野村雅夫 フィルム探偵の捜査手帳戦禍の中の女性たち ~やがて来たる者へ~ |
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澤村斉美 12の季節のための短歌アレクセイ・カラマーゾフと行く秋の電車が不意に身を捩りたり |
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小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー中之島の高架道路 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
地域の歴史的な文脈を読み取り、地域に根差したまちづくりに取り組む建築史家、橋爪紳也氏。彼に、大阪をはじめとする地域のまちづくりやブランディングについてうかがった。
------橋爪さんが編集委員を務めておられる雑誌『大阪人』(トップ画像は大阪人 2011年 11月号 [雑誌])のお話からうかがいたいとおもいます。大正14年(1925年)からつづく雑誌で、今年、リニューアルしています。
橋爪: 『大阪人』は由緒ある雑誌です。戦前にさかのぼれば『大大阪』というタイトルで、各界の専門家が大都市問題のソリューションを提言、都市政策を提案するオピニオン雑誌だったんです。都市をテーマにした専門雑誌だったんですね。もっとも都市の変貌とともに雑誌のスタイルも変わる。『大大阪』が創刊された大正から昭和初期にかけては、専門性の高い雑誌だったのですが、戦後、後継をした『大阪人』では文芸を振興する媒体、都市文化に関する雑誌になりました。また近年では、情報化社会に対応する都市に関する情報雑誌として存在してきました。しかし現在では、いわゆる「街ネタ」の情報であれば、雑誌よりもインターネットのほうがはるかに速い時代です。新装なった『大阪人』は、都市の多様性を深く考える契機を提供してくれる雑誌になるでしょう。今後も都市のありかたが変わるにつれて、都市を主題にした雑誌のあり方も当然変わるべきです。『大阪人』がこれから示すものが、リアルタイムで感じる都市になっていく、ということを期待しています。
------橋爪さんは大阪の都心生まれで、最近のエッセイでも長堀橋からスケッチブックを持って自転車で出かけた様子などを書かれています。そんな橋爪さんにとって、とくに個人的な思い出のある場所というのはありますか?また、橋爪さんにとって都市で育ったことの意味とは?
橋爪: 明るい思い出?それとも暗い思い出?(笑)
------明るいほうでお願いします(笑)。
橋爪: 大阪の都心、ミナミのネオン街で育ったので、ネオンサインを見て盛り場を歩くとほっとします。難波や道頓堀にいると、故郷にかえってきた感じですね。
都会で生まれた人間として、都市が故郷とはどういうことかを考えるんです。すると、わが故郷はわがものではない、という想いに尽きる。私が子どもの頃は友達がどんどんいなくなりました。都心の過疎化があり、多くの人が郊外に転居していった。小学校に入ったときは何十人かいたのが、卒業時は10人台になっていたんです。だから小学校の修学旅行でも、私の学年はギリギリでバスだったけど、弟のときは1学年10人いるかいないか、タクシー2、3台で行ってましたね。
変化のスピードが速い。親しんでいた風景がわずか数年で変わるのが当然でした。また一日のあいだで風景も激変します。毎朝、駅からひとが溢れてきて、さまざまな活動が行われるわけです。オフィスでも盛り場でもそう。ところが夕方になったら皆が帰りはじめ、真夜中、終電のころになるとほとんどの人がいなくなる。連日、人の大移動が繰り返される。子供の頃からそれが当たり前の、わがふるさとの情景でした。
のちに、このような状況にこそ、都市というものの本質が見いだせると考えた。都市とは、要はいろいろな目的でいろんな人が使いこなす場である。多様性の受け皿である。そこで新しい価値が生まれたり、モノの交換がある。都市のデザイニングとはなんぞやということを考えると、基本は使われる場を用意するということに尽きます。使う人のことを考えながら、場の使われ方を考えていく。「この場所はこうあるべき」という考え方の真逆です。究極をいえば、都市はさまざまな「オープンスペース」の集積であれば良い。そこをどう使いこなせばよいか、という議論が都市生活の本質であると思います。
------「人が集まる空間」というのは、橋爪さんが長らく取り組んでおられるテーマですね。
橋爪: 私の関心事の中心に、「人が集まる空間」とは何かという自問があります。イベントや商業施設は、半年や一晩で消えますが、これがもっとも都市的である、と思うようになりました。盛り場に由来する一晩のお祭り空間やイベント、5・6年で変わる商業地。こういったところが、本質的な自分の居場所であると感じています。ドラスティックに変わるのが都市の本質です。歴史的な文化遺産も、空間や建物の形はとどめておくことに価値があるとしても、使い勝手や人々の託す思いは時代とともに変わります。スクラップ・アンド・ビルドが重要だと言っているのではなく、ある場所や建物に関して、人々の思い、ひいては使う人の価値観が、おのずと変わるなかで、絶えず新たな「人が集まる空間」が生まれているという点に注目したい。
------子どものころは、どんなことに興味をもっておられましたか?
橋爪: 小学校高学年の頃から、SF小説にのめりこんでいました。「センス・オブ・ワンダー」を喚起する空想的な造形、物語世界のデザインに関心があります。SF作家、あるいはSFの映像制作に関わるクリエイターになりたかったんです。
その一方で、高校時代はひたすら油絵を描いていました。家業が建築系のペンキ塗装職ということも影響していたんでしょうが、高校では美術部で活動しました。全国のコンクールで、学校賞を狙う「体育会系」の美術部でしたね。現代芸術家の森村泰昌さんの後輩にあたります。ブラックみたいなキュビズムや、マティスの絵が好きでした。ゆくゆくイラストレーターになりたいという思いもありましたが、果たせていません。
大学および大学院で、建築史を学ぶなかで、遊園地、博覧会、ディスプレイ、アミューズメント関連施設などの研究という枠組みを設定したのも、人の空想の所産である造形物をかたちにしてきた歴史を綴りたいという想いが沸きたちました。都市や建築に関する「センス・オブ・ワンダー」の歴史をものにしたいと思っています。著書のなかでも『化物屋敷』『飛行機と想像力』『あったかもしれない日本』などでは、そういう志向がとくに強く出ています。
------大阪府特別顧問政策アドバイザーをはじめ、地域のまちづくりに携わっておられます。
橋爪: 大阪のシビックプライド向上のためのまちづくりに関するアドバイザーとして、大阪府の特別顧問をしています。中之島周辺の河川空間というパブリックなものをどうやって民間に開放し、美しい水辺空間をつくっていくのか、という実践が、みずからに課した課題ですね。
『「水都」大阪物語―再生への歴史文化的考察』でもまとめたんですが、「水の都」という概念自体が、明治後半くらい、つまり100年と少し前に提示された概念で比較的新しいんです。当初は、大阪に東洋のベネチア、東洋のパリを見いだす人たちがあった。「水都」という概念は、西洋の諸都市と比較のうえで定義されたものなのですね。その後の変遷はありますが、あるときに付与されたり、みずからアイデンティファイした都市の物語は書き換えられながらも、みずからのものになっていく。ただし、「大阪らしさ」についてみれば、美しさや洗練の部分を語ることをやめて久しいんです。それをもういちど都市の物語として再生させたくて、景観や水際のアクティビティを高めることで街の活性化につなげる、という実験・実践を10年ほど前から重ねています。
もう一点は、光の都の具現化、という点です。中之島の12月のイルミネーションに加え、御堂筋を市民の寄付を得て、光のイルミネーションで飾るという試みを成功させました。また中之島周辺の護岸や橋梁など、川沿いのイルミネーションを具体化しました。堤防や護岸をLEDで照らした状態を対岸からみると実に綺麗です。橋梁の照明も含めて、日本ではかなりの水準の夜景になったと自負しています。対岸からみた美しい夜景を創るという視点は、これまでの都市公園や河川に関する法制度の枠組みの中になかった発想でしょう。民間による独得の川床事業も含めて、挑戦的かつ意欲的にすすめています。
------大阪の郊外都市のお話を聞かせていただけますか?
橋爪: 寝屋川市、豊中市、といった、比較的特徴がないと言われてきた郊外都市でどのようにして市民のプライドをより高めるか、ということを考え、実践をしています。寝屋川市の例でいうと、市長の理解を得て、ブランド戦略室をつくっています。『ワガヤネヤガワ』というロゴを使いイメージアップを推進、京阪電車の協力も得て、戦前の幻の特急列車「びわこ号(60型車両)」を復活させるプロジェクトに取り組んでいます。また、香里園をはじめとする地域のブランドを意識した情報発信もしています。阪神間の各市は地域ブランドが確立されていますが、京阪間地域はまだまだブランド向上の余地があるとおもいます。
------今後のビジョンをお聞かせください。
橋爪: スクラップ・アンド・ビルドではなく、ストック・アンド・リノベーションを考えなければならないということを主張し、実践に移しています。日本の都市も、かつて再開発したエリアを、これから再度の開発をしないといけない。しかし、なかなか進んでいない。日本におけるストック・アンド・リノベーションとは何か、古い建物をどのようにして違う用途に変えながら使いこなしていくか、ということを考える必要があります。建物単体でなく、街全体もそうなんです。次の世代に向けて、使いこなしながら都市の骨格、土地の使い道を変え、再開発したがすでに劣化した市街地に、再々開発を施して、次の時代にシフトしていかないといけない。なかなか難しいですが意味のある実践だと思います。私はいまちょうど50歳ですが、われわれの世代がきっちりやらないと次に渡せないと考えています。
もうひとつは集客都市研究をさらに深め、まちづくりの実践を重ねたい。大阪府立大学と南海電鉄で協定を結んでいただき、難波に研究所を設けることになりました。沿線の地域活性化が私のミッションです。結局、流転の末に、故郷であるミナミに戻ってきたという感があります。縁があって、逃げられないんでしょう(笑)。そこにあっては、シビックプライドをいかにして高め、地域のブランディングをなしてゆくのか、という課題が基本になります。雑誌『大阪人』の当初の呼称であった「大大阪」も、単に市域拡張で面積が広がったという意味合いで用いられたのでなく、市民にとっての誇りをそう語ったという意味合いがあります。創刊のそもそもの意図が都市格の向上だったわけです。人間に「格」があるように都市にも「格」がある。それをいかに立派なものにするか、ということが大事だという視点は、古くて新しい。今風にいえば、シビックプライドの向上になるわけです。地域のブランディングという切り口から、大阪だけでなく日本の都市が、今日の世界でどう存在感を示し得るのか、というあたりを深く考えていきたいですね。
2011年8月17日 大阪にて
あったかもしれない日本―幻の都市建築史
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「水都」大阪物語―再生への歴史文化的考察
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絵はがきで読む大大阪
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路地からのまちづくり
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『ワガヤネヤガワ・ロゴ』 寝屋川市のキャンペーン・ロゴ (c)寝屋川市 |
橋爪紳也(はしづめ しんや) 建築史家。1960年大阪市中央区中之島生まれ。京都大学工学部建築学科卒。大阪府立大学21世紀科学研究機構教授、同大学観光産業戦略研究所所長、大阪市立大学都市研究プラザ特任教授。大阪府特別顧問政策アドバイザーをはじめ、行政の審議会や地域のまちづくりに関わる委員を多く務めている。 『絵はがきで読む大大阪』(創元社、2010年)、『「水都」大阪物語』(藤原書店、2011年)など著書多数。 |
やあ、私だ。またもやイタリア映画の登場だが、これも近年のあちらの豊作ゆえとご容赦いただきたい。
日本でインディペンデントの実力派というと、私の脳内ファイルで上位に名を連ねるのは、やはり若松孝二であり新藤兼人だ。前者は昨年『キャタピラー』を、99歳の後者は最後の監督作として『一枚のハガキ』をこの夏公開した。プロットも描き方も異なるとはいえ、山間の農村が舞台となり、戦争がその最中だけでなく終わった後になっても、末端の兵士たちの家庭を蝕み続ける様子を描くという共通点がある。映画作りにおいて資本と引き換えに表現の自由を抑制されることを嫌ってきたふたりが、庶民の視線、しかも女性の目線で戦争を描いたのはうなづけるふるまいだった。
さて、イタリアも実は自主映画界の才人を多く擁する。超のつく名作『木靴の樹』(1978年)で知られる巨匠オルミ監督の薫陶を受けたジョルジョ・ディリッティもそのひとり。2005年の長編デビュー作『風は自分の道をめぐる』でいきなりカルト的な評価を獲得していただけに、2作目となる『やがて来たる者へ』には注目が集まり、彼は見事その期待に応えている。そして興味深いのが、山間の小さな村で起こった先の大戦の悲劇を、女性を中心に据えて描くという一致だ。もちろん、イタリアの場合は特に末期に本土各地でたくさんの戦闘が起こったので、日本のようないわゆる銃後の問題とそのままシンクロするわけではないのだが、独立プロの男性監督が戦争をか弱き者の立場から冷徹に浮き彫りにするという作品を比較してみない手はないだろう。
ちなみに、本作と極めて似通った事件(北イタリアにおけるナチスの市民虐殺)をモチーフにしたフィルムとして、スパイク・リーの『セントアンナの奇跡』(2008年)が挙げられる。こちらはもちろんのこと、先の3本とは製作費が桁違いだし、物語のスケールもまるっきり異なる。しかし、それだからこそ、比べればより複眼的な観賞ができるので、ぜひおススメしたい。
(c)ARANCIAFILM2009 『やがて来たる者へ』 10月22日(土)、岩波ホールほか全国順次ロードショー 配給:アルシネテラン イタリア/2009年/117分/イタリア語/35mm/シネマスコープ/カラー/ドルビー・デジタル |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ。翻訳家 FM802でNIGHT RAMBLER MONDAY(毎週月曜日25-28時)を担当。イタリア文化紹介をメーンにした企画集団「大阪ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳も手がける。 |
電車の中で本を読んでいて、なんの前触れもなく、そこに書かれている言葉に泣かされたときはどうしたらいいのだろう。公共の場で泣くのは不味いので、とりあえず、必死にうつむく。髪で顔をかくす。一方で、心の動きをとどめるのも嫌だ。結果、本のページにボタッボタッと涙を落としながら読み続けることになる。
先日、本棚の整理をしていたらドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の文庫1~5巻が出てきた。4年ほど前に新訳が話題になり、移動のお供にしていたことを思い出した。私は、つい癖で、心動かされた箇所があるとそのページの角を折ってしまうのだが、折られたページを開いてみたら、紙がふにゃっとよれているところがあった。興味本位でそのページを読み返してみたが、今の私にはさっぱり響いてこなかった。いったい何に感動したのか。4年前の自分はもういない。しかし、本に残った涙の跡を見ると、どこか遠いところで今も元気にしているような気がしないでもないのだ。
澤村斉美(さわむら・まさみ) 歌人。 1979年生まれ。京都を拠点に短歌を見つめる。「塔」短歌会所属。 2006年第52回角川短歌賞受賞。08年第1歌集『夏鴉』上梓。 |
大阪でも有数のビジネス街である中之島は、堂島川と土佐堀川に挟まれた東西約3キロほどの中洲だ。多くのビジネスマンや観光客で昼は賑わいを見せるが、夜はわりとひっそりしている。中之島には阪神高速環状線をはじめ、多くの高架道路が通っていて、夜間にはライトアップされるものもある。カメラのシャッター速度を落とすと、そこにうつる姿はまるで未来都市の様相だ。無風の時は川面を鏡面のようにして高架を写すこともできる。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家。保育士 保育士をしながら写真家としても活動。廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |