第10回、10月号の内容は
豊田高専建築学科助教、加藤悠介の「街中の居場所をつくるぞ」
カフェオーナー、浅海恵美子/白滝素子の「アートの時代」
大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「陰獣 ~祇園白川巽橋~」
建築家、南野優子の「月見の茶会」
4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!
仮オープンしたパブリカ(グリーンマップのワークショップで使用中)
豊田高専建築学科助教
愛知県豊田市
加藤(悠)研究室
豊田工業高等専門学校 建築学科
いま、いろいろな都市で、中心市街地の活性化や地域コミュニティの再生などを目指して街中に居場所をつくる活動が起きている。昔そこにあった生活や人とのつながりを取り戻し、さらにそれが持続し、地域に広がるためのきっかけの場として居場所がつくられる。前回のコラムで触れた大型ショッピングモールのアンチテーゼとしてもみることができる。誰かに用意された居心地よさではなく、市民の自発性による生き生きとした場所。そんな場所が街のあちこちに見られるようになった。
豊田市でもそれは生まれようとしている。駅前の商店街にある空き店舗の1階(約60㎡)を、「パブリカ」という名前の地域住民や商店街の利用者のためのくつろぎの場所にするのだ。ありがたいことに、私の研究室もその活動に参加させていただくこととなった。主に4学年のゼミ生が内装計画で関わる予定だ。学生にとって社会とつながる経験は将来に必ず活きるので、積極的に取り組んでほしいと思う。
現在のパブリカは、身体障害者用トイレなどの最低限の設備があるだけの仮オープンという形をとっている。これから、半年ほどかけて(来年の3月ぐらいまで)、商店主や商店街の利用客、近くで働く人、近くの学校に通う子どもなど、そこを使うだろう人たちとのワークショップを行い、内装をデザインしていく。いろいろな人の声により編まれた場所はどのような形になるのだろうか、半年後が楽しみである。とにかく、敷居が低く、誰でも入りやすいオープンな場所を商店街につくれればと思う。
この小さな場所は時間をかけてゆっくりとつくるので、次回のレポートでは活動の進捗状況、あるいは気になったことなどをレポートできると思う。
カフェオーナー、美術館のもぎり/お抱え料理人
大阪空堀
Books & Cafe LOW
LOWのある空堀では毎年秋に「からほりまちアート」が行なわれます。第9回の今年は10月24日(土)25日(日)の二日間。古い町並のあちこちに作品が出現します。普段は静かな空堀もこの時ばかりは人であふれかえり、LOWもたえず満席という、年に一度のお祭り状態です。
このイベントの「アート表現部門」では、地域の方のご厚意で開放していただいた、民家、商店街、石段の路地などが作品の展示スペースとなります。空堀の町はそれだけで十分に雰囲気がありますから、これはもう使いようによっては素晴らしい効果をあげることができるはず。おおげさに言えば直島のアート作品に迫ることも可能かもしれません。今の時代、作品とスペースの関係まで含めてアートにすることが大きな意味を持ってきているので、たった2日間とはいえ自分の作品を空堀の町とコラボレーションすることはアーティストを目指す若い人にとって勉強になることでしょう。またそのあたりを分かっている意識の高い人がたくさん参加してくれることが「からほりまちアート」をいいものにしていくためのキモなんでしょうね。
さて、私と白滝さんは高校の美術部のときの友達です。LOWには美術系の本も多く置いてありお客様もそういうのがお好きな方が集まって来られます。前からお店で絵のイベントをしたいなあと考えていたのですが、この8月に「LOW」というテーマで展覧会をしました。常連のお客様にお声をおかけして作品を出していただきましたが、どれも「LOW」のために描いてくださったと思うと感無量。こういうのって嬉しいものですね。
2回目はまちアートにぶつけてやります。今回のテーマは「ボウイ」(笑)。まちアートの時、LOWにはボウイがたくさん飾られているはずです。「からほりまちアート」に来られたときにはちょっと覗いてみてくださいね。。
(浅海恵美子)
伝統的建造物群保存地区指定、柳の揺れる祇園白川界隈
大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ
京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ
最近巷では京都を魔界都市として観光するのが流行りだそうな。そういうスピリチュアルな話にとんと疎い僕は、やれ陰陽師だ玄武だ怨霊だなどと言われても、予備知識が決定的に不足しているせいで、いまいち話についていけない。ただ、薄暗い川沿いに揺れる柳越しにいわくありげな芸妓が歩いてくる姿を見せられると、「こりゃ、何やら薄気味の悪いことが起こりそうだ」とわりあい簡単に怖気づいてしまう。最近試写で観る機会のあった『陰獣』(2008年、バーベット・シュローダー監督)のオープニングがまさにそんな場面だった。江戸川乱歩のベストに選ぶ人も多い1928年の小説を下敷きに、文字通り日仏の国境を越えて撮影されたこの作品。京都を舞台に日仏英語が乱れ飛び、妖艶で謎めいた乱歩の官能世界が展開される。
時代が現代に置き換えられ、謎解き役の探偵作家寒川がフランスの売れっ子推理作家になるなど、大枠は残しながらも設定が原作から大きく変更されている。小説では、物語内に登場する作家大江春泥の作品名が乱歩自身の作品名をもじったものになるなど、いわゆるメタ的な構成が取られているのだが、この映画では、大江の作品が映画化されたものをフランス人の作家が大学の集中講義で学生に見せるという映画的な入れ子構造を採用しているあたり、その手があったかと唸らせるものがある。芸妓が石橋稜演じるヤクザに裸で宙吊りにされるという見せ場があるが、相次ぐどんでん返しで観客をも最後まで宙吊りにしてしまう脚本も鮮やかだ。色使いが絶妙の絢爛な映像だなと思ったら、撮影監督はイタリアの傑作ホラー『サスペリア』を撮ったルチャーノ・トヴォリ。なるほどと頷いた。
『陰獣』はJR京都駅ビル「駅ビルシネマ」で開催中の姉妹都市映画祭で16日から公開される他、大阪ではシネ・ヌーヴォーで31日に封切られる。祇園をそぞろ歩いた後、駅ビルシネマのスクリーンで芸妓のサスペンスを観るというのもオツなものだ。
帰途につきながらもう一度満月を眺める
建築家(設計事務所勤務)
大阪
秋の満月の夜、月見の茶会に出かけた。暗い境内の中を進むとほのかな灯りが見える。玄関を上がると、ぽつぽつと置かれた行灯が廊下をほんのり照らしている。そのまま進むと待ち合いの間から、竹の中からもれる光の中でかぐや姫をイメージした白打掛が飾られているのが見える。満月が見える渡り廊下を歩きながら、茶室に進む。部屋には青竹の器にすすきが飾られている。月見にちなんだうさぎの形をしたお菓子とお茶をいただく。手作りのお土産をいただいて、その夜は帰途についた。
茶道については正直分からないことも多いのだが、亭主のもてなしのこころが隅々から感じられる夜だった。それは、招待状を受け取った時から始まるパフォーマンスに参加するような感覚でもあった。招待うけ、その日に来ていく服や髪型を季節や時間やテーマに沿って考えるながらその茶会を心待ちにする。茶会が行われる場所に向かう間に月を眺めながら気持ちが高められる。そして亭主のもてなしを楽しみながら、客としてのふるまいを通して亭主の演出にこたえる。こころあたたまる気持ちになりパフォーマンスは幕を閉じる。
お茶の歴史をひも解いてみると、お茶を通じて人があつまるようになり、精神的な茶の世界を生み出され、さらには哲学的な思考や審美性が加えられてわび茶道が大成されたとある。きちんとした作法をみにつけて、さらに深い精神・哲学的世界をのぞくことができたらすばらしいことと思うけれど、ひとまずは表面的にでも感じたことを普段の生活に応用してみたい。もてなしのこころのエッセンスのようなもの取り入れるだけで日常的なことでちょっとしたパフォーマンスを楽しむことができそうだ。
先人たちが築いてきた生活文化の結晶のようなものから現代の生活にいかせることははかり知れない。そしてその現代のなかから新しく生まれたものが未来にとっての文化になっていくのだろうなあと思いをはせてみる。
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