野村雅夫 フィルム探偵の捜査手帳楽観のなんたるかを学べ! ~人生、ここにあり!~ |
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澤村斉美 12の季節のための短歌鰻の顔の尖りつつ泳ぐさびしさだ嵐のあとを人ら混みあふ |
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小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー川南造船所 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
力強い画風のイラストレーションや反戦思想をつづった著作など幅広い活動で注目を集める作家、小林エリカ氏。彼女に、アンネ・フランクに関連する新著や、創作に対する姿勢についてうかがった。
------新著『親愛なるキティーたちへ
』(発行:リトルモア)についてうかがいます。小林さんは、『アンネの日記』と、アンネと同じ年に生まれた小林司さんの日記を手に、旅先での日々を綴られました。3つの日記によって、時間軸、人物の視点、場所が複雑にからみあう内容の本となっています。とくにアンネ・フランクの足取りを死から生へとたどっておられることで各エピソードがより複雑に交錯していますが、なぜ逆の順にたどられたのでしょうか?
小林: 旅を始める前は、アンネが死んでしまった収容所が最後の目的地だと暗い気持ちになっちゃう、というくらいの軽い気持ちで、アンネの足どりをさかのぼるルートで旅することを決めました。実際に時間軸をさかのぼって気づいたのは、収容所からひとつずつ遡っていくと、「そうならなかった可能性」がいろいろと見えてくることでした。たとえば、「アムステルダムに隠れずアメリカに逃げていたら」あるいは「戦争が早く終わっていれば」さらには「そもそもナチスが政権を取らなければ」といったことです。
時間をいったりきたりする旅で、旅もたまたま父(小林司)の誕生日と同じ月からはじまりました。同じ日付の日記を読みながら旅をしていくだけですが、自然とその場所や都市につながっていきました。日記に導かれる感じで背景に気づかせてもらえました。
------『親愛なるキティーたちへ』のなかでは、たとえば、トイレで化粧を直してスニーカーをブーツに履き替えてカフェへ行く、といったカジュアルな描写もあり、これがシリアスなテーマとのいいバランスを保っている気がします。
小林: たとえば肌があれていることが気になればそれを素直に日記に書き記しました。今回の旅では収容所などの場所が場所だけに、シリアスに旅をするつもりだったけれど、やはり自分の日常が同時にあるんですよね。それをそのまま書きとめました。
父の日記を読んでいると、戦争で大変なのに青春の悩みや家族の日常的なことが差しはさまれていることに驚かされます。
------個々人の唯一性を示すものとして「名前」に関連するエピソードがいくつかあります。
小林: 名前の重さをすごく感じました。強制収容所をまわったときに、死んでしまった人たちの名前もわからず、モニュメントにすぎないようなお墓がある一方、積まれたカバンには克明に持ち主の住所や名前が記されていました。それは、ひとつひとつが自分の手元に帰ってくるように書かれていたんです。そういう光景をみると、名前について考えざるをえなかったですね。
アンネ・フランクは各日記の最後に『アンネより(Je Anne)』とサインしていましたが、私の父も大事な日記のあとには自分の名前をサインしていたんです。名前についてはいまも考えています。
------子どもの頃から作家やアーティストになることに興味がありましたか?
小林: 子どものころから作家かジャーナリストになりたいという強い思いがありました。『アンネの日記』を大人になって読み返して気づいたんですが、日記に書かれていたことを自分でも気づかないうちに真似していたんですね。私はアンネ・フランクより年下のときに『アンネの日記』を読んでいたから、あこがれのお姉さんのように感じていました。アンネ・フランクは、書くことで困難や不条理を乗り越えたいという意志をもっていました。そんな女の子が素敵だとおもって、私も作家かジャーナリストになりたいとずっと思っていました。
------反戦に関連するプロジェクトも多いですね。
小林: 大人になるまでは、戦場ジャーナリストになるつもりでいました。でも色々調べてみると、「戦場はどこ?」というのがわからなくなってきました。もちろん、アフガニスタンやイラクが実際の「戦場」だったりしますが、もっともっとたくさんの戦場がある。もしかすると、「戦場」というのは遠い場所のことだけではなく、日本のこと、自分の身の回りのことから考えはじめなければ、なにもわからないのかもしれない、と思いながら、今に至ります。
------戦争というのは「身近なこと」として考えてみるのが難しいテーマですよね。
小林: 『空爆の日に会いましょう』のプロジェクトのときもそうだったんですが、最初は皆すごくその話をするんです。最初の一か月くらいは、「空爆だ!大変だ!」と。でも、3、4ヶ月も経つとみんな忘れてしまうんですよね。でも本当は人は死に続けているし、状況は変わっていない。もしかするといまの原発のことについてもそうかもしれない。そして、これは自分にも言えることなんですが。
そんな時、何もなかったように暮らし続けるんじゃなくて、せめてそういった事実を考えつづけたりすることをできないかとおもっています。
------言葉やコミュニケーションというのも、小林さんのなかでひとつのテーマになっているとおもいます。たとえば、「エスペラント語」の実践や普及の活動もされていますね。
小林: わたしがエスペラントに胸を打たれたのは、100年以上も前に「自分にも相手にも中立的な言葉」を持ちたいと考え、それを実際に作ったひと、学んだひとがいて、それを学び続けている人がいて、今に至ることです。わたし自身はまだすごく喋れるわけではないですが、そういう気持ちを持ちたいですし、意志を持っていることを表明したいです。もちろん英語も好きだし、中国語などいろいろな言葉を勉強したいとおもっています。でも、力を持っている言葉とか、たとえば経済的に強い言葉だけじゃなく、もっと違う言葉も自分で学びたいと思います。そういう気持ちを大切にしたいですね。
------さまざまなプロジェクトで長期の旅や海外での生活をされています。プロジェクトが長くなってくると日常が旅に、そして旅が日常になってくるような気がしますが、そのあたりのバランスはいかがですか?
小林: 個人的には、すごく遠くに行くだけが旅ではなくて、ベッドのなかでも旅ができると考えているんです。一日一日が旅の気持ちですね。アンネ・フランクの足取りをたどったときも空間的な距離を移動していますが、むしろ時間を旅しているような気分がつよかったです。父やアンネ・フランクの日記を読んでいたこともあるし、それぞれの場所には過去があり、その場所と一緒に時間を旅しているような。わたしはいま東京に住んでいますが、部屋のなかでもふっとそういう気持ちになることがあります。
------東京・アート・はちみつをキーワードにした『LIBRO por MIELO(リブロ・ポル・ミエーロ)』を展開されています。このプロジェクトについて教えてください。
小林: クヴィーナ(kvina)というアトリエを、写真家、イラストレーター、デザイナーと一緒に4人でしていて、そこでトライリンガル(日本語・英語・エスペラント語)のセルフパブリッシング・シリーズの活動をしています。その一環なんです。
『LIBRO por MIELO』は『はちみつのための本』という意味で、このアトリエ以外からも参加者がいて、10人くらいで一緒にやっています。東京で養蜂をやっている私たちと同じくらいの年齢の女性がいて、蜂蜜をいただいたら、サクラから採った蜂蜜、ミカンから採った蜂蜜、とひとつずつ味が違ったんです。蜂蜜ってその場所でそのときにしか採れないし、味もそれぞれ違います。花や時期といった瞬間をすごくとどめるものだと、メンバー全員が感動しました。そこでもっと勉強しようということで、ハチや環境について勉強するワークショップ・シリーズをしています。映像作家は映像、写真家は写真、といった感じで、わたしはガールズ養蜂漫画。どうやって養蜂するかを、ことこまかに漫画にしています(笑)。ほかには、ハチは巣箱から1~2キロくらいの範囲の花から蜜を採ってまわるんですが、実際にその場所をまわるツアーなども。
------雑誌などでイラストも手がけておられますが、たとえばファッション雑誌向け、新聞向けなど、掲載する媒体で違うタッチになったりしますか?
小林: 描き分けたりできるほど器用じゃないんです(笑)。でも、掲載してもらう場所に一番合うようなものが描けたらいいなあといつもおもっています。挿絵的なイラストだったりすると、文章からうけた印象で絵が変わってきたりもしますね。
------今後のビジョンは?
小林: アンネ・フランクのプロジェクトでは2009年に現地に行って、その次の2010年のまったく同じ時期には中目黒のまさに隠れ家のような場所で展示をさせていただきました。今年は同じ時期に渋谷パルコのロゴスギャラリーで展示をさせていただいています。二年前、昨年、今年、と旅を振り返ったり今後を考えたりしていると、まだ具体的な予定があるわけではないんですが、来年はアンネ・フランクが実際に行った場所、オランダ、ドイツ、ポーランドで同じ時期に展示ができたらいいなとおもっています。
2011年5月20日 東京にて
空爆の日に会いましょう
著者:小林エリカ 発行:マガジンハウス、2002年 |
この気持ちいったい何語だったらつうじるの? (よりみちパン!セ)
著者:小林エリカ 発行:理論社YA新書よりみちパン!セ、2009年 |
LIBRO de KVINA |
(c)Mina Tabei, Erika Kobayashi, Haruko Kadota/LIBRO por MIELO |
LIBRO por MIELO |
LIBRO por MIELOの採蜜見学の風景 (c)Misato Ban/LIBRO por MIELO |
(c)Kasane Nogawa 小林エリカ(こばやし えりか) 作家。1978年東京生まれ。2007-08年アジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でアメリカ、ニューヨークに滞在。 『アンネの日記』をモチーフにした著書『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)を2011年に上梓。 その他の著書は、小説に『空爆の日に会いましょう』、コミックは詩をモチーフにした『終わりとはじまり』(共にマガジンハウス)、『この気持ちいったい何語だったらつうじるの?』(理論社YA新書よりみちパン!セ)などがある。 |
やあ、私だ。4月にアゴスティの『ふたつめの影』を取り上げた。電気ショック、恫喝、拘束服、ロボトミー…。60年代、医師バザーリアが精神科病院の非人間的な実態を目にし、病院内外の様々な人物を巻き込みながら、精神医療の枠組みをガラリと変えていく過程を見せる、象徴的かつ詩的な作品だ。神戸での日本初上映時には、イタリアのその後について客席から質問が飛んだ。 ひとつの映画的回答が、83年のミラノを舞台にした『人生、ここにあり!』だ。
お仕着せの慈善活動をするのみで、病院付属の協同組合で無気力に日々を過ごす元患者たち。そこへ労組から左遷された熱血漢ネッロが現れて、彼らの稀有な能力を次々に発見。彼の提案から民主的な方法で本当の意味で協働し、元患者たちがある種の芸術的な専門家集団としてイキイキと市場に打って出ていく顛末を、痛快なコメディータッチで物語る。
実話に基づくこの作品。喜劇とは不届き千万と、眉をしかめる向きもあろう。しかし、先の『ふたつめの影』を観ていた私などは、笑いの向こうに社会の成熟と寛容が垣間見えて目頭が熱くなった。
万事快調ではない。目を背けたくなる現実に向き合う場面もある。そこで鍵となるのが、原題でもある「やればできるさ」という合言葉だ。イタリアは楽観主義の国だと人は言う。そうかもしれない。一方で、楽観の意味が軽んじられてはいまいかと私は懸念する。精神科医なだいなだによれば、「本当の楽観主義者は、楽観する余地がないときでも、ほんのわずかでも希望があればそれに賭ける人間」だそうだ。真の楽観がどれほどのことをなしうるか!このフィルムの優れた点は、精神医療の話を通して、そんな心構えを示してくれるところにある。真実の再現ではなく示唆、比喩としてのリアリズムを演出の主眼とした監督の判断が奏功したものだと大いに評価したい。
今月の捜査結果:近頃げんなり気味のそこの君!「やればできる」ことが観に行けばわかるさ!
(c) 2008 RIZZOLI FILM 7月23日シネスイッチ銀座 8月20日梅田ガーデンシネマ ほか全国順次ロードショー 公式HP 配給・宣伝:エスパース・サロウ |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ。翻訳家 FM802でNIGHT RAMBLER MONDAY(毎週月曜日25-28時)を担当。イタリア文化紹介をメーンにした企画集団「大阪ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳も手がける。 |
鰻の顔はどんなだったか。鰻はいつも、すでに顔を失い、ひらいた体にタレのかがやきをまとってごはんの上にあるので、その顔は杳として知れない。うなぎ屋の水槽の中で緩慢に泳ぐ様子を見たような覚えはある。尖った顔でゆらりと水を分けて、みずからの体を後ろに長く曳き、たった一匹、いかにもけだるそうに行く。仲間はいない。人間に食べられる鰻らはばけつの中でひしめきあい、間もなく訪れる命終を厨房で待っている。水槽の中の一匹は、いわば看板鰻であり、しかし看板であることを本人はよく理解しないまま、なんとなく水の中にその命を漂わせている。水槽の彼をちょっと見てみても、なにしろ体色の黒にうもれて目の動きなどさっぱりわからない。
豪雨の後の湿った街を行くとき、あの水槽の鰻をちらと思い出す。雑踏を押し合いへしあい行く人らの間を、きゅっと顔をすぼめて急ぐ私は、限りなく鰻に近い生き物だろう。あいつはこんな顔をしていたのか、と、顔の内側で、私は思う。
澤村斉美(さわむら・まさみ) 歌人。 1979年生まれ。京都を拠点に短歌を見つめる。「塔」短歌会所属。 2006年第52回角川短歌賞受賞。08年第1歌集『夏鴉』上梓。 |
夏、外装のほぼ全面がツタに覆われる建物がある。佐賀県伊万里市にある「川南(かわなみ)造船所跡」だ。ここは戦時中に特攻兵器が造られており、戦争遺跡としての顔も持つ。外部と同様に内部も緑化が進んでおり、蚊にとって最適な巣窟になっている。そうとは知らずに入って、露出している顔や腕は全面刺され、ボコボコになってしまった。戦跡として建物を残し後世に伝えるか、取り壊して公園にするか。地元では意見が分かれており、今後の動向が注目されている。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家。保育士 保育士をしながら写真家としても活動。廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |