きむいっきょん ラブ!なこの世で街歩き名付けて乙女が舞い降りる |
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野村雅夫式「映画構造計画書」虚しく揺れる聖なる電波 ~天の高みへ~ |
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【連載小説】 ハウスソムリエ 寒竹泉美新人ハウスソムリエ |
(聞き手・進行 牧尾晴喜)
力強い書や、物語性を有する篆刻作品を軸に創作活動を展開する書家、華雪氏。活動の拠点を東京に移してからも、京都と大阪でのワークショップを継続する彼女に、書における空間や場所性、創作の姿勢をうかがった。
------創作のプロセスからうかがいたいとおもいます。お菓子のロゴから小説の題字まで幅広いお仕事をされていますが、そのような書の創作過程をおしえてください。
華雪: その仕事で「求められること」は、あまり明示されていなくても、たとえば石原慎太郎氏の小説題字であれば、まず彼の小説を読めるものはすべて読みました。限られた時間と条件の中でできるだけやったあと、お仕事としてのコンセプトのことは一度忘れて、今度は自分なりの解釈からイメージをつくります。この両方からの作業で、重なる部分を探すんです。
------パティスリー五感や和菓子菜の花といった菓子店のロゴと、たとえば石原慎太郎氏や伊集院静氏のような硬めの小説の題字では、ずいぶんとイメージがちがいますよね。
華雪: たしかにイメージは違います。ですが、さっきの「両方からの作業での重なり」ということでいえば、プロセスは同じですね。たとえば、山道や野原のようにイメージが違っても、そこでの歩くという行為は同じ、というように。私が歩いていることには変わりない。
------華雪さんは書と篆刻の両方をしておられますが、その関係はどうでしょうか。
華雪: 書は動的で、まさに身体を動かして書きます。走ったり泳いだりしてカラダをつくりますね。腕で筆を持ち、大きな白い紙に向かう。脳を身体が越えていく、あるいは、どこにあるか分からないものを捕まえていく感じです。
それに対して石に字を彫る篆刻のほうは、もちろん偶発性はありますが、デザイン的要素が強く、イメージを「考える」ことが大きなウェイトをしめます。石を掘り起こすとイメージが字のかたちになって「でてくる」んですね。
そうやってふたつは引き合っているので、わたしにとって、どちらかだけをやめることはできないですね。
------カラダをつくる、というのは書の静的なイメージとはちがって、ずいぶん動的な感じですね。スポーツのような。
華雪: それまでやったことがなかった巨大な空間での展示がきっかけだったんですが、その空間に負けない大きさの書を仕上げるために、身体の軸の筋肉をそれまで以上に鍛え、体重を落としました。すると、それが線の強さになって出てきたんです。それ以来、字を書くための身体をつくることを心掛けています。
------活動拠点を東京へ移されてから、5年くらいとのことですが、東京と関西で書くことのちがいはありますか?
華雪: 東京と関西だけでなく、書くことと場所性の結びつきについて数年前なら「一緒」と答えたでしょうけれど、今はあえて違えてみたいという意識もあります。時間を掛けてひとつの字と対峙して作っていく「書」、その時その場所でしか書くことのできない「書」というように。
------小さなころから、書くことが好きでしたか?
華雪: 書くことはもちろんですが、それ以前に、「字」そのものが好きでした。いまもそうなんですが、たとえば食卓に牛乳があれば、その成分表示の文字を知らず知らず追ったり。もちろん、厳密な成分を知りたいわけではないです(笑)。そういった生活の中にある字も、いつも気になっています。
------多忙ななか、どのようにして新しい着想を得ていますか?
華雪: 新潟に行きます。
坂口安吾の生誕地であることを知っている程度の縁もゆかりもない場所だったのですが、偶然行った新潟で冬空をみて、彼の本にでてくる「空が落ちてくる」という長く実感が湧かずにいた描写が「ああ、この空のことだったのか」と腑に落ちました。それ以来、その土地に不思議なくらい強く惹かれて、その後、個展を開くようになる中で、年に何度も通い、やがて郷里のような場所となって行きました。今では行く度に、その空や土地、人から豊かな着想を得る大切な場所になっています。
------今後の活動などについて教えてください。
連作『十二』という12カ月にまつわる作品をつくっているんですが、これまでのように、ひとつのテーマで練りに練って、ということではなく、そのときだけのものを書き残す、ということをやっています。あえて整えず、あからさまに。リアルタイムなものをしていくのは、自発的なプロセスとしては初めてなので、直近の大きな節目となりそうです。
もうひとつは、海外で作品をみていただくことですね。最近、海外の方から反応をいただく機会が重なったんです。プリミティブであり、グラフィカルである、と。違う文化圏の反応で、自分が伝えたいと思っていることの出口がゆすられるんですね。自分がこうだと思い込んでいたことが変わるのが楽しみなんです。
2010年1月31日 京都にて
展示風景(2009) |
展示風景(2009) |
華雪(かせつ) プロフィール 書家。1975年京都生まれ。東京在住。1992年より、個展を中心に活動を続けながら、ワークショップも積極的に開催している。現在、東京、大阪、京都の3会場で篆刻などのワークショップを定期的に行っている。また作家活動の他、ロゴ、シンボルマークなどのデザインワークも手がける。著書に『石の遊び』2003年、『書の棲処』2006年、またデザインワークではcanon『imageRUNNER』新聞広告題字(書)2009年、伊集院静『羊の目』(書)2008年、『石原慎太郎の文学(全集)』題字(書・篆刻)2006年など多数。 |
スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』という映画が好きだ。
千尋の両親が夢中になって食べる中華っぽいものが美味しそうとか、千尋の涙があまりにも大粒だとか、やっぱりおにぎりも美味しそうとか、印象的なシーンはたくさんあるけれど、行為として一番心に焼き付いたのは湯婆婆が「名前を奪う」ところだ。名前を奪われた者は大切なことを忘れてしまう…。
私はこの映画をきっかけに「名前を奪う」ことはそのものの意味を奪うことであり、「名前をつける」ことは逆にそのものを世界の一部として受け入れる、もしくはそこから世界を誕生させることなんだと思った。
それからは、街を歩いていても〝名前〟に着目する機会が多くなった。
ということで今回は、名前がついていることで一気に乙女感がアップしている建物を紹介しよう。
「エクボ」 | 「りぼん」 | 「乙女屋」と「花」 |
少し古くなった看板も、よくある外観の喫茶店も、乙女な店名が付いているだけで一気にラブリーに見えてしまうのは私だけだろうか。
また、三枚目の「花」屋さんはスーパーマーケットのような色づかいなのに、「乙女屋」さんと並ぶことで、ギリギリで何かが保たれている。
ちなみに、喫茶店「りぼん」は鶴橋駅近くにある喫茶店なのだが、よく見ると「ぼ」のところに「チャンジャ」シールが貼られており、近くからみると乙女度がものすごい勢いで下がるのも印象的だった。それはそれで土地柄が圧勝していて良いと思う。
「チャンジャシール」 |
金益見(きむ・いっきょん) 人間文化学博士。大学講師。 2008年『ラブホテル進化論 (文春新書) 』でデビュー。同年、第18回橋本峰雄賞受賞。 |
稀にだが、世にも恐ろしいフィルムに邂逅することがある。といっても、ホラー映画の話ではない。マグマ渦巻く地の底にいたるまで深く掘り下げられた主題が、悪魔とでも契約を結んだのかと疑いたくなるようなやり方で映像と手を携え、スクリーンから我々の眼を射る。映画にしかできない表現で、何かしらの本質をずぶりとえぐり、それを容赦なくこちらに突きつけてくる。まるで銃口を目の当たりにしたように、手が震え、足がすくみ、その場から動けなくなる。
イタリア映画界の鬼才シルヴァーノ・アゴスティ監督の『天の高みへ』(1976年)との出会いは、そうした類のものだった。制作から30年以上経っているが、本質を突く作品の鑑賞に賞味期限はない。
老若男女様々な立場のメンバー14名から構成された北イタリアのグループが、法王に謁見するためヴァチカンへやってきた。高揚する彼らを飲みこんだ巨大なエレベーターは、どうしたことか上昇をやめず、扉を固く閉ざしたまま彼らを吐き出そうとしない。聖域で幽閉された彼らの行く末は?
ひとところに閉じ込められた複数の人間の顛末を描く物語はいくつもあるが、この映画は設定が巧妙でしたたかだ。社会の「仮面」を何種類も集めたということもあるし、何よりカトリックの総本山が舞台なのだ。露わになる彼らの性(さが)と、彼らのいる聖なる空間。昇り続けるエレベーターと堕ち続ける人間たち。そのコントラストは分刻みに鮮やかになり、やがて目も当てられなくなる。
特筆すべきは、箱の中で流れるヴァチカン・ラジオである。淡々と発せられる聖なる言葉。各ジャンルの宗教音楽。同じトーンで流れ続けるこの特殊な電波の聴こえ方は、しかし様変わりしていく。厳かに、虚しく、皮肉めいて響くラジオは、上記のコントラスト効果を下支えすることで、この恐ろしい映画の主役とも言えるだろう。
本質という名の銃口が我々の眉間に突きつけられるラストは、劇場で体験していただきたい。
映画祭『アゴスティとモリコーネ』にて日本初プレミア上映 於:大阪淡路東宝2 日時:2/11(祝)11:00 2/13(土)19:00 |
野村雅夫(のむら・まさお) ラジオDJ、翻訳家 1978年、イタリア、トリノ生まれ、滋賀育ち。 イタリアの知られざる映画・演劇・文学を紹介する団体「大阪ドーナッツクラブ」代表を務める。 FM802でDJとして番組を担当。 |
「新人、あんたの名刺できたから」
浩太は、エミから手渡された束に視線を落とした。
巻貝不動産
ハウスソムリエ(新人)
浅野浩太
「ハウスソムリエ?」
何だその体がかゆくなるような肩書きは、というセリフは飲みこんで、浩太はエミに説明を求めた。
「家ってさ、一度決めたら一生つきあうパートナーでしょ。つまり結婚相手みたいなものよ。わたしたちは、単に紹介したり設計したりするだけじゃなくて、ワインのソムリエみたいにプロの知識と経験を生かして、お客さんと家との相性を考えて、より最適な家に出会ってもらうお手伝いをするの」
ほうほう、たいそうなことで、と思いながら、浩太は聞き流していた。大体、結婚相手とか俺は興味ない。面倒くさい。
「あんたみたいなのは、必要になったら、※※※※行って、数千円払って※※※※してもらって※※してすっきり、はいおしまい、ってタイプでしょ。それで事は足りるかもしれないけど、人生貧しいわよね。一人のパートナーと愛を育んでく幸せを知らないなんて、ほんっとうに哀れ」
エミは、ここには書けないようなことを言って、深々とため息をついた。人生なんて人それぞれだ、よけいなお世話、と浩太がふくれていると、
「あ、家の話だから」
と、リカが要らぬフォローをしてくれた。
ハウスソムリエの名に恥じないように頑張れなどと言われたが、結局今日も客が来なかった。
めずらしく三人そろって事務所を出た。扉に鍵をかけたエミが、じゃあ、と言うのでどこへ行くのかと思えば、ヒールの音をかつかつ響かせながら、建物の外側を登っていく。よく見ると巻貝の輪郭をなぞるように、ぐるりと階段が備え付けられていた。
住居と事務所を兼ねているとは聞いていたが、なんだってわざわざ、家の外に階段を作るのだろう。あっけにとられてエミの登っていく様子を眺めている浩太に、
「見えそうで見えないでしょ」
と、リカが話しかけた。
「何がですか?」
「パンツ。この見えそうで見えないぎりぎりの傾斜を導くのに、何度計算して模型を作りなおしたか」
リカは、頂上のドアから中に入っていくエミを満足そうに眺めている。
「これ、リカさんが設計したんですか」
自慢げにリカはうなずいた。そういえば、こいつら二人とも一級建築士だったっけ。
「俺はてっきり、エミさんが設計したのかと思ってました」
なにせ、エミは所長なのだ。
「お姉ちゃんはまだ、自分の設計した家を実際に建てたことがないんだよね。あの人、家を愛しすぎて何一つ妥協できないから、いつも実現不可能な設計図を書いちゃうの。まあ、正確に言えば、不可能っていうか、物理的には可能なんだけど。日本の国家予算全部つぎこんだら建てられるかも」
はっはっは。浩太はもう笑うしかなかった。
「実現できない設計図なんて、意味ないじゃないですか」
「でも、お姉ちゃんの設計図、マニアの間ではものすごい価格で取引されるのよ」
「建てられない設計図をどうするんですか」
「そこに住んでいる自分を想像して楽しむんじゃない?」
なんだそれ、馬鹿馬鹿しい。それに何の意味があるんだ。
「うーん、なんて説明したらいいのかなあ。家って人を作るんだよね。架空の家でもさ、そこに住むって想像するだけで自分の中に何かが生まれるというか。君もさ、廃墟からマンションに住んで何か変わったんじゃない?」
「別に、何も変わりませんけど」
「ふーん。さすがお姉ちゃんが見こんだだけあるね。そのくらい無関心で鈍感な方が、今のあの部屋にはちょうどいいのかも」
ほめられているのか、けなされているのか。いや、けなされている、と浩太が結論づけたときには、リカはとっくに去っていた。
(続く)
寒竹泉美(かんちく・いずみ) 小説家 1979年岡山生まれ。小説家。 2009年第7回講談社Birth最終通過。「月野さんのギター (講談社Birth) 」にてデビュー。 ウェブサイト「作家のたまご」 |