野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳記憶の息づく場所 ~幸せへのキセキ~ |
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河原尚子 「茶」が在る景色風の人 |
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小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー万田抗 |
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ミホシ 空間と耽美鯉とカーテンとゆらめきと |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
編集活動を通じて「あたらしい"ふつう"」を追求する編集者、藤本智士さん。彼に、編集活動に取り組む姿勢や、旅をつうじて日本の地方の素晴らしさを再発見することについてうかがった。
-------新刊『ほんとうのニッポンに出会う旅』についてうかがいます。地方で生きる実直な人たちに出会う旅の様子をおさめた書籍で、雑誌『Re:S(りす)』の単行本化でもありますね。
藤本: そもそも、『Re:S』は雑誌じゃなかった、つまり、雑誌のかたちをした単行本でもあったと考えているんです。書店という売り場で、雑誌には一期一会の出会いがあるのはいいんですが、一方で、日々消費されているような面もあります。Re:Sをつくっている当初から、この雑誌が偶然出会った人にとって大切なものになって、一冊の書籍になればいいなあと思っていました。「いま」のものごとをあつかっているけれど、ある程度時間を経ても楽しんでもらえるような普遍的なものが詰まっているよう、すごく意識しながらつくっていました。
------新刊では、『「ほんとうに美味いもん」の旅。』、『「フィルムカメラでのこしていく」の旅。』、『「物々こうかんしてみる」の旅。』、『「一生もん」の旅。』という4つのテーマを選んでおられますが、多くの旅のなかから選ぶのは苦労されたかと思います。
藤本: 『ほんとうのニッポンに出会う旅』というタイトルを決めたあとで、タイトルに合う4点を選ぼう、となりました。『「ほんとうに美味いもん」の旅。』は、書籍タイトルにもつながる「ほんとう」がテーマに入っているし、雑誌休刊前の最終号にはいっている内容で、ぼくたちの旅の方法論や記事の作り方も成熟していたので、一番目にもってきました。
次に、フィルムカメラの話をえらびました。昨年の震災後、写真家の浅田政志くんと被災地へ行き、瓦礫の下から救出された泥まみれの写真を洗浄する現場をまわりました。こういう活動をつうじて、写真をプリントして残していく力をつよく感じたんです。フィルムカメラとデジカメの話は写真のことだけじゃなく、すごく象徴的ななにかを示している気がします。それはたとえば、「被災地で自衛隊のひとたちがUSBは拾わなかったけれどアルバムはひろった」といったすごくシンプルなことに集約されているとおもいます。経済や効率っていう物差しでデジタル化が進められてきましたが、きちんとモノとして残していく強さを伝えないと、ということでこのテーマも入れました。
「物々こうかん」もやはり、経済やお金とは違う物差しについて伝えたいと思って、やみくもに旅に出た話でした。最後に「一生もん」ですが、「一生もん」というだけで、わかってもらえるキャッチーさがあるかとおもいました。ぼくたちが雑誌Re:Sでやったことの神髄というか、市井のひとびとの力強い言葉やそこに住んでいるひとたちの確かさを感じてもらえるエピソードです。
------「一生もん」の旅先は青森県ですし、全体をつうじてのテーマでも、昨年の震災の影響は大きかったかとおもいます。
藤本: たしかに3.11の影響はおおきかったです。2006年からの雑誌Re:Sの特集では、最初は様子をみて「水筒」などのテーマから攻めていきながら、3号目からは「物々こうかん」、「地方」、「継いで」「一生もん」と抽象的になっていきました。まっすぐ正直になったんです。雑誌を売るための物差しとは違う判断基準でやっていました。そういったテーマを改めて並べてみると、3.11以降のテーマだといろいろなひとにも言われました。ぼく自身、何が正しいかといった考えを押しつける気はないけれど、考えの投げかけはできるだけおおくのひとにしたかった。そういう呼びかけに振り向いてくれるひとが、3.11以降、増えました。
被災地にはずっと行っていて、地方と街の温度差なんかも感じた一年でした。振り向いてくれやすくなっているタイミングで、『Re:S』をいまこそ届けたいと強くおもったんです。
------Re:Sの旅からは、美しい景色に出会って気分がハイになったときには俳句ならぬ「ハイ句」が出るなど(笑)、すごく楽しそうな雰囲気が伝わってきます。逆に、スムーズに旅が進まないときもあるとおもいますが、そういったときの対処法は?
藤本: どうしようもないですね(笑)。でも、すごいなと思うのは、カメラマンの伊東さん、それからアシスタントの子たちも、どうしようもないことに対して、無理に何とかしようとしないんです。なまけているのではなく、真摯に対峙しているんです。負の時間がむっちゃ長いこともあるし、一旅にかならず一度はおとずれます。外的な要因だったり、何かに突き動かされた結果だったりするのだけれど、出会うタイミングがないときには、全部を伏線だとおもうようにしています。会えないということが会える喜びを増幅させるし、すべては伏線。だから、誰かがいなかった、何かがなかった、雨が降った、どこかが閉まってた、ぜんぶ受け入れられる。その一個一個を意識するので、何かの出会いがあったときに、ぜんぶが活きてくるんです。ほんとうに無駄がない。
------そうやって偶然の出会いを引き寄せるには?
藤本: すごく微妙な話になりますが、自分の実力と、自分の考えなどを超越したものの両方をもっておかないといけないですよね。矛盾を抱えるというか。そういうことはすごく大事だとおもっています。それぞれの尺度のなかで言い切ってキャラ設定で生きていくのではなくて、誰だって白と黒、善悪の両方を持ち合わせていてふつうだと思います。グレーゾーンこそがぼくにとってのふつうで、矛盾を持ち合わせることへの矛盾を感じないです。そういう感覚が根本にあります。
------旅先で出会うひとたちの年齢や性別は意識しますか?
藤本: 年齢や性別というシバリってないと基本的に思っていますが、結果として、おじいさんやおばあさん、それと逆に20代くらいまでの若者たち、から何かを得ていることが多いかもしれません。おじいさんやおばあさんは、もうすべてを経たうえでの言い切り方がすごい確かです。間違っているかどうかでなく、「わたしはそう思うねん」ということの確かさ。若い人たちは迷いをそのまま青臭く出したりするからすごくいい。でもなんか30代くらいだと、自分でもわかる部分があるんですが、「こういう風に言っておくといい」といった見せ方など、ちょっといやらしいところが出てくるときがあるんですよね。これは猛烈に敬遠してしまいます。
アウトプットに嘘があるといけないし、自分たちのテンションが上がるかどうかも重要だからすごく意識しています。そういう出会いということで言うと、パッと目につく宣伝よりも、中古店で「あった!」と見つけるほうがテンションも上がりますよね?これは大事だし、編集者の役割ってそこだと思うんです。すでに評価されている物や人たちを順繰り使うことが編集者のスキルではないとおもいます。まだあまり知られていないものごとについて、「これすごいよ」と出せるのが編集者の役割で、腕の見せ所でしょうし、単純に皆のテンションもあがりますよね。
------『ほんとうのニッポンに出会う旅』では、ノンブル(ページの番号)の横にリスのフリップ(パラパラ漫画)がついていたり、カバーをはずしても表紙が楽しめるようになっていたり、デザインも凝っています。
藤本: 装幀・デザインはRe:Sをつくってくれてた堀口努さんなので、安心でした。ベースは任せていて、イメージソースはいくつか渡していたんです。もちろん変遷はあったんですが、最終的には、今回の主旨やポップさ、地図の雰囲気を重視しました。フリップブック的なことは、楽しいからという理由でお願いしましたが、デザイナーさんとしては大変だったとおもいます(笑)。イメージをきっちり形にしてくれるデザイナーさんだったので、やりとりをしながら一緒につくってこれた感じがします。
------『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆も手がけられましたね。これは、国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈されました。
藤本: 嵐のメンバーが自分たちの興味で日本各地を訪ねた旅の記録です。昨年から一般発売もされています。メンバーとも話をさせてもらったんですが、日本の美しさや日本人の優しさを皆も改めて感じてくれたらいいな、と。義援金の額も何億円となっていてすごいですが、学校配布の影響も大きかったです。
------どんな子どもでしたか?
藤本: よく図書館に行く子どもでしたね。おかんがよく図書館につれていってくれたので。でも、「普通の子」といった表現が一番正しい気がします。そんなに金持ちでも貧乏でも、勉強や運動も、ずば抜けてできるわけでもできないわけでもない。「普通コンプレックス」みたいなものがあって、ぼくのなかで「普通」というのは大きい存在です。
------放浪癖なんかは(笑)?
藤本: なかったですね。むしろ、「一人旅するなんて気持ちが分からない」ってずっと思ってました(笑)。Re:Sから旅が好きになったんです。たぶん、旅のやり方がわかったんでしょうね。
写真も同じで、最初はそれほど興味がありませんでした。いちど、俳優の佐野史郎さんに会ってご両親の新婚時代の写真を見せてもらったんです。佐野さんが生まれるまえで、お父さんがお母さんを撮っていてすごくかわいいんですが、そういう写真を見ていると、二眼のローライでファインダーをのぞいているお父さんが目にうかんできたんです。そのとき、すごくあたりまえだけど、「写真は必ず、撮っているひとがいる」ということに気づきました。自分のアルバムを見返したときに、いままでは「おかん若いなあ」だとか「このおばちゃん知ってるわ」と思うくらいだったんですが、アルバムって大事だと思うようになって、『ALBUM EXPO』などを始めたんです。それまでは写っているもの、「絵」しか見ていなかった。撮っているひとの存在に気づいて見方が変わったんです。
------旅がおおい日々を過ごしておられますが、関西で好きな場所などは?
藤本: 西宮に住んでいるので、夙川、苦楽園に帰ってくるとほっとします。小学校、中学校と神戸だったので、神戸なんかも。自分が住んでいる街があるからこそ旅もできます。
------今後の予定とビジョンをおしえてください。
藤本: 近いところでは、新刊『ほんとうのニッポンに出会う旅』の刊行記念イベントがいくつかあります。スライド&トークツアー『つーリスと・ニッポン』は、今年6月16日(土)は長野県長野(Book & Cafe ひふみよ)で、7月は青森県でそれぞれ開催が決まっています。
あと、今回の新刊では、出版社さんがこの本のためだけの特別な買取パックを用意してくれて、少ない冊数から買い切りができるんです。ぼくは大阪でインディペンデントでやっているので流通の壁にもぶつかっていて、簡単ではないですが、変えたいとはおもっています。この本が書店にぶわっと並ぶのも嬉しいんですが、たとえばカフェや八百屋で共感して置いてくれるといったふうに、お店のブランディングのひとつになればいいなと。個人の方は無理なんですが、ちょっとしたスペースがあればすごくハードルが低い買い切りです。こうやって地方のことが細やかに伝わっていけばいいなとおもいます。
2012年3月27日 大阪にて
ほんとうのニッポンに出会う旅 『「ほんとうに美味いもん」の旅。』より |
ほんとうのニッポンに出会う旅 『「フィルムカメラでのこしていく」の旅。』より |
ほんとうのニッポンに出会う旅 『「物々こうかんしてみる」の旅。』より |
ほんとうのニッポンに出会う旅 『「一生もん」の旅。』より |
ニッポンの嵐 ポケット版(単行本)
(著)嵐、M.Co.(角川グループパブリッシング)、2011年6月 |
藤本 智士(ふじもと さとし) 1974年兵庫県生まれ。編集者/有限会社りす代表。 2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を『Re:S(りす)』と変更。様々な書籍や展覧会、その他のものづくりをとおしてRe:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を体現している編集活動が注目を集めている。 最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した『ALBUM EXPO』の企画・プロデュース、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。 |
こんな経験は誰しもあるに違いない。かつて住んだ町を再訪すると、写真を撮りためたわけでもないのに、記憶がそこかしこに映像として立ち現れる。しかも、時に驚くほど鮮明に…。そのぶん、もしそれが辛い出来事のイメージなのだとしたら、その地から足が遠のいてしまう。
主人公ベンジャミンは、最愛の妻を亡くした。思い出が詰まりすぎて息が詰まる町を離れ、ふたりの子供と再出発しようと、郊外に理想的な家を見つける。ところが、その物件には閉鎖中の動物園が付属していて、さあ大変。物語は家族と動物園、ふたつの再生を重ね合わせながら進んでいく。邦題の「キセキ」とは、劇中に起こる奇跡的な出来事と登場人物たちの歩む軌跡のダブルミーニングだろう。
途中、ベンジャミンがこう漏らす場面がある。妻の記憶から離れようとして新しい土地へやってきたというのに、彼女はここにもいた、と。亡くなった人が心の中に生き続けるとよく言うが、喪失感から立ち直れずにいるベンジャミンの苦悶を端的に表す台詞だ。まるで、「いつでも捜してしまう どっかに君の笑顔を」と歌う山崎まさよしの名曲のように。
ラストシーンで、彼は子供たちを連れて妻と初めて出会ったレストラン、つまりは最も訪れたくなかった場所へ赴き、その時の様子を再現してみせる。興をそぐといけないので具体的には触れないが、シンプルなだけにグッとくる映像的な仕掛けが、彼らの再生を私たちに知らせてくれる見どころだ。
これまでオリジナル脚本ばかりだったクロウ監督が、原作もので、なおかつシナリオ第一稿まで進んでいた企画を快諾したのは、喪失と癒しというテーマが自分のスタイルと合致するという確信を得られたからだというのは想像に難くない。ユーモアを接着剤にしてシーンを継ぎながら、生きる意欲を着実に織り込んでいく演出はできすぎなくらいにうまいし、キャスティングも含めてあっぱれと言う他ない。
なかでも、オリジナルスコアをアイスランドの才人であるバンド「シガー・ロス」のヨンシーに依頼したのは完璧な「配役」だ。監督と彼で共作した"Gathering Stories"を始め、撮影中も頻繁に音楽をかけていたというくらいに物語に深くこだまするこだわりの選曲は、ラジオDJとして嫉妬してしまうほどだ。サウンドトラックは必携の一枚だと付け加えておこう。
(c)2011 Twentieth Century Fox 『幸せへのキセキ』 2012年6月8日(金) 全国ロードショー 監督・製作・脚本:キャメロン・クロウ マット・デイモン、スカーレット・ヨハンソン、エル・ファニング |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ。翻訳家 FM802でROCK KIDS 802(毎週月曜日21-24時)を担当。知的好奇心の輪を広げる企画集団「大阪ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳も手がける。 |
パリで 茶が在る人に出逢った。
知人に紹介されメールにてアポイントを取った。
自分から誘ったにも関わらず 待ち合わせ場所を間違えてしまった私に
彼女はにっこりと微笑んだ。
どこからか 風がすぅーっと通った。
-お昼なに食べたい?
入ったのは オーガニックのお店。
二週間の滞在で すっかり胃の疲れてしまっていた私を気遣ってか
野菜たっぷりの料理。
私は食事をしながら 沢山話した。
パリに入る前の ミラノでの展覧会。
改めて考えた日本文化と自分の想い。
海外での二週間。
インプットとアウトプットがあまりにも大きすぎて言葉の多い私の話を
彼女は ずっと静かに耳を傾け にこっと笑いかけてくれた。
再び、涼やかな風が通った。
どこに居ても さらりと生きていける。
とらわれない。
風のようでいて そして太陽のような人だった。
店を出ると 雨があがっていた。
枯淡だけど 深くて味わい深い。
なんだか私は 茶事の後のような気分で パリの街へ繰り出した。
河原尚子(かわはら・しょうこ) 陶磁器デザイナー/陶板画作家 京都にて窯元「真葛焼」に生まれる。 佐賀有田での修行を経て陶板画家として活動を開始。 2009年、Springshow Co.,Ltdを設立。同年、陶磁器ブランド「sione」を発表。 |
三井三池炭鉱は最盛期には東洋一の産炭量を誇った。数ある施設の中、今ではこの「万田抗」が象徴的な産業遺産として国の重要文化財指定を受けている。栄えていた頃の力強さをそのまま見せ付けるかのような、鉄骨感むき出しの巻き上げ機と、古めかしく味のあるレンガ造りの建物のつながりがいい感じ。その独特な雰囲気から映画などのロケ地としてもよく使われている。定期的に見学会も行なわれているので、機会があれば是非間近で迫力を感じて欲しい。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家 廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |
先生、僕はとうとう鯉になれなかったのです。
5月のうららかな午後、保健室の窓際のベッドに仰向けになり幼さがまだ抜けない学生、その麗人はぽつりとそう言った。
なんでも鯉は男子の象徴で、気持ちと体がちぐはぐな自分は鯉になれぬという。
終始下腹を引っ掻くように爪をあてながら話す。悪い癖だ。
窓から風がそよいだ、カーテンのゆらめきが鯉の尾ひれのようにみえる。
その奥にはまだ色を知らない無垢な腹と、鯉のゆらめきと、私のゆらめき。
ミホシ イラストレーター 岡山県生まれ、京都市在住。イラストレーターとして京都を拠点に活動中。 抒情的なイラストを中心に、紙媒体・モバイルコンテンツなどのイラスト制作に携わる。 |
第1回講談師旭堂南陽 |
第2回フォトグラファー東野翠れん |
第3回同時通訳者関谷英里子 |
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第4回働き方研究家西村佳哲 |
第5回編集者藤本智士 |
第6回日常編集家アサダワタル |
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第7回建築家ユニットstudio velocity |
第8回劇作家/小説家本谷有希子 |
第9回アーティスト林ナツミ |
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第10回プロデューサー山納洋 |
第11回インテリアデザイナー玉井恵里子 |
第12回ライティングデザイナー家元あき |