アサダワタル 日常再編集のための発明ノートコワーキング×地域振興「シェアDASHI(山車)」 |
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ミホシ 古典×耽美虫愛づる姫君 |
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野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳心模様を照らす水面の炎 ~ある海辺の詩人 -小さなヴェニスで- ~ |
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小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー山の住宅街 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
写真家として、NHKBSハイビジョン『男前列伝』出演の俳優・ミュージシャンたちのポートレイト作品集『attitude ~男たちの肖像~』や、ラ・ボルド精神病院を舞台とした写真集『ソローニュの森』などの話題作を発表し続けている、田村尚子さん。彼女に、近作の内容や撮影に対する姿勢についてうかがった。
-------まずは、フランスのラ・ボルド精神病院を舞台にした写真集『ソローニュの森』についてうかがいます。思想家フェリックス・ガタリが関わった伝説の病院として、これまで研究やドキュメンタリーなどで取りあげられることはありましたが、このように場の空気感を切り取った写真集は初めてだと思います。気軽に訪問できる場所ではないとおもいますが、どのような経緯で撮影していくことになりましたか?
田村: 端的に語るのは難しいのですが、振り返ってみれば、いくつかの点がつながって線になっていきました。
ラ・ボルド精神病院のことを知ったのは、ウリ院長先生が京都で講演されたときでした。それまでもずっと、演劇や文学、写真などを通じて、人間とは切ってもきれない精神にまつわるもの、その人の生き方やアートとの関係性などには興味があって、日本の精神病院もみていました。
ウリ先生の話は、医療的な話だけに偏っていなくて、変な表現ですが、芸術的な感じも受けました。そういうお話をしていくうちに、いちど訪問させていただくことになりました。
------そうしたきっかけで始まり、これまで、何度か滞在されていますね。
田村: 6回。去年、この写真集が出てからの滞在も合わせれば、7回ですね。第一印象が忘れられません。言葉で表現するのは難しいんですが、「一回で終われないな」という吸引力みたいなものを感じたんです。仕事で頼まれたのではなく、個人的な関心からでしたが、行けるときに行っていました。
------回数を重ねるうちに、撮影する写真にも変化がありそうです。
田村: 場所が場所だけに、最初は、ひとにはカメラを向けられないですよね。急に入ってきて、じゃんじゃん撮って帰るというのは、客観的にみても嫌なものだし、自分個人としてもしたくないな、と。最初は、建物(風景)を撮ろうとしていました。病院の建物は広い土地に分散されていて、散歩や交流などを自然に生み出すようになっているんです。小道や、建物と建物の間とか。そうやって病院のなかで過ごしていると、そこにいる患者さんのことも、どうしたって無視はできません。最初はポラロイドを撮ったりしていましたが、カメラ抜きでの交流もありました。
カメラを向けると急に緊張感を与えたりもします。それに、「撮って撮って」という人もいれば、「どうして撮るの?」と猜疑心をもつ人も当然いるわけです。ひとりで滞在していたこともあるし、そういう相手のサインを感じながら撮っていくには、時間がかかりました。演出しながらの撮影とは違うので、ありのままで撮れるようにしたかったですしね。とはいえ、馴れ合いの場でもない。最終的に写真集にしようということで目標を決めていたわけではなかったんです。
------タイトルの『ソローニュの森』の意味は?
田村: 「ソローニュ」は病院がある地域の名前です。病院の本棚で「Sologne(ソローニュ)」っていうロゴをみつけて、院長先生が「この辺りの自然が豊かなエリアの名前なんだよ」と話をしてくれたんです。それが印象に残っていました。「森」は、実際に病院が森のなかにあるという意味ではなくて、森自体がもつ機能のことです。森の機能は、この病院でおこなわれていることの機能と似ているのではないかとおもいました。循環して、流動して、といったサイクルが常におこなわれている。有機的で、システマティックに何かが行われているような場所ではない。
------今月(2013年4月23日)に同志社大学寒梅館で、『ソローニュの森』の映像の上映会とトークのイベントが開催されますね。この映像はどのようにして撮影されたんでしょうか?
田村: 3回目の滞在で撮ったものです。写真家として滞在しているので、写真を撮らないのであれば邪魔というか、いづらい気持ちがありました。だから、撮りづらい状況ながら、「撮らないと」っていう気持ちもありつつ、リラックスしたりして(笑)。でも、そんな中で、ビデオだったらどうだろう、と試してみました。
ビデオ作品をつくるといった意味合いではなく、実験的に撮ってみたんです。それまでにも写真と映像のちがいについて自分のなかでも気になっていました。ビデオだと、カメラを向けられるほどには意識しないし、緊張感もつづきません。だからビデオでは写真とまったく違うものが撮れたりしました。たとえば、すごく特徴がある連続的な動きなんかは、映像でないと撮れないですよね。そうやって、写真ってなんだろうと滞在中に考えましたし、写真でしか見えないものやビデオでしか見えないものにも改めて気づきました。わたしの場合には、対象とのつながりとしては、写真のほうが強く残ります。
------つづいて、『attitude ~男たちの肖像~』のお話をうかがいます。美術ドキュメンタリー番組『男前列伝』の番組収録時やロケの合間に撮り下ろされていますね。テレビ番組の収録と並行しての撮影という大変さもあったのではないかとおもいます。
田村: 当初はスチール写真撮影だけの予定でしたが、それだと、「そのまま」の絵になってしまうとおもったんです。そこで、一回一回、俳優やミュージシャンの方々と話をして、ポートレイトの撮影を進めました。直接お話をさせてもらいながら、番組撮影の合間にスケジュールを組んでいったんです。メインはテレビ番組なので、写真家のわたしが現場に居るのが不思議に感じるときもありました(笑)。
でも、そうやって(番組によって時間を与えられ、私の希望もあり、プロデューサーともせっかくやるのなら何か形にできるといいね、ということで始まりましたが)限られた時間の中でコーディネートもふくめて直接やりとりさせていただいたことで、よかった面もあります。たとえば、わたしはフィルムのカメラを使っているんですが、俳優さんにもカメラが好きな方がおられるんですね。ハッセルブラッド、マミヤの2眼レフ、などに対して、「珍しいね、これいいよね」といった感じで話しかけていただいたり。そこから「アナログ」というつながりで、音楽関係ではレコードの話題になったり。
------15人の個性豊かな方々が被写体です。
田村: 相手だけでなく、撮り方も、場所も、現場にいるすべてのメンバーもちがう状況での撮影でした。15通りです。とても個性豊かな方々の撮影でしたが、著名人としてではなく「環境のなかにいる、ひとりの人間」として撮ってもいいんじゃないか、と考えました。スタジオ撮りとはまた違った、屋外の自然な状態での撮影を気にいってくださって、本人が丁寧にみてくれて一緒に写真を選んでくれたケースもあります。
------反響も大きいですね。
田村: そうですね。とても有名な方たちが被写体なので、「ポートレイト集」というだけでなく、「この俳優さんの……」という部分が強くなります。でも、たとえばフランスでこのポートレイト集を見せたときには、著名人といった先入観なしで見ていきますから、その差は大きいし面白いですね。
それと、発売後のイベントでは井浦新さん、中村獅童さん、佐野史郎さん、といった方々とご一緒させていただいて、大勢のファンの方々にもお越しいただきました。会場ではオリジナルのプリントなども展示していたんですが、普段は「オリジナルのプリント」といったことを意識しない方も多かったようで、喜んでいただけました。今回のイベントや展示を通じて、写真に対する思いを深めてくださった人もいたのかな、と感じています。
------本の表紙写真なども手がけておられます。
田村: 著者の方が写真集を観てくださっていたり、編集担当の方から「小説の内容に合うと思うので」といった流れでご依頼をいただくことが多いですね。小説を読んで撮りおろしたりもします。本は好きだし、普段とは違うアプローチなので、これは楽しい作業ですね。
------子どもの頃から写真を撮るのが好きでしたか?
田村: 子供の頃、山で蝶の写真を撮った思い出があります。夢中になって撮っていたという印象です。でも、実際はものすごく距離があったので、後で写真をみると、撮ったつもりの蝶がどこに写っているのか分からなかったということを覚えています。採集するのと同じような気持ちがあったんでしょうね。
大学での専攻は英文学で、文学を通して美術や芸術家の生き方に興味はありましたが、写真にはそれほど興味はなかったんです。でも、たまたま、1眼レフのファインダー越しの風景を見せてもらったんです。わたしのなかに何かが入ってきて、忘れられなくなりました。それから写真を見直して、1枚のプリントが持つ力はとても深いことに感動しました。1冊の本を読むように、1枚の写真からさまざまなものを読みとることができるんだと。
------子ども向けの写真・映像のイベントにもご出演されますね。
田村: 京都グラフィ国際写真フェスティバルのキッズワークショップで、『写真で映画をつくろう』ということで、フォトモンタージュをつくります。短い時間なのでどこまでできるかは分かりませんが。今回はデジカメから繋げますが、わたしの中では、映像のうち8ミリなんかは写真と近いという感覚があります。1コマが見える気がしますし。
------今後のビジョンを教えてください。
田村:抽象的な表現になりますが、初めてのことは喜んでやっていきたいなとおもいます。意識的に。現在は海外での出版も企画中ですが、あと、現実的かどうか別にして、空を飛びながら撮影してみたいとよく思います、夢の中では時々やっています(笑)。新しいビジョンというわけではありませんが、いままでどおり、出会いを大切にしていきたいですし、偶発的なものも大事にしていきたいです。
2013年4月3日 京都にて
ソローニュの森 (シリーズ ケアをひらく) 著:田村 尚子 ・判型 B5変 ・頁 132 ・発行 2012年08月、医学書院 ・定価 2,730円 (本体2,600円+税5%) ・ISBN978-4-260-01662-9 ・デザイン:cozfish(祖父江慎+小川あずさ) |
「ソローニュの森」 (c): naoko tamura |
「ソローニュの森」 (c): naoko tamura |
個展会場、TAKAISHIIGALLERY (京都) |
田村尚子『ソローニュの森』出版記念 特別上映会&対談 特別ゲスト:山口とも(廃品打楽器奏者) |
4/23 (Tue) 18:30-20:00 同志社大学 寒梅館 クローバーシアター/Doshisha University Kambaikan, Clover Theater 写真集『ソローニュの森』の出版を記念して、田村尚子がフランス・ローヌ地方にあるラ・ボルド精神病院に滞在し、撮影した未発表VIDEOの特別上映会と対談を行います。会場にて写真展示も同時にご覧いただけます。 Film screening and Conversation: LA FORET DE SOLOGNE Join us for a screening and discussion of Naoko Tamura's work. Tamura shot this work in a psychiatric hospital, Clinique de La Borde, France. Her photographs will also be exhibited in the venue. |
attitude(アティテュード) ~男たちの肖像~ (著)田村尚子 青幻舎、2012年7月 被写体:井浦新 / 山本耕史 / 中村獅童 / 市川猿之助 / 田島貴男 / 松重豊 / 石橋凌 / 山本太郎 / 佐野史郎 / 三上博史 / 市川春猿 / 津田寛治 / 石井竜也 / トータス松本 / 光石研(敬称略、掲載順) アートディレクション:秋山伸 |
(c): naoko tamura |
夜の隅のアトリエ (著)木村紅美 文藝春秋、2012年12月 Book Design : Miyuki Nonaka Cover Photo : naoko tamura |
キッズワークショップ:写真で映画をつくろう(対象年齢:小学生) 5/3 (Fri) 12:30-15:30 京都文化博物館 別館2館 講義室/The Museum of Kyoto Annex 2F 写真家・田村尚子による、写真から映画を制作するワークショップ。レンズで捉えた一瞬をつなぎ合わせて物語を作ります。参加者はデジタルカメラをご持参下さい。 定員:15名 \ 1,500 *要予約:event@kyotographie.jp Children's workshop: The Moving Image(for children aged 7-12) Naoko Tamura guides children through a process of making film from photography. This educational workshop allows children to create a moving image from their own work. Participants need to bring their own digital camera. Capacity: 15 \ 1,500 *Reservation required: event@kyotographie.jp |
田村 尚子(たむら なおこ) 写真家。京都在住。 1998年「この世の外へならどこへでも」より、国内外での個展を中心に映像インスタレーション等も行う。新聞、雑誌等で写真連載などの他、映画や舞台芸術家などポートレートも撮り続ける。著書に初写真集2004年「Voice」、2012年「attitude」(ともに青幻舎)、「ソローニュの森」(医学書院)がある。 金沢21世紀美術館「Yan Fabre X Katsura Funakoshi」展図録、主なカバー書籍にアンドレ・ブルトン著「黒いユーモア選集」(河出書房新書)、鷲田清一著「感覚の幽い風景」(紀伊国屋出版社)など多数。 2013年春より「ソローニュの森」ビデオ上映、展覧会など京都、仙台など数カ所で開催予定。 |
先だって2013年3月14日付の毎日新聞全国版に、筆者が提唱する「住み開き」についての記事が掲載された。くらしナビ欄の15面に取り上げられ、"家を開放 図書館、画廊に"というタイトルと共に、"広がる「住み開き」とは"、"自宅で地域と交流。自治体、運営支援も"という小見出しが踊る。そしてその真横の14面には、"新しいコミュニティー"と題したシェアオフィス、コワーキングスペースについての記事が。"つながり求め、空間、時間シェア"と書かれた内容をよく読むと、ここでは友人が大阪市内で運営するコワーキングスペースが紹介されていた。いま、この見開き2面を眺めているだけでも、時代が"シェア"、"コミュニティ"といった考え方を求めていること、また、自分がその渦中にいることも改めて実感してくる。実際、家を開放している人たちや、コワーキングスペースなどで仕事をする人たちの中には、僕のような創作業・クリエイター的な人間も数多く存在し、その人たちの中には社会的な問題意識も高く、まちづくりや地域振興に取り組もうとしている人たちも一定数見受けられる。
しかし、こういった取り組みすべてが無論、安易に"地域活性化"とか"空き店舗埋まったね!"とかなるわけではない。どちらかというとポイントは、自分たちの生活・仕事そのものをいかに他人と恊働しながらお互いの価値観を交わらせて楽しむかってことにある。そして本当に楽しい空間・時間をシェアできた時に、その動きが地域や街中に派生していって、結果的にその周辺コミュニティを活性化させる潤滑油として、このような取り組みが機能し始めることになるのだ。
でも、もっと"手っ取り早く"、「シェアもして地域活性化もしてイエーイ!」な状態になれるアイデアを思い付いてしまった。まさに"シェア"しながらライブ感たっぷりに地域課題解決に繋がるのが、この"シェアDASHI(山車)"だ。山車や神輿、あるいは地車などの伝統的な行事を誇ってはいるものの、過疎化のため若い担い手が減少するといった課題を抱える地域が、山車そのもの(っていうか山車の上座部)を仕事場として開放。そこで働く人たちは一時的に"神の視点"を手に入れながら、仕事に取り組める。表現活動に没頭するクリエイターにとってはまさに、"彼岸(非日常)と此岸(日常)のボーダレス"な体験を獲得。そして、その体験が病みつきになり、村にIターンをかます若者が続出するというまさに、来る者も受け容れる者も得する一石二鳥のアイデアなのだ。ひょっとして、社会学者 鈴木謙介氏の言う"カーニヴァル化する社会" ってこういうことなのかもしれない…!?(注:車酔いする人にはお薦めできません)
(イラスト:イシワタマリ) |
アサダワタル(あさだ・わたる) 日常編集家/文筆と音楽とプロジェクト 1979年大阪生まれ。 様々な領域におけるコミュニティの常識をリミックス。 著書に「住み開き 家から始めるコミュニティ」(筑摩書房)等。ユニットSJQ(HEADZ)ドラム担当。 ウェブサイト |
毛虫につづき次はあのような下品な色の虫を
お相手に愛でていらっしゃる。
手や腕に虫を乗せてはああして話かけ過ごし、日が暮れるまで童と庭遊び。
女子として生まれたのであれば、化粧や色恋に目覚めてもよかろうに。
恵まれた容姿をお持ちなのに、醜い虫相手に何が面白いのやら。
まるで人生の冬をみているよう!姫様の春はいずこに?
虫を愛でてばかりで自分の美しさに気付かない姫君と
侍女たちは冬の虫のように固まっては一日中ひそひそ話。
参照:堤中納言物語「虫愛づる姫君」より
ミホシ イラストレーター 岡山県生まれ、京都市在住。イラストレーターとして京都を拠点に活動中。 抒情的なイラストを中心に、紙媒体・モバイルコンテンツなどのイラスト制作に携わる。 |
やあ、私だ。たとえば『サウダージ』(富田克也、2010年)のような映画が公開され、日本でも外国人との共生を表面的ではないやり方で描写する作品が出てきたわけだが、イタリアはこのテーマについてはずっと先を行く。なにしろ、この20年の間に外国人の数が30万人から360万人へと膨らんでいるのだ。人口が日本の約半分で6000万人だから、ざっと20人にひとりは外国人という計算だ。監督生活半世紀を記念する新作公開が話題を呼んでいるベルトルッチの『シャンドライの恋』(1998年)や、日本でもヒットを飛ばした『ヴィットリオ広場のオーケストラ』(A・フェッレンテ、2006年)、そして現在公開中の『海と大陸』(E・クリアレーゼ、2011年)などなど、パッと思いつくだけでも、移民が重要なモチーフとして機能する作品が最近のイタリア映画界を彩ってきた。この『ある海辺の詩人』は、そうした系譜にあって、最も静謐で詩的、そして新鮮なものかもしれない。
ヴェネツィアの南60キロに位置するキオッジャは、やはり潟の上に作られた運河の街。漁師を中心に男たちの溜まり場である居酒屋の経営者が中国人に変わり、息子を置いて中国福州から先に移住してきた女性リーが店員として配属される。常連客とのぎこちない交流を通じて、少しずつ馴染んでいく彼女。なかでも仲良くなるのは、クロアチアからやって来て30年になるベーピという男。濃淡はあるがアウトサイダー同士が心を通わせるひとつのツールが詩だ。彼女は戦国時代の詩人屈原を愛し、語呂合わせが得意で「詩人」と仲間から呼ばれる彼は、リーに会って平易だが情感あふれる言葉を紡ぐようになるのだが、孤独を寄せ合うふたりの関係は周囲の邪推を育んでしまう…。
とても小さな物語なのだが、余計な要素を削ぎ落した、良い意味で「余白のある」脚本は現代社会を十分に反映していて、よく練られている。これが劇映画初メガホンとなるセグレはドキュメンタリー畑の人らしく、観察に重きを置いていて、政治的な立場を慎重に排除しながら人間そのものをスクリーンに映していく。
大事なモチーフとして利用されているのが、炎だ。リーの故郷では、川面に燈明を浮かべて屈原のさまよえる魂を偲ぶ風習があるのだが、作品の中では「水に浮かぶ炎」が繰り返し、しかもそれぞれ異なる場所で登場し、ふたりのその時々の心模様を照らし出す。景色や空間と物語の関係性を考える上でも興味深い要素に満ちたこのフィルムだ。名カメラマン、ルーカ・ビガッツィの映像美にどっぷり浸かるには、やはり映画館での鑑賞が好ましい。
(C)2011 Jolefilm S.r.l.- AEternam Films S.a.r.l - ARTE France Cinema. 『ある海辺の詩人 -小さなヴェニスで-』 監督・原案・脚本:アンドレア・セグレ 出演:チャオ・タオ、ラデ・シェルベッジア、マルコ・パオリーニ、ロベルト・シトラン、ジュゼッぺ・バッティストン 2011年/イタリア、フランス/イタリア語/98分/シネスコ/ドルビーSRD 日本語字幕:岡本太郎 原題:IO SONO LI 配給・宣伝:アルシネテラン 後援:イタリア大使館 全国順次公開中 |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ/翻訳家 ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。 FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00) Inter FM (Mondo Musica / Mon.-Thu. 18:00-20:00) YTV (音楽ノチカラ / Wed. Midnight) |
山の斜面にある住宅街は面白い。写真は関西のとある山の街並みの夜景だ。重なる様にたてられている全景は、欧州の海辺の町を連想させる(魔女の宅急便のような感じ)。建物の外壁は、ほぼ白で一貫した街づくりをしようとした意図が受け取れる。斜面の上と下とで照明の色が違い、イメージが違うのも面白い。街並みの夜景撮影は深夜だと電気が消えていることが多いので、夜9時までくらいがベストだろう。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家 廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |
第1回書家川尾朋子 |
第2回字幕翻訳家伊原奈津子 |
第3回紙芝居弁士/ラジオDJ伊舞なおみ |
第1回講談師旭堂南陽 |
第2回フォトグラファー東野翠れん |
第3回同時通訳者関谷英里子 |
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第4回働き方研究家西村佳哲 |
第5回編集者藤本智士 |
第6回日常編集家アサダワタル |
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第7回建築家ユニットstudio velocity |
第8回劇作家/小説家本谷有希子 |
第9回アーティスト林ナツミ |
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第10回プロデューサー山納洋 |
第11回インテリアデザイナー玉井恵里子 |
第12回ライティングデザイナー家元あき |