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スタジオOJMMが企画編集する連載コラム、7年目となる2009年は、「建築ノオト2009」(全12回)。

第12回、12月号の内容は

大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「珈琲おかわり! ~三文役者~」
建築家、南野優子の「においのある生活」
豊田高専建築学科助教、加藤悠介の「「あと少し」からが結構長い」
カフェオーナー、浅海恵美子/白滝素子の「無常ということ」

4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!

四条通から西木屋町通をちょいと下る。撮影時は写生する絵描きさんもいた。

野村雅夫(MASAO)

大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ
京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ

珈琲おかわり! ~三文役者~

 映画都市京都の今の魅力を探ってきたこのコラムも、今月でいよいよ最終回となった。トリを飾るのは、現在御年97歳の新藤兼人が2000年に撮った『三文役者』だ。「どうもどうものタイちゃん」というあだ名で愛された日本屈指のバイプレイヤー殿山泰司(1915~1989)の映画人生を、竹中直人が観客の度肝を抜く憑依っぷりで体現した作品だ。
 かつてこの町にいくつもの撮影所があった頃、監督をはじめとするスタッフたちは、一杯の珈琲でホッと一息入れるお気に入りの喫茶店をそれぞれに持っていたことだろう。京都の喫茶文化は今も昔も変わらない。殿山の場合、それは西木屋町通のフランソア喫茶室だった。1950年頃の話だ。もっとも、彼の目的は「すうちゃん」というウエイトレス(映画ではキミエ)で、求愛の機会を一度でも増やそうと足繁く通っては、二杯三杯と珈琲をおかわりした。
 クラシックの流れるほの暗い喫茶店よりも、チェーンのオープンカフェが好まれるこの時代だ。フランソアのシーンは当然セットなのだろうと、監督がしたためていた撮影日誌に目を通してみて驚いた。どっこいロケーションだったのである。しかも、店の様子は半世紀前と少しも変わらなかったというではないか。
 フランソアは1934年に社会主義者だった立野正一によって建てられ、現在は国の登録有形文化財に指定されている。豪華客船を模したようなインテリアは、イタリア人留学生の発案なのだとか。生涯続く殿山の恋の始まりを描く大事な場面が現地で撮影できるとあって、監督も一際丹誠を込めたのだろう。印象深い仕上がりになっている。
 ただ、その日誌を読んでいて、ひとつ気になったことがある。市街地のロケハンをしても、京都らしい瓦屋根のイメージに適う場所が見つからず、骨が折れたらしい。古都が未来も映画都市であり続けるためには、点在する上質な映画館と銀幕に投影するにふさわしい景観の保全が不可欠なのだと連載の最後に教えられた気がした。

一息つく空間

南野優子

建築家(設計事務所勤務)
大阪

においのある生活

くたびれて家に帰ってきた夜、なんでもない自宅のにおいにほっとした。居間には、魚を焼いたと思われるにおいがうっすらと残っているし、お風呂場をのぞくと石けんのにおいがたちこめている。寝室の布団には、眠気をさそう幸せなにおいがしみ込んでいる。
 心配事があったり、忙しかったりすると、身の回りのことを認識する感覚がにぶくなってしまう。そんなとき、かぎ慣れたにおいに出くわすとほっとすることがある。慣れ親しんだにおいには日々の緊張をふっと解放してくれる機能があるようだ。また、慣れないにおいには思いのほか緊張してしまうこともあるし、なつかしいにおいに出会うとその時の記憶が思い出されたりすることもある。
 そんなことを意識しながら過ごしていると、毎日の生活はいろいろなにおいで彩られていることに気づかされる。朝は家族がいれるコーヒーのにおいで目をさます。家の外に出れば、冷たくてちょっとしめった空気のにおいで、その日の天候を判断する。一息いれるためにアールグレーの紅茶をいれれば、そのにおいが広がって休憩するのに最適な空間ができあがる。においも空間をつくる大事な要素の一つなのだと再確認する。
 私たちはいろいろな感覚をつかって空間を認識している。その多くは視覚情報として目から入ってくるものだけども、音やにおい、手触りなんかにも注目してみると、日常の当たり前だとおもっている空間が、思いのほか色々な要素からなりたっているのだと気づいたりする。そして、その時の自分の状況や体調などによって、どの要素を認識するかがかわったりもする。毎日同じ空間にいるようでも、毎日なにかが違う。日常生活は奥が深い。

「あと少し」までどれくらい?

加藤悠介

豊田高専建築学科助教
愛知県豊田市
加藤(悠)研究室
豊田工業高等専門学校 建築学科

「あと少し」からが結構長い

 豊田高専では卒業研究として、論文か設計かを選ぶ。論文の場合、調査日程の管理や分析方法について定期的に指示し、学生がコツコツと進めるのを見守るだけなので、教員としては締め切りさえ忘れなければ大丈夫である(たぶん)。
 怖いのが設計である。12月に入ると進捗状況がやたらと心配になる。おい、スタディはしているのか。ちゃんと2月には完成するよな。それより12月終わりに中間提出があるぞ、という具合に。
 毎年、卒業設計に冷や冷やするのは、「あと少し」という時間の捉え方が私と学生で随分違っているからだと思う。
 私の経験は、完成まで「あと少し」という時点から本当の完成までは、予想した時間の3倍かかることを教えてくれる。結構長いのだ。例えば、あと3日間で完成するなと思っていると、結局完成まで9日かかる。しかし、学生にこのことを話しても伝わらない場合が多い。
 実は、この「あと少し」から先の時間をどれだけ丁寧に扱うかが設計作品の奥行きを大きく左右するのだと私は見ている。「あと少し」となってからようやく自分がつくりたかったものの意味がわかってくるからだ。ここから、いろいろな場面の細かな描き込みや模型の細部の作り込みが始まる。これは意味がわかっていないと進められない作業である。これがあることで、作品を見る者は建物で人々が過ごす風景を生き生きと想像することができる。そういう作品はやはり印象に残りやすい。
 卒業設計の学生には、「あと少し」が前倒しになるような進め方をしてほしい。ただし、問題もある。この「あと少し」という感覚は卒業設計を経てはじめてわかるものかもしれないということ、そして、その感覚がいつやってくるかは計算できないことである。あれ、アドバイスにならないぞ。結局、私は何が言いたかったのだろうか。私にもう少し早く「あと少し」が来てくれれば・・・ まあ、学生にはがんばれとだけ小さな声で言おう。

 

浅海恵美子/白滝素子

カフェオーナー、美術館のもぎり/お抱え料理人
大阪空堀
Books & Cafe LOW

無常ということ

「ただひとつ言えることはこの世は無常ということ。無情やないよ。無常。すべてのことは移り変わる。変わらないものはなにひとつない。ひとの気持ちもそう。」ある日のLOWでのお客様の言葉。それにしても、これはこのごろずっと私が考えていたこと。
 小さいころは人が死なねばならない存在だということが許せなかった。でも今は解っている。
 この世のすべてはいずれ消える運命だから美しい。人の気持ちもいつか変わるけど、だからといってその瞬間が嘘だったことではない。
 不思議だが、これが分かるようになったのは何事も他人のせいにせず自分に正直に生きるようになった頃からだ。自分を騙しているうちは何も見えない。
 
 さて、店という所は毎日出会って別れての繰り返し。人間関係の移り変りも激しいので、人生の早回しのようなところがある。
 LOWを始めて3年経つけど、店がなければ知り合うこともなかった魅力的な人が、次々現れては消えていく。まさに諸行無常だ。
 人間が出来ていない私には課題がいっぱいある。
 新しい刺激に目が眩んで大切なものを見失わないこと、でも馴れ合いには甘んじずいつも初めての出会いに心をオープンにすることetc.
 いつだって生きてくことは、次の瞬間、人生を変える出会いそして別れがあるか分からない予測不能な面白さに満ちている。今年も色々あったけど楽しかった!
 さて、来年はどんなことが起こりどんな人に出会えるだろう?
 
 最後に。このコラム、毎回締切という悪魔に苦しめられながらもとても楽しかったです。素人の私たちにこういう機会をくださって本当に感謝しています。そして、稚拙な文を読んでくださった皆様、ありがとうございました。

(浅海恵美子)

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