダウン的にやってもいいのかもしれませんが。ぼくの場合は行き当たりばったりで一冊一冊、やっていきます。またこの秋から『モンキービジネス』も『Monkey』と名を変えて再開します。
オラクル・ナイト[単行本] ポール オースター (著), 柴田 元幸 (翻訳) 新潮社 (2010/09) |
ナイフ投げ師 (白水Uブックス179) スティーブン ミルハウザー (著), 柴田 元幸 (翻訳) 白水社 (2012/6/9) |
犬たち レベッカ・ブラウン (著), 柴田 元幸 (翻訳) マガジンハウス (2009/4/23) |
in our time アーネスト ヘミングウェイ (著), 柴田 元幸 (翻訳) ヴィレッジブックス (2010/5/20) |
ナイン・ストーリーズ (ヴィレッジブックス) J.D.サリンジャー (著), 柴田 元幸 (翻訳) ヴィレッジブックス (2012/7/20) |
代表質問 16のインタビュー (朝日文庫) 柴田 元幸 (著) 朝日新聞出版 (2013/7/5) |
翻訳教室 (朝日文庫) 柴田 元幸 (著) 朝日新聞出版(2013/4/5) |
アメリカン・ナルシス―メルヴィルからミルハウザーまで (アメリカ太平洋研究叢書) 柴田 元幸 (著) 東京大学出版会 (2005/05) |
翻訳夜話 (文春新書) 村上 春樹 (著), 柴田 元幸 (著) 文藝春秋 (2000/10) |
翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書) 村上 春樹 (著), 柴田 元幸 (著) 文藝春秋 (2003/7/19) |
柴田 元幸(しばた もとゆき) 1954年東京生まれ。アメリカ文学研究者、翻訳者、東京大学文学部教授。 ポール・オースター、スティーブン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウンなど、現代アメリカ小説の多数の名訳で知られる。 著書に『ケンブリッジ・サーカス』、『翻訳教室』、『アメリカン・ナルシス』、村上春樹氏との共著に『翻訳夜話』、『翻訳夜話2 -サリンジャー戦記-』など。 2005年、『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)で、サントリー学芸賞を受賞。2006年、2010年、『メイスン&ディクスン』(上・下)で第47回日本翻訳文化賞を受賞。 |
この夏、音楽界隈では、緑の党の比例代表で出馬した三宅洋平氏の動向に注目が集まった。「政治に参加し、政治をアート」にする姿勢を貫き、「選挙フェス」という祝祭的な政治運動を展開した彼の活動は、既存の選挙手法しか持ち得ない政治家たちに対して驚きを与えたのみならず、音楽家を始め、様々なアーティストたちが、自らの芸術活動の社会的な意味を捉えなおす機会をも与えた。176,970票の個人票を得たが、緑の党が当選枠を獲得できずあえなく落選。しかし、「まつりごと」という共有の語源を持つ、「祭事」と「政事=政治」を近づけて、政治に対する意識変革を促した彼の功績は大きい。
話は変わって、都市に祝祭的空気が溢れる事例のひとつとして、マラソンがある。年末~翌年春にかけて、東京や京都や大阪などを中心に、全国各地で恒例の都市型マラソンが開催される予定。この夏からエントリーが始まり、各地で賑わいをみせている。中でも『大阪府大阪市で「全国スイーツマラソン」開催 -200種のスイーツを提供』( 2013年8月1日付「マイナビニュース」)、『大井競馬場で人がレース?-マラソンイベント開催、スタート時にファンファーレも』( 2013年8月1日付「みんなの経済新聞ネットワーク」)など、かなりユニークな演出を施したものも開催されるようだ。海外では、旅行会社と連携することで観光資源としての価値を高め、国外からも多くの出場者を集めるホノルルマラソンのような成功事例もある。2007年に東京マラソンが開幕したのも、まさにそういった観光資源としての都市型マラソンを世界にアピールするといった背景もあるだろう。
しかし都市型マラソンの可能性をそれだけに留めておくのはもったない。これだけ大多数の人たちが日常的に見知った街中で一斉に同じ方向に向かって行動している、ある意味では特殊な風景が生まれている状況を、「社会運動資源」としても活用してみようではないか。そこで発明したいのが、動画編集ソフト「デモソン」だ。テレビなどで中継されているマラソン映像を瞬時に呼び込み、ランナーへの着せ替えツール(反対ハチマキやヘルメット、バトンならぬゲバ棒、タスキも社会的メッセージが色濃いもの)からオーディエンス自体や中継車を、追随する第二デモ隊やデモカーへと加工するツールも満載、「頑張れ~」のかけ声も、音声エディット機能で「反対~!」や「辞めろ~」などに自由にチェンジ。スピード調整機能を使えば、本物のデモのようなスローな感覚も実現。さぁ、あなたも「デモソン」を使ってマラソンという「祭事」を「政治」という名の「マツリゴト」へと再編集しよう。
ボストンマラソンで起きた悲惨な結末を孕む強引なテロのように、決してあってはならない政治活動も無論存在する。しかし、自分たちの日常生活を表現的なレンズを通して見つめ直すことによって、様々な風景に潜む状況をまったく別の価値へと組み替えてゆく、意識の上での「政治」活動はとても重要なのではないか。
(イラスト:イシワタマリ) |
アサダワタル(あさだ・わたる) 日常編集家/文筆と音楽とプロジェクト 1979年大阪生まれ。 様々な領域におけるコミュニティの常識をリミックス。 著書に「住み開き 家から始めるコミュニティ」(筑摩書房)等。ユニットSJQ(HEADZ)ドラム担当。 ウェブサイト |
安房国が…もうあんなに遠くに見える。
少し後ろ髪を引かれたような気がした。
ひんやりした山風のせいだろうと言い聞かせた。
八房、おまえは寂しくないの?
私は少しだけ…父様と金椀様のことが気にかかる。
でもこれは君主の約束…。
八房、おまえが行きたい場所に行くが良い。
私はおまえの背に乗りついていこう。
道中疲れたら撫でてあげる。
今日から妻夫だもの。
【出典・参考】南総里見八犬伝をもとに脚色しています。
ミホシ イラストレーター 岡山県生まれ、京都市在住。イラストレーターとして京都を拠点に活動中。 抒情的なイラストを中心に、紙媒体・モバイルコンテンツなどのイラスト制作に携わる。 |
やあ、私だ。学芸カフェ期待の新人のお出ましだ。作品を観ながら、興奮を禁じえなかった。もう何年もここで駄文を書き連ねているが、こんな感覚は初めてである。何しろ建築物が準主役ばりに登場し、どのショットも幾何学的に美しく計算されているのだ。そのホープとは、これが長編デビュー作となるイタリアの女流監督エリーザ・フクサス。1981年生まれと若く、なんと父親はあの建築家/デザイナーのマッシミリアーノ・フクサス。管見が災いして私は知らなかったのだが、このカフェの常連客なら必ずやご存知だろう。彼女自身も大学では建築を学んでいたというから、処女作でのこうした映画的アプローチも納得だ(劇中には父親の作品で建築中の『エウル新コングレスセンター』も登場する)。
舞台はローマ近郊のエウル。1930年代からムッソリーニによって整備されていった計画的な新都心地域で、ファシズム期らしくやたら威風堂々とした規模の大きな建築物が今も連なる、言ってみれば「ローマっぽくない」街並みだ。8月。人々はバカンスに出かけ、街は文字通りほとんど空っぽ。20代の音楽教師ニーナは、中国での生活を夢見ていて、留学試験のために勉強を続けている。両親の休暇中に犬のオメロの面倒を見てくれと親友から頼まれた彼女は、エウルにあるマンションに住み込んで夏を過ごすのだが、そこで風変わりな人々(わざわざ夏のローマに居残る少数派)に出会い、ぼんやりゆっくり、しかし確実に心境が変化していくことになる。
と、ストーリーの要約をしながら気づくのは、この作品のウェイトは明らかに映像美の構成にあるということだ。必ずしも線状に物語が運ばず、短い作品なのに端的に説明しづらい。我々日本人が抱くイタリア人のイメージとは程遠く、ニーナは控えめで捉えどころがない。ところが、彼女の一夏の日常は淡々としているようでいて、実は冒険に満ちている。フクサスは、台詞による説明は極力控えたミニマルな脚本をもとに、こうした難しい表現をファッションブランドに協力を仰いだ的確な衣装や建築物の空間的な配置で実現している。結果としてスクリーンに表出するのは、真夏の夜の夢とも言うべき、たゆたうニーナの繊細な心の動きだ。フクサスのこれからの伸びしろに心底期待しつつ、まずはこの夏、彼女の美の追求に付き合ってみてほしい。
(C) 2012 Magda Film, Paco Cinematografica 『ニーナ ローマの夏休み』 第25回東京国際映画祭コンペティション部門正式出品作 監督・脚本 エリザ・フクサス 出演:ディアーヌ・フレーリ ルカ・マリネッリ 後援:イタリア文化会館 配給:パンドラ 原題:Nina 2012年/イタリア/カラー/78分 2013年8月10日新宿シネマカリテ/今夏梅田ガーデンシネマにてロードショー |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ/翻訳家 ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。 FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00) Inter FM (Mondo Musica / Mon.-Thu. 18:00-20:00) YTV (音楽ノチカラ / Wed. Midnight) |
寝屋川流域は地盤が低く、洪水が起きやすい。そのため今も地下で治水のための工事が行われている。今回は2011年3月号でも紹介した、寝屋川水系北部地下河川の掘削現場最前線にお邪魔した。トンネル先端で穴を掘るのは最近ちょっと名の知れてきたシールドマシン。轟音を轟かせ少しずつ掘削しながら、回りをセグメントというコンクリートで補強していくのだ。近未来的なマシンビジュアルがカッコいい。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家 廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |
第1回書家川尾朋子 |
第2回字幕翻訳家伊原奈津子 |
第3回紙芝居弁士/ラジオDJ伊舞なおみ |
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第4回写真家田村尚子 |
第5回リソースアーキテクト河原司 |
第6回女優市川純 |
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第7回ランドスケープアーティストハナムラチカヒロ |
第1回講談師旭堂南陽 |
第2回フォトグラファー東野翠れん |
第3回同時通訳者関谷英里子 |
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第4回働き方研究家西村佳哲 |
第5回編集者藤本智士 |
第6回日常編集家アサダワタル |
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第7回建築家ユニットstudio velocity |
第8回劇作家/小説家本谷有希子 |
第9回アーティスト林ナツミ |
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第10回プロデューサー山納洋 |
第11回インテリアデザイナー玉井恵里子 |
第12回ライティングデザイナー家元あき |