野村雅夫 フィルム探偵の捜査手帳歴史家である監督による時代の緻密な再現 ~プッチーニの愛人~~ |
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澤村斉美 12の季節のための短歌君のもう振り返らないといふ場所に夏の木陰ができてるだらう |
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小林哲朗 モトクラ!ディスカバリー生野銀山 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
まちづくりの実践的な研究を行い、市民と専門家が連携する新たなまちづくりの方法の確立に取り組んでいる都市計画家、佐藤滋氏。彼に、まちづくりにかける想いや、東日本大震災からの復興についてうかがった。
------新著『まちづくり市民事業―新しい公共による地域再生
』(佐藤滋編著、2011年3月、学芸出版社)の経緯からうかがいたいと思います。行政や専門家、企業やNPO、さらには商店会なども含む一般市民向けの内容でもあり、想定される読者がとても幅広い本ですね。また、共著者も多いので、とりまとめるのが大変だったのでは?
佐藤: 「パラダイム・シフト」などとよく言われますが、やはり、いまは社会が大きく変わろうとしているときだとおもいます。政治的な状況も不透明で、政府の布陣が新しくなるとすぐに皆で批判する、といったことも起きがちです。先が見えていないから、とりあえず気になることを否定していく、というような形ですね。でも本来は、創造的なものを生みだして、方向性を決めていかないとどうにもならない。こういうときに黙っていると、まちづくりも閉塞感に襲われてしまいます。自分たちで組み立てていって、何ができるのか、何がやりたいのか、そういったことを考えるのも重要です。
今回の共著者の方たちは、地域のひとたちと一緒になって、自分たちがやりたいことを発見して、その内容を創造的に組み立てていく仲間なんです。そうやって皆でやってきたことの成果がでてきたな、やりかたもなんとなく分かってきたな、と。これはもっと広げていってもいいんじゃないか、という手ごたえが本に結実しています。
------今年3月11日の東日本大震災を契機として、被災地以外でも、自分たちが住んでいる地域への関心やまちづくりにかかわろうという意識が高くなり、住民参加によるまちづくりの素地ができてきたのではないかという気がします。
佐藤: この本が完成したときに、東日本大震災が起きていました。そのときには、この本の内容のようなことはふっとんでしまって、被災地には国が出ていって大規模に直轄で対応しないといけない、ともおもいました。だから、「このような内容の本を出してしまって大失敗だ」と本当に感じたんです。
ところがあるていどの時間が経ってくると、専門家や地元の人たち、首長の方たちのあいだで、こういう市民を巻き込んだものこそ大事なんだ、という感じになってきて、実際にそういう動きもでてきています。
いまは、当初の印象とは逆に、東日本大震災がこういうまちづくりの方向へと作用をするのかな、と考えています。壊滅的な被災で何もなくなった、といっても、実はそこにはまだいろいろなものが残っています。まさにこういう方法に可能性があるというのが、実践されるのではないかと。
------市民と一緒にまちづくりのワークショップを多く開催されています。その様子について教えてください。
佐藤: おおくの場合、まちづくりや都市計画に対する前提として、ひとびとの想いが常に裏切られてきたということがあります。ですから最初は皆さん、非常に慎重ですね。そういう部分を解いていくことが重要で、きちっとしたプログラム、技術、そして納得、といったものが必要になってきます。いきなり「これが正義です」と押しつけたり「皆がやってるからうまくいきますよ」といってみても、うまくいきません。ひとつずつ積み上げていって、参加する人たちが楽しみながら自分たちの思いをぶつけて、実現できるようなものになっていかないと。
最初の段階では大学や学生がかかわったりすることもあります。若い学生の純粋な気持ちがあると、住民のほうもこれまでのしがらみにとらわれるのではなく、前提の部分から考えなおしてみよう、となってきます。学生というのは、わたしたちのチームでも大きな意味をもっているんです。学生がもっている純粋さによって、気持ちが素直に出てくる、ということがありますね。
------住民のあいだでの意思統一をはかるのが難しいこともありそうですが。
佐藤: 段階的にきちんと進めて、コアになっているリーダーのひとたちにも調整をしてもらいます。こういうリーダーの方たちが運営できるようにしていけば、彼らは全体をおさめていけるんです。逆に、自分たちで全部をやろうとすると失敗しますね。住民のなかから本当の推進役が必要で、数が少なくても、そういうひとたちがいれば大丈夫です。まちづくりに興味がある、リーダーシップをとれる、など、リーダーはいろいろな要素で出てきます。町内会長など、すでにリーダー的な立場の方もおられます。
町内会などについては、わたし自身も誤解していたんですが、実にモラルが高いです。驚いてちゃいけないんだけど(笑)、本当に驚くべきレベルです。社会がすごく変わってきているのはそういう面にもでています。こういう人たちが本気になって、「自分たちの思いがかたちになってくんじゃないか」と考えていくと、それがまちづくりの推進力になっていきます。
------上述の『まちづくり市民事業』でも、中越沖地震からの復興地区、尾道のような歴史的地区、東京の木造密集地区、と、じつに豊富な実例を扱っておられます。まちづくりはケースバイケースだとは思いますが、共通する部分もありますか?
佐藤: 最終的には人と人との信頼関係なんですよね。一緒にものをつくっていくことは楽しいじゃないですか。そして、本当の意味での信頼関係がその中で醸成できないと、先には進めない。市民事業っていうのは、どっちかが儲かって損して、だとか、利益をどう配分するか、といったことじゃないんです。一緒に取り組むことで何か新しい価値を生みだしていけるようなこと、本当のコラボレーションなんです。ですから、人間的な信頼感というのが大事です。この人たちと一緒にやっていて楽しい、何かやりたい、といった気持ちが大事なのは、どの場所でも同じです。ほかの分野でも同じかもしれませんが。
------そのような人間関係のあり方は、地域差もありそうですね。
佐藤: まちづくりでかかわっているのは、東京であっても下町っぽい場所であったり、濃密な人間関係がベースにあります。東京の場合には、そこに全然知らないひとたちも住んでいますから、そういう人たちをどうやって巻き込んでいくのか、という話がありますが、基本的にはそう違わない気がしますね。まちづくりの基本になるのはしっかりしたネットワーク、情報、関係みたいなもので、それがベースとして地域にないと進めません。「社会関係資本」という言葉もありますが、まさにそういうものから展開していきます。まちづくり市民事業というのも、ある種の見方であって、非常に困ってやらざるをえなかったとみるか、楽しみながら新しいものを生みだしたとみるかの違いです。
行政がやってくれないし、お金がないし企業投資もない、困ってしまって自分たちでやるしかない、と思ってやってみたけれど、よく考えてみたら楽しみながらやっていた、ということがあります。たとえば経済的にも成功して毎週末にゴルフしているような人が、まちづくりに取り組んで、一年間ずっとゴルフに行ってない、なんていうケースもありますね(笑)。もちろん、「楽しむ」ということの意味には注意が必要です。スリリングで、リスクを背負わないといけないときもあったりします。
------現在、『社団法人 日本建築学会』の会長をされています。東日本大震災が発生し、建築学会への期待もより大きくなったとおもいます。
佐藤: 震災以前から「社会貢献」を定款に入れることになっていましたが、こういう側面からも、学会が試され、促進されています。学会は単なる学術団体と考えておられる方からみると「やりすぎ」と思うかもしれませんが、学会には学術、技術、芸術、また、職能も入っています。そうやって皆が一緒に進歩発展のために尽くす、それも利益のためじゃなく、学会のもっている広がりを確認して、原点にたちかえってとりくむ。そういう意味では、東日本大震災への対応というのは、学会の機能と大きく矛盾するものではありません。
学会は建築界のプラットフォームだと言えます。関連する他の専門家も連携していくことで、建築の可能性が広がってくるとおもいます。建築学会が先頭に立つ必要はないですが、中立的な立場から呼びかけやすいんですね。東日本大震災の発生は不幸なことですが、不幸だ不幸だと言っても仕方がないですし、建築の社会的な意義をきちんと果たす機会にしていかないといけません。それが、被災地や社会のためになります。
------都市計画やまちづくりに興味をもったきっかけを教えてください。
佐藤: 高校生のときにクラスでスピーチをしたんですが、そのときには「都市計画」あるいは「まちづくり」とはっきり言ったことを覚えています。言ったことに縛られたわけでもないでしょうが(笑)、そのまま進んできましたね。
わたしは千葉県の市川市で生まれ育ちましたが、環境がいい場所でした。ノンビリとしていて、緑に囲まれ、車も入ってきません。そこから千代田区の中学に通いはじめたんですが、当時は隅田川なんかの臭いがすごかった。モクモクと公害問題なんかがでてくる時期でした。それまで見たこともないような住宅が密集していて。これを毎日みて、何とかしないと、と正直におもいました。建築や都市という分野の、社会のなかでの可能性を感じたんです。華々しい分野という印象もありましたが、まずはそういう原体験がありました。
------建築もそうですが、「まちづくり」であつかう対象はとても大きく、また、万が一失敗してしまうと、簡単に取り換えることもできません。重圧もあるとおもいますが、この分野に携わることの喜びを教えてください。
佐藤: まちづくりは持続的なものです。持続的に充実していく、とでも言うようなじわっとしたもので、自分の手を離れてからも充実していきます。自然なかたちで大きな全体が動いていくわけですが、そのなかに専門家がかかわる、というのが個人的には好きですね。そういう流れが見えてきたときは嬉しいものです。
個人がつくって名前が残る作品、という側面が建築にはありますが、わたしは、全体として動き出しているというものに対して非常に充実感をおぼえます。また、それを理論化、方法論化して世の中に広めていく、ということも同様ですね。本もひとつの成果ですが、そういう成果が大きな喜びです。
2011年5月21日 大阪にて
ワークショップによる共創のプロセス (東京都向島でのワークショップ風景) |
地元の自治会と就業支援のNPOが連携する (広島市・可部夢街道の活動) |
都市計画 根底から見なおし新たな挑戦へ
蓑原敬 編著 西村幸夫、佐藤滋 他著 2011年2月、定価2,940円(税込) 学芸出版社 |
日本建築学会叢書 7 大震災に備えるシリーズ 1 大震災に備える 2009年12月、定価2,100円(税込) 日本建築学会 |
日本建築学会叢書 8 大震災に備えるシリーズ 2 復興まちづくり 2009年12月、定価2,100円(税込) 日本建築学会 |
佐藤滋(さとう しげる) 都市計画家。1949年、千葉県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業、1990年教授に就任。早稲田大学都市・地域研究所・所長として、自治体、民間セクター、市民まちづくり組織と実践的な共同研究を行い、市民と専門家が連携する新たなまちづくりの方法の確立に取り組んでいる。主な著書に『大震災に備える1、2』(編著、日本建築学会叢書、2010年)、『都市計画 根底から見なおし新たな挑戦へ』(共著、学芸出版社、2011年)など。工学博士。専門:都市設計・計画。 |
やあ、私だ。今年多くのフィルムが日本で封切られるイタリア映画。先月のムッソリーニに続いて、今度はプッチーニを題材に、歴史上の醜聞がつまびらかになる作品だ。
トスカーナの風光明美な湖畔。20世紀初頭、プッチーニは別荘に長期滞在してオペラ『西部の娘』を創作していた。そこで女中ドーリアと不倫関係になり、妻の逆鱗に触れた彼女は、公衆の面前でさんざん侮辱された末に服毒自殺を図る。と、ここまでは少なくともイタリアではよく知られた事件なのだが、監督ベンヴェヌーティは、自由奔放な『西部の娘』のモデルと言われるドーリアの写真を複数枚入手し、実直な田舎娘としか言えない風貌から、プッチーニが密通していたのはドーリア本人ではなかったのでは…。こんな仮説を立てたところから、検証が始まった。
ベンヴェヌーティは1946年生まれのベテラン監督であるが、実は職業監督ではない。普段はピサ市内で公務員として働いている。彼の映画は歴史をモチーフにし、撮影前の微に入り細をうがつ調査と、独自の理論に基づいた時代考証を基に銀幕に再現される光と音によって、フィルムごとに新たな史実(学説)の可能性を世に問うてきた。
プッチーニの場合、写真や8ミリによる動画まで含めた映像から、楽譜や日記といった紙媒体まで、豊富な一次資料に当たることができた。そうして入念な裏付け作業を行った仮説を、監督は当時現地で流行していた点描画法による絵画作品を視覚的な基礎に据えて映像化していった。また、当時の映画の形式にのっとり、やり取りされる手紙や電報の音読以外は登場人物たちのセリフを省いた無声の演技をつける一方、イタリア一と言われる録音技師の手(耳)による環境音とプッチーニのピアノ演奏で聴覚的な世界を再構築したのである。
歴史家ベンヴェヌーティが精査したドーリア事件を、監督ベンヴェヌーティが他に類を見ない形式で映画化した本作には、優れた論文に特有のあのスリルが備わっている。
(c) Arsenali Medicei S.r.l. 2008 パオロ・ベンヴェヌーティ監督作品 『プッチーニの愛人』 シネマート新宿 6月18日公開 シネマート心斎橋7月2日公開 |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ。翻訳家 FM802でNIGHT RAMBLER MONDAY(毎週月曜日25-28時)を担当。イタリア文化紹介をメーンにした企画集団「大阪ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳も手がける。 |
先日、学生時代に慣れ親しんだ京都市左京区の百万遍界隈を久しぶりに通りかかった。交差点の西南の角には、かつて銀行があったのだが、いまは大手ドラッグストアになり、店内の灯りがまぶしいほどに歩道まで照らしている。がっかりすることでもないのだろうが、やはり少しがっかりする。特に思い入れもなかったはずなのに、銀行の大きな硝子窓に日々の空が映り、人々が映り、私も映りながらこの辺りを行き来していたことを、古い映像のように思い出す。思い出の捏造というのか、自分の勝手な情動に呆れてしまった。
私は銀行だったけれど、西南の角のドラッグストアをなつかしく思い出すことになるだろう人たちが、いまこの辺りを歩いているのだ、と思った。もし、いまここに住んでいたなら、私もドラッグストアに立ち寄りもし、まぶしい灯りや山と積まれたカラフルな品物を、風景として無意識のうちに記憶するだろう。たくさんの人が、それぞれの時間と風景を重ね、記憶としていく。場所の不思議を思ったのだった。
澤村斉美(さわむら・まさみ) 歌人。 1979年生まれ。京都を拠点に短歌を見つめる。「塔」短歌会所属。 2006年第52回角川短歌賞受賞。08年第1歌集『夏鴉』上梓。 |
1973年に閉山になった生野銀山は現在、近代化産業遺産に認定され観光坑道として見学でき、江戸時代のノミを使った手掘りの様子から、掘削機を使った近代の鉱山技術までを紹介している。坑道内は年間通して約13度。通常歩いて40分のコースだが、むき出しの岩盤に照明が当たる美しさに目を奪われ夢中で撮影。3時間経ち体が冷え切ってしまった。長時間滞在の方は厚着をオススメする。コース終盤には巨大な巻揚げ機もあり、見所満載の観光坑道である。
小林哲朗(こばやし・てつろう) 写真家。保育士 保育士をしながら写真家としても活動。廃墟、工場、地下、巨大建造物など身近に潜む異空間を主に撮影。廃墟ディスカバリー 他3 冊の写真集を出版。 |