休日の有意義な過ごし方

私がマラウイで、休日の多くをどこで過ごしているだろう?と考えたとき、自分でも驚いたことにその答えは「教会」だ。私はクリスチャンではないが、現在の活動拠点がキリスト教系NGOで、仕事の中で折々に体験するキリスト教関連の諸活動への理解を深めるために、との思いから、近所の教会で日曜礼拝に参加している。
厳かな中にアフリカ的な明るさも兼ね備えた礼拝に参加すると、日曜日が有意義に始まった気持ちになる。朝7時半から礼拝が始まり、9時半頃に終了。その後家に帰り、一日をゆっくり過ごす。以前は日曜の朝はダラダラと寝てしまい、気付けばもう午後!なんて事が多かったが、おかげで最近はそれもなくなった。
教会以外に休日のサード・プレイスが挙げられない生活っていうのもどうよ?と思われるかもしれない。誤解のないように申し上げると、マラウイにも数は少ないが、ショッピングモールやレストランなど、休日を過ごせる場所はある。だけど出不精に加えて日焼けしたくない私は、日が燦々と照る屋外を眺めていると、「暑そう・・」とついつい外出が億劫になってしまうのだ。なのになぜアフリカにいるのか?うーん、自分でも不思議・・・。

ザンビアの田舎の教会

西口 三千恵
国際協力
ザンビア/徳島

NPO法人TICO

マジメに楽しむ

休むときは休む。大事なことだが、なかなかそうもいかない。特に年末が近づくにつれ、クリスマスや大売出しのイベントが増え、休日返上で仕事に勤しむことも少なくない。忙しい日々の中、心休まる場所を作るのは容易ではないが、どこにいても楽しむことができる方法が「音楽」だ。キザな言い方になるが、音楽はどんな場所にでもサードプレイスを作ってくれる魔法だと思う。
放送の中での音楽は、誰かの為に選ばれた、誰かの為の魔法であり、様々な情報や季節感・流行などにアンテナを張り巡らせて選曲している。仕事では音楽とそんな接し方をしている僕たちだが、純粋に我が儘に自分の求める音楽を、激しくも優しくも自らの耳に送り込むことで、睡眠にも匹敵する休息を得ることができる。
音を楽しむと書いて音楽。楽しんで聞く音には何かを変える力があると思う。だからこそ「真剣に選曲して誰かに伝えたい」と思えるのかもしれない。どんなに忙しい人であれ、マジメに楽しむ時間を持つことが、仕事への意欲やアイデアにつながるのではないだろうか。僕は音楽という魔法で、わずかな時間を真剣に楽しもうと思う。

中村 謙太郎
インターネットラジオ
大阪・新世界

インターネットラジオ
Good-AIR !

ローカルなコミュニケーションの場を!

このコラムのお題をもらうまでサードプレイスについて考えてみたことがなかったので、ちょっと調べてみた。で、その概念はスターバックスが事業コンセプトの核として採用したことで有名だと始めて知った。そういえばロンドンにはそうやってサードプレイスとして商品化されたらしきスタバがあったのを思い出す。人為的に演出されたサードプレイスは魅力がなく思えて私はもっとローカルな店を選んでいたけれど、そのスタバにはプログラマーのコミュニティが出来上がってかなり賑わっていた。
先月のコラムに書いた通りなにしろ私のファーストプレイスとセカンドプレイスは同じ場所なので、なかなかその間を繋ぐサードプレイスを見つけるのが難しい。そして、大阪に引っ越してからなんだか調子が出ないと感じていたのは、きっとロンドンに住んでいたときより圧倒的に私のサードプレイスが少ないせいだと思う。スタバのような用途に合わせた人工の場所ではなくて、自然にそんな場所が見つけられたら大阪生活ももっと豊かになるかもしれない。幸い大阪にはコミュニティに浸透した場所には事欠かないので、かなり期待できそうだ。

山本真実
ローカリゼーション
大阪・南森町

クリエーター自主運営
ワークルーム208

くるくるドーナッツ

昔からどうも天の邪鬼の気がある。世間様が汗水垂らして働いておられるときには肩が外れるほど力を抜いてしまうし、行楽地が賑賑としているときには肩を怒らせて仕事に精を出してしまう。こんなだから、私の休日は概ね平日とかち合う。我がクラブの面子にも同様の傾向あれど、平日というのは休日と違って週に5日もあるわけだから、メンバーズホリデーが一様とはいかない。私は必然的に独りになることが多い。
朝。窓掛を開けて外を眺める。向かいの社宅屋上では、決まって若妻とその幼子がきゃっきゃ洗濯物を干している。私はソファーにどっかと座って珈琲を啜りながら、ステレオセットから流れてくるDJの軽妙なお喋りに惚れ惚れする。それに飽きると、今度はベランダのチェアーにぽつねんと座って翻訳小説を読みながら、訳者の卓越した技巧を讃える。それに飽きると…。ふむふむ、どうしたものか。ドーナッツ屋は昨日行ったばかりだ。仕方なく私は再びソファーに腰を据え、口ではなく耳でドーナッツを味わうことにする。そう、私の休日最大の娯楽は、自宅居間で愛おしいドーナッツ盤達の回転を愛でることなのである。
仕事のある平日は屋内で煮詰まるから屋外へ飛び出すが、そもそもが気の抜けた休日の気晴らしは屋内で事足りる。ただし、平日も休日も屋内でも屋外でも変わらないもの、それがドーナッツ。団体名を考えれば当然のことだ。

レクリエーション中の筆者

野村雅夫
イタリアの文化紹介
大阪/ローマ

大阪ドーナッツクラブ

バスロマンス*アイ ラブ 小豆島

先月の仕事編をふまえて今月の休日編を考えてみると、私の休日というのは私の心が穏やかな日のことではないかと思った。素晴らしい日々も考えこんでしまう日々も、どちらも私には必要でどちらにも想いの侭に振れるためには真ん中のゼロの位置に戻ることがさらに大切に思われる。だから心が疲れきる前に私は「何もしないこと」をするために旅に出る。そんな時いつも小豆島に行きたくなる。小豆島に行って、会いたい人に会いに行って、歩いて、美味しいものを食べて、また歩いて、疲れたら昼寝をして、好きな音楽ばかり聴いて、夜は波の音を聴いて星を眺める。そこに自然にあるものだけを感じてそれらに身を任せていればいい。「何もしないこと」が本当に苦手な私が小豆島では本当に何もしないでいられる。小豆島は「そこにあるもの」のバランスが私にとってとてもちょうど良いのだ。心底ほっとできる。流さないといけない涙を流しきり、たりなかった空気を取り込むとゼロに戻される感じがする。そしてまた感情ふりきれる日々に戻る。
書きながらふと気付いたことがある。R cafeも誰かにとってサードプレイスとなりえるのではないか。もしそうだと言ってくれる方がいたら本当に嬉しい。さらにどちらの働きもしていきたいと思うのは欲張りだろうか。

藤井 有美
カフェ
大阪・中崎町

R cafe

おやすみって?

お客さんの居るメガネヤがお仕事をしているときのサードプレイスと気づいたのですが、ボソボソと頭の中で、「あーでもない。こーでもない」と繰り返していると、休みって感覚が無いのではということに至りました。お店としてメガネヤは僕がお店に居ないとお休みなんですが、外に居ても古本屋に入って本を眺めたり、コンビニに行っては雑誌を立ち読みしたり、街に出ても大きな本屋に入って平積みの本がどんなのかを気にしたり、それはもう生活の全部が「メガネヤ」なのです。そんな生活なのでお休みのサードプレイスって「メガネヤ」ではない時を思い浮かべてみようと?とまた頭の中を巡ってみましたが、そんな時って「布団で寝ているときぐらい?」と出てきたのですがが、この前「うわ!こんな本を見つけてしまった!」と喜ぶ夢を見たのでした。ああ、もうこれはメガネヤにはお休みとしてのサードプレイスなんて無いのだと思いましたが、もう一度振り返ってみると、メガネヤであることがどうもお休みをしている状態なのでは?と思い、じゃあ、メガネヤである以上どこに行っても休日のサードプレイスということになるのかなぁと、とりとめも無い結論に達していきました。

市川ヨウヘイ
古本屋
大阪・京橋

古本屋メガネヤ(地図)

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