きむいっきょん ラブ!なこの世で街歩き遊具に満ち満ちる可能性 |
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野村雅夫式「映画構造計画書」宇宙を詰めた小宇宙 ~コズモナウタ―宇宙飛行士~ |
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【連載小説】 ハウスソムリエ 寒竹泉美最後の引越し |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
光の切り絵作家として、全国の展覧会で作品発表をつづける、酒井敦美氏。彼女のシリーズ作品「一画二驚(いちがにきょう)」では、一枚の切り絵作品としてだけでなく、光のあて方によって一つの絵が二つの異なった表情を見せるという、展示方法によっても注目を集めている。その独特の技法や作品テーマ、創作の姿勢をうかがった。
------まずは、酒井さんの切り絵作家としての原点について聞かせてください。
酒井: 私が切り絵を始めたのは、舞台の背景を彩る色彩影絵でした。30cm四方の小さな切り絵でも、プロジェクターで投影すると、像の幅は10メートルにも広がります。絵に命がふきこまれるように、躍動感がうまれるんです。現在は、屋外での色彩影絵にも取り組んでいます。歴史ある漆喰の白壁に満開の桜、あるいは、ひろい芝生におおきな花火を映したり。天井も仕切り壁もない空間で、より開放感のある切り絵の表現を楽しんでいます。
------「一画二驚・光の切り絵」とそのテーマについてはいかがでしょう?
酒井: 「一画二驚」は、光のあて方で、一つの絵が二つの表情を見せるという表現方法です。この変化の仕組みや、見た時の印象を、文字や言葉で上手くお伝えするのは、難しいですね。
------ここでは2枚の画像でイメージをつかんでもらうとして、一番いいのは足を運んで実物をみていただくことですね(笑)。
酒井: ご覧いただけたら、うれしいですね。(笑)。この「一画二驚」では、2ページの絵本のようなつもりで、私なりの物語を描いています。プライベートな日記のような側面もありますね。日常にふと感じたことや、うれしかったこと、きづいたこと、かなしいこと、そんなふうに心に宿っている気持ちを絵として表現しています。
------「一画二驚」とは違った新しいスタイルの作品も試しておられますか?
酒井: 「一画二驚」も、舞台の影絵の製作や絵を描く中で、自然と生まれた表現です。これからも、日々の思いを絵にしたり、その時、興味が湧いたものに挑戦してゆく中で、何か新しい表現を見つける事があれば、それもまた楽しみですね!
------切り絵は伝統工芸という印象が強いですが、酒井さんの場合には、展示方法などもふくめ、新しい技術へのこだわりもみられます。
酒井: 展示での光のあて方や、LEDや薄型の額縁の開発。それはすべて、「表現したい手法に必要だったから」というのが一番の理由です。私にとってはあくまでも、新しい技術は、「絵の表現のため」に挑戦しているものなのです。
たとえば、モノとしての「一画二驚」は、とてもアナログでシンプルです。でも、それを見ていただくために、光を切り替えるタイマーや、光の斑が少ない額縁、熱で絵を傷めないLEDなどが、必要になっていったんです。
「こういうふうに表現したい」という気持ちが最初にあり、それに向かって、少しずつ自分なりのやり方がみつかって、改善を繰りかえしながら、今の形になってきました。もちろん今も、絵にかぎらず色々な分野の方に協力していただきながら模索中です。
------小さなころの「図工の時間」が好きだったそうですが?
酒井: 図工の時間に、黒い紙を切り抜いて裏から透明セロハンを貼り付け、ステンドグラスのような切り絵を作ったことがありました。クラスみんなの作品を、窓いっぱいに貼り付けて、日に透けるととてもきれいだったのを覚えています。
図工はすべて好きでした。粘土も、工作も、絵も。正直、それほど上手くなかったのですが、とにかく楽しかったです。今もその感覚の延長線上にいます。切り絵以外でも、旅先では水彩画でスケッチもしますし、急に思い立って紙粘土で人形を作ってみたり版画をしてみたり。そういう感覚を大切にしています。
------大学で建築・デザインを専攻され、住宅メーカーで設計の仕事に携わられましたね。建築分野での経験は、現在の切り絵の制作でどのように活かされていますか?
酒井: 作品中で建物や室内の風景を描くときなんかは、柱通りを考えてから窓の位置、間取りを決めてから畳の方向、といった、ややマニアックなことを自然と意識していますね(笑)。また、展示会のディスプレイを決めるときには、会場の平面図やパースを描いて、全体の構想を確認したりイメージを膨らませたりしています。自分の作品群をどう飾り、どう見せるのか、といった展示会場の空間づくりも作品の一部のようなものですが、こういった分野では建築の世界で学んだことが活きているとおもいます。
------富士川・切り絵の森美術館で「切り絵・モダニズムの世界展(★リンクhttp://www.kirienomori.jp/modules/art_museum/)」が開催中ですね。「開館記念企画展」ということですが、その経緯やエピソード、展示作品について教えてください。
酒井: 2年前の春、「地元の山梨峡南に元気を」と活動しておられる方から、「一画二驚・光の切り絵を地元で紹介したい」というお手紙をいただきました。その出会いから、この切り絵の森美術館へとつながっていきました。
私が展示させていただいているのは、築300年になる古民家です。古民家の良さをそのままに、ギャラリーとしての魅力をプラスするようなリフォームをしています。その温かくて優しい300年の空間につつまれて、作品の光も、いつもよりもやわらかいように感じています。時代も時間も忘れてしまうような幻想的な空間を、作品とともに感じていただけたら嬉しいですね。
------今後の活動について教えてください。
酒井: これからも、気持ちのままに、描いていきたいです。絵と一緒になっていろいろと学びながら、生きているかぎり描いていけたら幸せですね。
「一画二驚」は、まだまだ途上にあるんです。偶然に出会えた表現を大切に育てて、これからも光の切り絵と一緒に成長していきたいです。
2010年4月15日 大阪にて
「出会いの種、つながりの花」(順光) |
「出会いの種、つながりの花」(逆光) |
酒井敦美(さかいあつみ) プロフィール 光の切り絵作家。1973年愛知県名古屋市生まれ。建築を学んだ後、イラストや舞台の色彩影絵の仕事をてがける。2004年から、順光と逆光によって見え方が異なる『一画二驚・光の切り絵』の制作を開始し、全国の展覧会などで作品発表をつづけている。 |
紙と鉛筆だけで一日中遊べるような子どもを育てたいと常々思っている。
オモチャやゲームは使わず、紙と鉛筆だけでどんなに面白い遊びを思いつけるか。
「発想力」や「面白がる精神」はそういうところから育っていくと思うのだ。
将来面接で、「父は鉛筆、母は紙です」なんてウィットの利いたことの言える子どもになったらいいなあと、独身(子なし)ながら夢想する。
先日、公園を歩いていると、素晴らしい光景を見た。
公園で遊ぶ母子。
そしてこのシーソーの新しい乗り方!
なんて面白そう!!
あまりに斬新な乗り方に、私は思わず「写真撮っていいですか?」と声をかけた。
1枚目のように、母子が向き合っている時は仲良しに見えるが、2枚目ように同じ方向にシーソーが倒れて子どもが背を向けると、まるでひとり立ち前夜のようである。
何よりこの母子は楽しそうにきゃっきゃっ言いながら30分くらいシーソーに乗って遊んでいた。
今まで、子育てに関して紙と鉛筆のことしか考えてなかったが、この時私は遊具に可能性を感じた。
通常のギッコンバッタン乗りでは30分は辛いだろう。しかし、乗り方次第で遊びが広がる。
シーソーでWiiのバランスボードのような遊びもできるし、ひとり立ちのプレ体験もできる。
普通の遊具でも工夫次第で新しい遊びが生まれるなら、もともと遊び方がわからない遊具はものすごいことになるのではないか!と考えたのが今回の街歩きである。
遊具①「謎のウイルス」 (可能性☆) |
遊具②「小さい虎」 (可能性☆☆) |
①の遊具は、まず何かわからない。
どうやって遊ぶのか、乗るのか乗らないのか、赤なのか青なのか、もう全然わからない。これは現代美術レベルだ。
しかし、ここまでわからないと逆に発想が広がる。楽器になるかも知れないし、謎のウイルスに見立てて、戦ってみるのもいいかも知れない。
この遊具でかっこよく遊べたら、絶対モテる子に育つと私は確信した。
②の遊具は、小さい。
とにかく小さい。一言で言うと小さい。
多分赤ちゃんが乗るんだろう。そしてガオーとか言うのだろう。
想像するだけで可愛いが、今回のテーマは「遊具に可能性を!」である。この赤ちゃん一人乗り専用の遊具であえて小学生が遊んでみるのはどうだろうか。
何人虎の上に立てるか競ったり、椅子の上で指相撲してみるのもいいかも知れない(その場合、負けたら虎に食われるぞ!と周りが騒いで場を盛り上げると尚良い)。
遊具③「架空の遊具」 (可能性☆☆☆) |
③の遊具はその名の通り「架空の遊具」である。これは本来あったもの(多分ブランコ?)が取り外された遊具だ。
だけれども、そのおかげで逆に可能性が広がっているのではないだろうか。
真ん中の芝生的なものや黄色の柵を使って新しいゲームが生まれそうだし、残った棒を何かに見立てることもできるだろう(拝んでみるとか)。
私はこの遊具を見つけた時、井上陽水と矢野顕子が一緒に作った「架空の星座」という曲を思い出した。
「♪子どもの瞳が呼びかける 知らない言葉を教えてと」と矢野顕子が唄う。
「♪大人は記憶を集めてる 意外な魔法に魅せられて」と井上陽水が唄う。
遊具の可能性は、架空に等しい。
架空の意味は広い。
実在しないという意味では架空請求なんて使い方もするが、「事実に基づかないものを想像によってつくりあげる」ことを架空ともいう。
架空の遊具を、友達や家族と広げていく。
それは多分きっと、とても楽しそうだ。
金益見(きむ・いっきょん) 人間文化学博士。大学講師。 2008年『ラブホテル進化論 (文春新書) 』でデビュー。同年、第18回橋本峰雄賞受賞。 |
イタリア映画祭がやってきた。今年は10周年。いつものように黄金週間、東京・有楽町で近年の秀作14本が上映されたのに加え、今回は大阪でも7日・8日とそのうちの7本に接することができるとあって、関西の映画ファンにも朗報だった。ささやかながら僕も映画祭に関わっていたこともあり、せっかくなので今月は両会場で映写機にかけられるフィルムの中から、個人的に心躍った『コズモナウタ―宇宙飛行士』(2009年)を構造分析してみたい。
舞台は1950年代から60年代。当時のイタリアは共産党の影響力もまだまだあって、町の支部には青年団も組織されていた。主人公は亡き父の遺志を受け継いで共産主義を厚く信奉する思春期の兄妹。てんかん持ちで朴とつとした兄は、当時加速していた米ソの宇宙開発に夢中になっている。もちろん肩入れするは、ソ連側。宇宙への想いを馳せながら、夜な夜なマンションの屋上へ上っては寝ころんで宇宙(そら)を眺める。手許には、宇宙関連グッズを詰め込んだ小箱。傍らにいる妹も遥かなる世界への関心は持っているものの、兄とは違って性格はとても活発で行動的。今作が長編デビューとなった監督ニッキャレッリは、女性らしくこの妹をとてもうまく演出している。頑ななまでの共産主義への躊躇なき傾倒。性の目覚めと暴力への衝動。家族への非情なまでの反抗とその反動としての甘え。強くありたいと願う裏にある脆さに見事にハラハラさせられる。その妹に目を見張る美少女をキャスティングしなかったことで、より現実味が増すのが憎らしい。
注目すべきは、兄の宝物である宇宙の小箱。妹の中でわだかまった鬱憤のはけ口としてある日中身を夜空にばらまかれる運命を辿るのだが、米ソの宇宙開発という代理戦争と政治的立ち位置が曖昧だったイタリアに住まう平凡な家族という歴史のマクロとミクロをつなぐ絶妙な小道具として機能している。細部にまで細心の注意を払った監督の映画作り、芯は極太だ。
大阪での上映は5月9日(日)13:30~ ABCホールにて |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ、翻訳家 1978年、イタリア、トリノ生まれ、滋賀育ち。 イタリアの知られざる映画・演劇・文学を紹介する団体「大阪ドーナッツクラブ」代表を務める。 FM802でDJとして番組を担当。 |
高村瑞江は、ダブルのウォーターベッドの縁に腰掛けたまま、荒れ放題の部屋を眺めていた。服も化粧品も雑誌も下着もバッグも何もかもが乱雑に投げられている。積み上げられていると言ったほうが正確かもしれない。荒れているのは、この部屋だけじゃない。カウンター式のシステムキッチンも、広々とした大理石風のバスルームも、物で溢れて汚れていた。
今日こそは、これを片付けなくてはいけない、と思いながら、瑞江は立ち上がった。夫が出張から帰ってくる。
リビングに出ると、大きな窓から日が差しこんでいたが、その窓は白く汚れていた。外を見ると、この部屋の売りだったはずの最上階からの眺望より、枯れた鉢植えと鳩の糞にまみれたベランダのほうが目についた。
この部屋を初めて見たとき、確かに瑞江は気分が高揚し、将来に期待したはずだった。それなのに、もう一刻も早くここを出たくてたまらない。
新しい部屋を探しているときは、気分がよかった。もっといい部屋に移れば、何もかもやり直してうまくできるような気がしていた。なのに、慣れた家具を運びこみ、生活を始めた途端、部屋は瑞江に冷たくなる。敵意でも抱いているかのように。
携帯電話にメールの着信があった。夫からだ。
『仕事が長引いて今夜も帰れない』
本当に仕事かどうかは疑わしかった。でも、掃除しなくてよくなったことに、瑞江は、ほっとした。いい不動産屋が見つかったから、今度こそ納得のいく部屋が見つかりそうだとメールを打ってみる。
『それはよかった、見つかるといいね』
機嫌のいい絵文字付きの返信が来た。文字は便利だ。これが電話なら、機嫌のよさが見せかけだということが、隠しようもなくありありと伝わってきただろう。
これが最後の引越しだ。
瑞江は、つぶやく。あの業者ならぴったりの物件を見つけてくれるだろう。しかし、最後の引越しというのは安住できる部屋が見つかるという意味だけではない。見つからなくても、もう最後なのだ、と瑞江は覚悟を決めていた。唯一の趣味だからと、瑞江の引越しを大目に見てくれていた夫も、もうそろそろ限界だろう。家にもあまり帰ってこなくなった。
条件の合う物件が、瑞江の求めに応じていくらでも出てくるように、条件に合う妻なら他にもたくさんいる。
小学生の頃は、貧富の差なんて、社会の教科書の中で知る遠い国の出来事だと思っていた。中学校に入っても、みんな同じ制服を着て同じ授業を受けていたから気づかなかった。もらっているお小遣いに差があったり、夏休みに家族で海外に旅行したという話をうらやましがったりはしたけれど、そこに決定的な越えられない経済格差があるということを、当時の瑞江は知らなかった。
毎日毎日、朝から晩まで働いても、お金がない、と暗い顔で愚痴を言っている零細農家のやつれた母と、瑞江の家の一か月分の食費と同じ値段のランチを食べて、いい服を着て優雅に習い事をしている友だちの母。二人はまったく違う人生だった。どうしてこんなに違うのか、と、高校生になった瑞江は考えた。
それは結婚する相手の違いだ。
瑞江は、努力を始めた。あらゆる方法を駆使して、目的地にゴールした。今の生活は、むかし夢見た、働かなくても贅沢できる理想の生活のはずだった。
瑞江は手に持ったままの携帯電話を眺めると、発信履歴の中から巻貝不動産を見つけて電話をかける。若い女の声が巻貝不動産です、と答える。今日の夕方に物件を見せてくれるよう告げて、瑞江は通話を切った。
テレビをつけると、安っぽい不倫ドラマをやっていて、愛していると男と女が言いあっていた。そういえば、わたしは誰も愛さずにここまできてしまったな、と瑞江は思った。
(続く)
寒竹泉美(かんちく・いずみ) 小説家 1979年岡山生まれ。小説家。 2009年第7回講談社Birth最終通過。「月野さんのギター (講談社Birth) 」にてデビュー。 ウェブサイト「作家のたまご」 |