きむいっきょん ラブ!なこの世で街歩き街にかかる虹 |
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野村雅夫式「映画構造計画書」つんのめる猫の眼 ~ハーブ&ドロシー~ |
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【連載小説】 ハウスソムリエ 寒竹泉美巻貝姉妹、姉の場合 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
耽美的な世界観や精巧なレトリック、さらにはサブカルチャーへの造詣の深さで高い評価を受けている若手歌人、黒瀬珂瀾氏。彼に、短歌の創作活動に対する姿勢や、今後の抱負についてうかがった。
------短歌というと日本のものという印象が強いですが、たとえば黒瀬さんの歌で
★ おおここに高々と「無」が聳えをりグラウンド・ゼロ風吹くばかり
がありますね。短歌と、海外のものとの相性はどうでしょうか?
黒瀬: じつは海外文化を短歌に詠み込むことは、昔からよくありました。それは近代以降の短歌にとって、一つの宿命という気がします。特に現代は、海外文化やインターネットが身近で、ハイカルチャーからサブカルチャーまでが混然となった社会です。短歌の詩形は、そのような伝統と非伝統が混ざり合った状況を歌うには、実は適しているかもしれません。俳句(五・七・五)よりかは長くて「私」がどう思っているのかをヴィヴィッドに表現できる文学ですし、小説ほどは説明が要らない、つまり、今こういう社会で生きているという一瞬を切り取ることができます。短歌というと百人一首や平安時代の和歌のイメージがあるかもしれませんが、当時も唐などの文化を珍重していたわけですし、案外、日本文化自体が海外文化に対して貪欲なのかもしれないですね。
------黒瀬さんの歌集には、サブカル、あるいは現代的な要素もたくさん出てきますね。ザッと列挙してみても、PaulSmith、綾波、メイドカフェ、舞城王太郎、シータやパズー、といった感じで。次のような歌も詠まれています。
★ 日本はアニメ、ゲームとパソコンと、あとの少しが平山郁夫
サブカルとの距離感については、どのように考えていますか?
黒瀬: 僕も含め大抵のひとは、短歌を作るときに、これは歌になる、ならない、と選別しているとおもいます。でも、サブカルチャーであっても、自分の意識に何か反応したものをすべてフィールドに並べていくこと、それが今を生きる、つまり、生の証になるんじゃないでしょうか。普通に生きていればテレビかどこかで、例えばアニメの『天空の城ラピュタ』を目にすることもあるでしょうし。一部の素材に対してだけ、短歌を作るときに壁を作ってしてしまうのはどうかということですね。もちろん、僕自身にオタク気質があるので、自然とサブカル色が歌に反映されていますが(笑)。
------短歌は、小説や詩に比べると五・七・五・七・七の形式で拘束されるわけですが、その点についてはどう考えておられますか?
黒瀬: 形式に拘束されることで、逆に、言外の余韻が出てきますし、それが散文とは違った感動を呼びます。短歌の世界ではよく、「意味4律6」、つまり一首の要素は言葉の意味が4割でリズムが6割、と言われたりしますが、リズムがあるから読者の心に残るんでしょうね。ただの一言が、定型によってかけがえのない人生の一瞬の記録になりうるんです。
そして、定型自体の性質もどんどんと新しくなっていきます。表記方法に限ってみても、例えば、印刷技術の向上がルビを駆使した表現や、外国語のスペリングを導入させました。インフラによって表現が変わっていくんです。
------読者の想定についてはどうですか?たとえば新聞連載(「カラン卿の短歌魔宮」、読売新聞、2004~2006年)などは、それまで短歌に触れる機会のなかった読者にも届いたとおもいます。
黒瀬: 短歌界の外からの目線も常に意識していますし、そのために現代詩や俳句とも積極的な交流をしています。ただ、短歌に普段接していない読者に向ける場合であっても、修辞のレベルを落とすというのは絶対に良くありません。たとえば最近、ツイッターで口語調の短歌をつぶやくのがはやっていますが、その中の一人が、僕のかなり難しい歌をきちんと読み解いてくれていました。どんな歌でもきっと誰かは分かってくれると信じて、歌自体は正当なもので勝負したいと思います。
------歌を詠む時は、どのようにしていますか?自然と出てくるものなのか、あるいはひねり出す感じなのか。
黒瀬: 締切に追われて、というのは冗談です(笑)。真面目に答えれば、詩は詩から生まれる、という言葉がありますが、自分の世界だけでは歌はできません。他者の詩歌や言葉に触れることで自分の中に新しく生まれた言葉の欠片と、街を歩いたり日々を生きる中で受けた刺激を組み合わせる、という感じでしょうか。
------たとえば次の歌では、ひとつの光景が非常に印象的ですね。
★ カーテンを裸の君が開けはなつ朝のフロアに楼蘭がある
歌を詠むときは、全体のシーン、あるいは、言葉のフレーズ、どちらが先でしょうか?
黒瀬: どちらもありますね。色々なパターンが結びついて一つの歌になります。天啓のように31音がパシンとおりてくることもあります。いつもそうだったら締切もラクなんですが、滅多にないですね(笑)。
------黒瀬さんは大阪のご出身ですが、大阪で好きな場所を挙げてください。
黒瀬: ミナミのほうにある中学・高校に通っていたので、いつも遊んでいたのは新世界、日本橋、阿倍野、といった場所です。あの辺りの猥雑さが、日本もアジアだと思い出させてくれます。住んでいたのは千里のニュータウンだったんですが、ニュータウンは大阪の文化圏のどこにも属さないニュートラルな感じに造られていて、僕の精神はそこでつくられたんです。だから逆に大阪のディープな場所に憧れもあるし、反発もあります。
------短歌を始められたのは13歳ということで、早いですね。キッカケは?
黒瀬: 身近に短歌の関係者はいなかったですし、芸術のゲの字もない家庭に育ちました。でも、子どもの頃から空想癖があって、お化けや妖怪が好きでした。母の教育方針で本をたくさん読ませようということだったんですが、その中に水木しげるさんの本があったんです。それからファンタジーの世界にのめりこんでいって、たまたま目にした短歌という形式で自分でも創るようになっていきました。オカルティックに聞こえるかもしれませんが、超自然的なものへの憧れが強かったのかなあと思います。ニュータウンには蛇もいたしアケビも生っていたけど、その自然がどこまで本物なのかわからない環境で育ちました。だから、勝手にニュータウンの地図を描いて探検したり、自分で「不思議探し」をしていましたね。
------黒瀬さんの短歌では、「東京」が「異郷」として描かれている歌が多い気がします。
黒瀬: 20代半ばまでずっと大阪の千里にいました。そんなふうに精神史を作った土地から離れて東京で一人暮らしを始めた当初は、東京は永遠に仮住まいというイメージでした。でも、暮らしているうちに、東京と大阪の関係も変わってきましたね。最初は東京の場所を「ここは大阪の○○に似ているなあ」と比べていたのが、だんだんと「ここにしかない土地」だと実感してきたんです。
------今後の目標について教えてください。
黒瀬: 今を生きるということと、悠久の伝統の融合を目指したいですね。日本人の心情は世界の様子に影響されて更新されていきます。短歌が、そのような状態を表現するものになってほしいと思います。古典回帰やノスタルジーだけでなく、また、サブカルや表層的な言葉の戯れだけになるのでもなく、その両者が昇華されたものとして次の時代に残していきたいです。自分で創作もしたいし、それにかかわっている人の手助けもしていきたいですね。
2010年9月11日 大阪にて
(★の3首は、いずれも第二歌集『空庭
』(本阿弥書店、2009年)より抜粋)
高橋由美子がアイドル全盛期だったころに唄っていた「友達でいいから」という曲をご存じだろうか。
内田春菊さんの名作『南くんの恋人』の主題歌だったので、聴いたことがある!というひとも多いだろう。
この前ラジオを聴いていたら、リリーフランキー氏がこの曲に関してロマンチックな勘違いをしていた。
サビのところで
「♪ああ、友達でいいから…君が望むなら 真夜中の2時でも駆けてゆくからね」
という歌詞が出てくるのだが、リリーさんはここを
「♪真夜中の虹でもかけてゆくからね」
だと思っていたそうだ。
「君が望むなら、真夜中に虹だってかけてみせる!」という心意気に感心していたそうな(結局勘違いだったわけだが、ロマンチックな勘違いをしたままの方が世界は素敵かも知れない)。
ということで、虹!(おもむろでゴメーンね)
今回の街歩きのキーワードは「虹」である。
どうやら私は虹色の配色が好きらしく、街歩きしていても虹っぽいものによく目がいく。
以前「情熱看板」として紹介した看板も最初は「虹?!」と思って目がとまった(虹色看板①②)。
虹色看板① | 虹色看板② |
昨年香港に行った時は、香港がまさに虹の王国でビビった。
夜景もさることながら、「お店そのものが虹!」なのである(虹色店①②)。
虹色店① | 虹色店② |
先日韓国へ行って来たのだが、韓国でもたくさん虹発見。
韓国は「食べ物や着るものが虹!」だった(虹色衣食①②)。
虹色衣食① | 虹色衣食② |
そこで、日本に帰ってきてなんか日本っぽい虹はないだろうかと街歩きしてみた。
今まで見つけた派手な看板では、各国に迫力負けしてしまいそうだ。
歩いている。
歩いてみる。
「あ!」
素朴でかわいい虹発見!
保育園にかかる虹だ!
これはこれで素敵。虹色×ひらがなもいいなあ…。
街の中の虹色は、街にかかる虹のような気がする。
自分の服の色だって、虹の一部になることもある。
ちなみに虹色目線で街を歩くと、これ(虹?)もなんとなく虹に見えて面白かった。
虹? |
歩いてみよう。
歩いてみよう。
街にかかる虹なら、真夜中の2時でも見つけることができますよ。
金益見(きむ・いっきょん) 人間文化学博士。大学講師。 2008年『ラブホテル進化論 (文春新書) 』でデビュー。同年、第18回橋本峰雄賞受賞。 |
郵便局員と図書館司書としてそれぞれ長年勤め上げ、ふたり仲良く年金暮らしを送る夫婦がいる。こう書いても、その良くも悪くも平凡な響きに、人は「それはごくろうさまでした」と思うだけだろう。でも、ふたりがなけなしの給料をはたいてせっせと作品を集め続けてきた現代アートのコレクターだとしたら? ふたりがニューヨークの一角にある住まいにため込んだ二千点を超える秀作を国立美術館に惜しげもなく寄贈したとしたら? 自ずと興味がわくだろう。
NHK出身の佐々木芽生が監督した『ハーブ&ドロシー』は、副題に「アートの森の小さな巨人」とあるように、コントラストが鮮やかに決まるドキュメンタリーだ。ハーブは寸法の小さな人だが、その小さな体躯で伴侶ドロシーと集めたコレクションは、そっくりそのままNY現代アートの詳細な展示会が開けるほど膨大かつ奥行きがある。しかし、夫婦は共に元公務員。今も慎ましやかな生活を送り、作品たちはすべてささやかな1LDKのマンションに収まっている。どうすればそんなことが可能になるのかは実際にフィルムをご覧いただくとして、そんなギャップがそのまま視覚的なコントラストとしてうまく演出されているところに、このドキュメントの妙がある。
僕が目を見張ったのは、ハーブの姿勢だ。アート作品を文字通り舐めまわすようにしてあらゆる角度から眺めつくす。そして初めて判断をする。その観賞メソッドがそっくり彼のつんのめったような姿勢に表れていて、ただでさえ老いて少し屈んだ背が、観賞時にはさらにもうひとつぐいと前屈みになる。その佇まいは、まるで夫婦が美術作品と同様にかわいがる猫のよう。ハーブの眼は、全神経を集中して獲物を見つけ出す猫の眼なのだ。
互いに寄り添うふたりに寄り添うカメラを通して、前屈みでアートを眺めるふたりを眺めながら思った。どの分野にもこんな姿勢を持った人がいれば素敵だな、と。そして、できれば、僕やあなたの住む町にも。
(c)2008 Fine Line Media, Inc. All Rights Reserved. 11月13日(土)渋谷シアターイメージフォーラムより全国順次公開 関西は、12月上旬梅田ガーデンシネマ、 順次京都シネマ、シネ・リーブル神戸 にて公開 |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ、翻訳家 1978年、イタリア、トリノ生まれ、滋賀育ち。 イタリアの知られざる映画・演劇・文学を紹介する団体「大阪ドーナッツクラブ」代表を務める。 FM802でDJとして番組を担当。 |
「お姉ちゃん、ちょっとこれ、どういうこと」
部屋に入ってくるなり、リカが雑誌を広げてエミに突きつけた。
「お帰り。どうだった、ヨーロッパ」
「そんなことはどうでもいいから、これ。どうして黙ってたの」
エミは、興奮している妹を驚いて眺めた。口調は怒っているのに、顔は今にも泣きそうだった。傷つけてしまったのだ、と、エミは思った。リカの目を見て、ゆっくりと口を開く。
「黙ってたのは、あなたを信頼してなかったわけじゃないわ。誰にもその家を建てたことを明かさないというのが、クライアントとの約束だったからよ。ごめんね」
エミは静かに微笑んで続けた。
「その依頼主にね、もっと家を建てなさいって言われた。それからずっと考えてた。雑誌から取材が来て、ようやく決心がついたわ」
吉澤なら、自分の死後も家を隠し続けることは容易だっただろう。静寂が乱されることを、彼が好むはずはない。だから、雑誌に取材をさせたのは、わざとだ。それは、自分に向けた最後のメッセージなのだ、とエミは思った。
「生きることの混沌を恐れるな、って、その人に言われたわ。確かにわたし、恐れてたかもね。予測できないことは嫌いだった。制御できないことも。でも、これからは少しずつやってみようと思う。まあ、無茶な設計書いたときは、リカに修正してもらうから、よろしくね」
とたんに、リカの目に涙があふれて、エミは驚いた。
「どうしたの?」
「だって、嬉しくて。わたし、お姉ちゃんに家を建ててほしかった。誰よりも家を愛してるお姉ちゃんの建てた家を、ずっとずっと見てみたかった。ちっちゃなときから、ずっと、わたしは、お姉ちゃんが家を建てるのを待ってたから」
そんなことを思っていたのか、と、エミは胸をつかれる思いがした。が、そのあとに続いたリカのセリフにもっと驚いた。
「浅野浩太に感謝しなきゃね。何か、あいつが来てから、お姉ちゃん変わったよね」
確かにそうかもしれない。家にまったく興味のない彼を拾ったときから、わたしは既に変わり始めていたのかもしれない、とエミは思った。それに、詐欺師と知りながら雇っているなんて、以前の自分なら考えられなかった。
お姉ちゃんと浅野のバトル、かなり笑わせてもらったけどね、と、浩太の話を続けるリカは、何だか嬉しそうだった。わたしだけじゃない、この子も、変わった、とエミは目を細めた。合理的で計算高く、いつもどこか冷めていた妹が、こんなふうに感情をむきだしにするなんて、今まではなかったことだった。
エミは、リカを見て、次のセリフを言うか言わないか、しばらく迷った末に、口を開いた。
「でも、うちがこんなふうにマスコミに露出したから、浅野は近いうちにやめると思うわ」
「何で?」
リカがきょとんとしている。
「彼は、本物の詐欺師だから」
エミは書類の束をリカに手渡した。吉澤の部下が調べ上げた資料だった。そこには、浅野浩太が使っている複数の名前と経歴と、やった「仕事」が書いてあった。
「きっと、あんたが帰ってくるまではと思って働いてくれているんだろうけど。帰ってきたから、そろそろ……」
話を最後まで聞き終わらないうちに、リカはエミの部屋を飛び出した。階段を駆け下りて、再び事務所に戻る。事務所では浩太が忙しそうに電話の応対をしている。リカは、そっと金庫を開けてキーを取り出し、ポケットに入れた。
「ちょっと、リカさん、手伝ってくださいよ」
「わたし、今日まで休暇だから、もう帰る。がんばってね」
えー、何しに来たんですか、という浩太の声を無視して、リカは事務所を出た。それから、手を挙げてタクシーを止めると、乗りこんで行き先を告げた。
(続く)
寒竹泉美(かんちく・いずみ) 小説家 1979年岡山生まれ。小説家。 2009年第7回講談社Birth最終通過。「月野さんのギター (講談社Birth) 」にてデビュー。 ウェブサイト「作家のたまご」 |