きむいっきょん ラブ!なこの世で街歩き街は話している |
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野村雅夫式「映画構造計画書」体当たりとはこのことぞ! ~ミレニアム2・3~ |
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【連載小説】 ハウスソムリエ 寒竹泉美静かな家 |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
祇園甲部芸妓として伝統芸能に精進するとともに、「MAKOTO」名義でジャズシンガーとしても活躍する、真箏氏。彼女に、それぞれの仕事に対する姿勢や花街でのようす、今後の抱負についてうかがった。
------真箏さんはお仕事で芸妓とジャズシンガーを両立されていますが、その経緯について教えてください。やはり、京都という街との関係は深いですか。
真箏: 京都で生まれ育ったからこそ、古き良き京都、進化していく京都を感じる事ができるのか、両方させて頂いてるんだと思います。親が営むバーの関係で、もともと洋楽を聴いて育ちました。最初に触れた楽器もピアノですし。親のお店の掃除について来る事も多く、祇園町を歩き、舞妓さんを見かける機会なんかが多かったんですね。はじめは単純に、ビジュアル面で憧れる感じでした(笑)。割と近くにあったにも関わらず、この世界のことをあまり知らないから飛び込めたとおもいます。厳しい世界ですし、身近に知っていると少しは尻込みしていたかもしれませんね。洋楽が好きな子どもでしたが、芸事そのものが好きだったので、和の習い事にも魅了されました。
------芸妓とジャズシンガーというのは、和風と洋風という点では真逆ですが、人前で演じるという点では共通するところもありそうですね。
真箏: 芸妓として舞台に立つ、ライブで洋楽のパフォーマンスをする、そのどちらでも、直前のテンションは同じです。和風や洋風といったことは考えていなくて、自分らしく、それまでのお稽古の積み重ねというか、今のベストを尽くす様に頑張っています。
------技術的な面ではどうですか。
真箏: ジャズのほうは、リハーサルの内容から、本番で急にテンポを変えたりもします。自由奔放な部分もある中で自分の表現をします。
それに比べると舞の方はお師匠様にお稽古して頂くので、教えてもらった事を忠実に表現できる様に頭でも考えつつ、その上、自分になれるか、ということですね。たとえば「ここで右を向きすぎないように」とか、二人で舞う場合等は「この場所で相手により過ぎては駄目」といった細かい部分も意識しています。
------なるほど。ちなみに、師匠は本番の舞台もご覧になるんですか?
真箏: 舞台で舞わせて頂く場合はお師匠様が見てくれてはります。「都をどり」は一ヶ月あります。最後の最後までご指導頂いてます。もちろん、自分で研究することも大事なので、歌舞伎やお能などを見て学ぶ事も多いですね。
------ライブのほうでの、最近の活動について教えてください。
真箏: この春から夏にかけてはステージが多かったですね。先日は嵐山音楽祭主催の「嵐山版"We are the world"」のレコーディングに参加させて頂いて参りました。収益金はハイチに寄付されるんです。また、11月末にはNYでレコーディングをする予定となってます。それとの兼ね合いを考えながら、他のステージの準備を進めています。
------花街のようすについてうかがいたいとおもいます。伝統的な場所ですが、やはり時代に応じた変化もあるんでしょうか。
真箏: そうやねえ。私が舞妓さんになったときは、場所が祇園ですので、たとえば、「一年目の舞妓は一人で四条大橋を渡ってはいけない」だとか「喫茶店に一年目の舞妓同士だけで入ってはいけない」といったタブーがありました。今はその辺りは変わっているかもしれませんねぇ。
------そのタブーは、「舞妓」と「芸妓」のイメージからきていたんでしょうか。
真箏: そうですね。ハッキリとは分かりませんが、まあ、舞妓と芸妓は子供と大人というイメージでしょうか。舞妓さんがあまりにも大人びてみえるのはどうか?という問題なのかもしれません。たとえば、私は二十歳を過ぎても舞妓をしていたんですが、お座敷で「お酒飲めへんのんどすねん」で問題ありませんでした。それが、舞妓が終わって3日後、芸妓になってまだ数日という時に同じ事を言うと、「飲めへん芸妓なんか面白くない」と言わはるお客さんがおられました。おとといまではそんなことなかったのにね(笑)。
------花街について、たとえばインターネット等の普及で変わったことはありますか?
真箏: インターネットで舞の会の情報なども見れますし、私も京都発信のHP、chimalabel.comも立ち上げてからはこのサイトから「都をどり」のチケットを毎年ご購入下さる方もありますので、輪が広がった感じがします。
------真箏さんご自身、舞妓でスタートされてからいままで、妹から姉へと立場も変わられています。
真箏: いまは、「真」のつく筋では一番上になってしまい、妹分が4人います。やっぱり下にいるほうが精神的にはラクでしたし、最初は「大役かなんわあ」みたいに思っていました。私のお姉さんはすごくテキパキとした優秀な方でした、しかし同じ様にはできません。ですので、妹分とは助けあいながら頑張っているので、彼女達は自由に育ってくれてはります(笑)。勿論、叱らなければいけない姉の辛さ、みたいなものは時々ありますが。
------芸妓、ジャズシンガーにとどまらない活動をされていますね。DJをされているラジオ番組について教えてください。
真箏: FM京都α-Stationの、「Sweet'n Marble Lovers」という番組でDJをしています。モデルの峰えりかさんと二人でお届けする番組ですが、私のコーナーは京都らしさというコンセプトもあり、京ことばのコーナーなんかもあります。また、私はお仕事も含め、常に誰かと会話しているタイプだからか、特にゲストのコーナーでご好評いただいています。先日は氣志團の方々にご登場いただいたんですが、最初からテンションが高く、最後まですごく楽しい収録でした。他には海外のアーティストや能楽師、邦楽の演奏家さん、JAZZやJ-popなどのミュージシャン、アート関連などなど幅広くプロフェッショナルな方々にご登場頂いてます。
------さらには、洗顔石鹸などの美容用品の監修もされているとか?
真箏: 京都プレミアムの石鹸が、お陰さまでロングセラーですね。同シリーズの薬用ボディ石鹸、シフォンタオル、なども監修しています。
------真箏さんは京都生まれの京都育ちですが、とくに好きな場所はありますか?
真箏: リフレッシュには、知恩院さんなんかに行きます。空の広い空間がいいんでしょうね。歩いて行けて、三門(山門)を見上げる感覚や、石段をのぼっていく感じも好きです。
------今後の目標について教えてください。
真箏: いろんな人に出会えること、和洋関係なく芸事が好きなんです。JAZZという世界共通の音楽を歌いながら日本の伝統文化の素晴らしさを京都から日本全国、世界へ向けて発信したいと思います。そして、私もいつかそれを伝えに歌と共に世界中に伝えて回りたいなぁっと思います。もしくは、京都に来てもらえるような事やりたいですね!
2010年8月7日 京都にて
「Live!Do You KYOTO?」でのステージ 2010年5月、京都、円山公園音楽堂 Photo: Daiji Imanishi |
M.O.N minialbum "UNKNOWN" featuring MAKOTO 以下のオンラインストアをはじめ、全国のCDショップで購入可能 HMV BadNews オンラインストア |
真箏(まこと) 16歳で舞妓として店出し、21歳で芸妓となる。井上流の名取でもあり、祇園甲部芸妓として芸妓の仕事を中心としつつ、「MAKOTO」名義でジャズシンガーとしても活躍している。 |
先日、夜間中学校に通っている在日のお婆ちゃんの文章を読んで「おお!」と思った。
日本語は話せるけれど読み書きができなかったお婆ちゃんは、夜間中学に通ううちに、ひらがなを覚え、カタカナを覚え、漢字を覚えた。
するとだんだんと"街がうるさくなってきた"というのだ。
特に商店街なんかに行くと"目がうるさい"んだそうだ。
なるほど!新発見な視点である。
確かに、街にある文字をちゃんと意識すると、音以上にうるさいかもしれない。
文字が読めることが当たり前になると、街の言葉は読み飛ばされたり風景の一部になっている。
だけれども、"語している街"にちゃんと意識を働かせると、そこには意外な発見がある。
写真①:「気ぃつけや~」 |
写真①は、ものすごい親しげ「ひったくりめっちゃ多いで!気ぃつけや~」と話かけてくる看板。
この、初めて会った気がしない感じはなんなんだろう・・・と考えてみると、「あ、スーパーの広告だ」と気付いた。黄色×赤色の色遣いに激安以外の使用方法があったとは!
親しみやすいだけでなく、街のブラックな事情にも精通してそうな頼もしい存在。
写真②:足療館 |
写真②は、リアルな絵柄と三ヶ国語(中国語・英語・日本語)で話しかけてくる足療館の看板。
足の裏に宇宙が詰まっているようなすごい説得力を感じる。
「初めての方20分無料」をおもむろに消しているのも"迷いの末、真理に辿り着いた"感があって良い。
写真③:屋根に暴露 |
写真③は文字ではないが、これも話している街の風景の一部だろう。
屋根の上に何かを吐き出し続けている様子。家のなかで起こる、いいことも悪いこともすべて屋根にぶちまているのだろう。
明け方のスナックの空の色をイメージして見ると趣が出て良い。
そして最後におまけ↓
これは、どこの街でも見かけられるアンテナ。
アンテナは人間のことは素無視しているが、常に空に向かって「私はここよ、さあ電波を!」と話しかけている。
いわゆる電波系だが、そこに健気な強さ、凛とした美しさ、真っ直ぐな志を感じる。
と、ちょっと褒め過ぎてしまったが、最後の写真はどこにでもある風景なので、是非「話しかけている」視点で見てみてください。
面白い発見があるかも!
金益見(きむ・いっきょん) 人間文化学博士。大学講師。 2008年『ラブホテル進化論 (文春新書) 』でデビュー。同年、第18回橋本峰雄賞受賞。 |
ミステリー小説が好きな人なら、そのタイトルぐらいは間違いなく頭に刷り込まれているだろう、スウェーデン発の「ミレニアム・サーガ」。人口900万人の本国で300万部を売り上げたという空前のヒット作で、瞬く間に世界40カ国で出版され、特にヨーロッパでの売れ行きは凄まじく、著者ラーソンが若くして亡くなったことも手伝い、早くも伝説的という形容がしっくりくる物語だ。日本でも各種ミステリー大賞で1位を獲得しており、本が売れない時代にありながら、トントン拍子で売り上げを伸ばしている。
そんな3部作の第1弾『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女』が昨年映画化されて日本でも公開されていたことはご存じだろうか。原作の知名度、海外での評判、作品の完成度の高さにも関わらず、スウェーデン映画で有名俳優も出ていないという事情があったのだろうか、フィルムに関しては日本ではあまり話題をさらわなかった印象だ。僕は担当しているラジオ番組で紹介をしたのだけれど、おどろおどろしいイメージが目に飛び込むプレス資料と邦題が醸し出す雰囲気に、正直なところ、観る前は「B級の予感」を禁じえなかった。がしかし、である。彼の地は巨匠ベルイマンを生んだという事実を忘れてはならない。作品の出来栄えたるや、さながら「面白い」ハリウッド映画だったのだ(最近は「面白くない」ものも目白押しなんで、念のために添えておきました)。その続編となる2・3が一挙公開となるというのだから、これは見逃せない。1を観ていないという人は、まずはレンタル店へ出向いてサクッと借りてきてほしい。続きが気になること請け合いだ。
原書が人気作の場合、映画化の成功の鍵を握るのは、いかに映像ならではの表現をフィルムに焼きつけられるかにかかっていると僕は思っている。今シリーズなら、それは何と言ってもヒロインを演じたノオミ・ラパスの肉体そのものである。まさに体当たり。映画館で彼女と相対してほしい。
『ミレニアム2 火と戯れる女』 『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』 9/11(土)よりシネマライズほかにて連続公開 (C)Yellow Bird Millennium Rights AB, Nordisk Film, Sveriges Television AB, Film I Vast 2009 |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ、翻訳家 1978年、イタリア、トリノ生まれ、滋賀育ち。 イタリアの知られざる映画・演劇・文学を紹介する団体「大阪ドーナッツクラブ」代表を務める。 FM802でDJとして番組を担当。 |
巻貝エミがその場所を訪れるのは五年ぶりだった。迎えの車から降りて、外に出る。運転手はそのまま車に残っている。薄い闇の中、葉擦れの音に取り囲まれながら、エミは一人、敷き詰めた白い石の上を歩いていく。
外灯もないのに明るいのは、地面に埋められた照明のおかげだった。自然の光と人工灯の間を表現する白い光。歩いていると、少しずつ地面から浮き上がるような不思議な気分になる。
視界が開けた先に、建築物が現れた。屋根も床もない。直接地面から生えているように見える大きな壁が、何対も中心を取り囲んでいる。
「ようこそ。お待ちしていました」
自らドアの外まで迎え出てきた吉澤老人は、五年前よりもやせて小さくなっていた。うながされるまま中に入ると、透明な壁で囲まれた部屋が現れる。頭上には、夜空があった。
外に開かれ、同時に守られている部屋。
設計どおりだ、とエミは思った。設計どおりの、悲しい家。
「とてもいい家を建ててもらったね、と、今朝も妻と話していました」
エミをソファーに座らせ、自らお茶を入れてきてテーブルに置くと、吉澤は肘掛け椅子に深く腰を降ろした。
「妻とは毎日いろいろな話をします。今まで私は仕事のことしか頭になくて、こんなふうに話すことなど、思いつきもしなかった。この家のおかげです。感謝しています」
見上げると無数の星がまたたいていた。エミは、めまいを覚えて軽く目をとじる。
「どうですか? 自分の建てた家の感想は」
「ここにいると、とても悲しい気持になります」
エミは正直に答えた。
「悲しいですか。それは、まだあなたがこちら側の世界に属しているからでしょう。私にとっては、ここは心からやすらげる家だ。本当に、想像以上の家を建ててくれた。すばらしい腕だ。なのに、なぜ、あなたは他に家を建てないんです?」
穏やかだが、ごまかしを許さない口調だった。この老人に隠し事はできない。エミは言葉を一つずつ解き放っていく。
「建てないんじゃなくて、建てられないんです。家に住む人間の、寝たり、笑ったり、誰かと愛を交わしたり、成長したり、老いたり、病んだりする様子を想像し始めたら、混乱して手が止まってしまうんです」
「でも、この家は建てることができた」
「この家は、生きていく人のための家ではないから」
エミは静かに告げて目を伏せた。
死んだ妻と一緒に過ごすための家を建ててほしいと吉澤に相談されたのは、七年前だ。妻と一緒に過ごし、それから静かに自分の生を終わらせるための場所。開かれた無限の可能性ではなく、たった一つの地点に収束していくための場所。だから混乱しなかった。初めて建てることができた。
「その時が来たら、彼から知らせがいくでしょう」
部下を指差して、吉澤は言った。
「この家の完成を見届けてください」
エミは何も言わずに、頭を下げる。
「そうそう、私の部下たちがいろいろかぎまわっていたのも、もうすぐ終わりです。すみませんでした」
「いえ、そういう約束でしたから」
この場所を他に知られないために、吉澤はエミを監視してきた。口で信じてくれと言っても意味がない、そういう世界でずっと生きてきた人だった。
監視されて不快な思いをしたことは一度もない。むしろ、吉澤がいてくれたからこそ、女二人だけの不動産屋で大した危険にあうこともなく好き放題やってこれたのだろう。
会釈をして、エミが立ち上がる。
「もっと家を建てなさい。生きることの混沌を恐がってはいけない」
吉澤が言った。
エミはドアのところで振り返ると、もう二度と生きている姿で会うことはない老人に向かって、ゆっくりと頭を下げた。
(続く)
寒竹泉美(かんちく・いずみ) 小説家 1979年岡山生まれ。小説家。 2009年第7回講談社Birth最終通過。「月野さんのギター (講談社Birth) 」にてデビュー。 ウェブサイト「作家のたまご」 |