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スタジオOJMMが企画編集する連載コラム、7年目となる2009年は、「建築ノオト2009」(全12回)。

第4回、4月号の内容は

大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「心が躍る祇園で踊る ~祇園会館~」
建築家、南野優子の「借景の応用」
豊田高専建築学科助教、加藤悠介の「3月は」
カフェオーナー、浅海恵美子/白滝素子の「ロウという名前」

4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!

この京都らしいタイル画が目印。会館が旧字体なのもよろし。

野村雅夫(MASAO)

大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ
京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ

心が躍る祇園で踊る ~祇園会館~

 開館は1958年。御年は51歳。先月閉館を取り上げた東宝公楽と並ぶ歴史と500席に及ぶ座席数と巨大な銀幕を備えた堂々たる風格が感じられる。円堂政嘉氏が設計した祇園会館が生粋の映画館ではないのは、場内に一歩入るとすぐにわかる。幕前に、かなり広い舞台がせり出しているのだ。下手には本花道まである。ならば歌舞伎の劇場だったかというとそうではなく、多目的な貸し館としてスタートした。11月には今も芸子・舞妓が舞う祇園踊りの舞台となり、劇場はそのキャパシティーの幅広さを証明してくれる。

 映画文化への貢献ということで見逃せないのは、祇園会館が京都映画祭のメイン会場として利用されてきたことであろう。初めての劇映画が京都で撮影されてから百年という大きな節目に開催された昨年の第6回においても、オープニングセレモニーからゲストトークまで、上映だけでなくイベントにも対応できる劇場として重宝され、客席はファンでごった返した。僕も『昭和残侠伝 死んで貰います』で高倉健の侠気に痛み入り、ゲストの富司純子の美貌に感じ入った。これからは数年ごとなんて言わずに、ぜひ毎年やって京都映画界の興隆に一役買ってほしいところだ。

 八坂神社前という京都らしさ抜群のシチュエーション。界隈の景色として親しまれているファサードのタイル画。昔サイズで少々肩身狭くも郷愁たっぷりで情緒溢れるシート。どれをとっても、祇園会館は唯一無二である。昔は当たり前だった、2本立て上映入れ替えなし、座席指定なしで飲食物持ち込み自由という所謂2番館のスタイルも、僕の知っている限りでは今や京都でここだけである。ラインナップはどれもDVD化されたものばかりではあるが、ウェブのクーポンを使えばいつでも千円で鑑賞できるのだから、実質1本500円。新作レンタルと変わらない。一流技師の上映を由緒正しき場所で鑑賞するには安すぎるくらいだ。僕もせいぜい贔屓にしてこの環境を守っていきたいものだ。

河井寛次郎記念館にて

南野優子

建築家(設計事務所勤務)
大阪

借景の応用

 窓から緑のある風景が見えたらいいなあ、とよく思う。それは自分の部屋であったり、オフィスであったり、レストランであったり様々な場所で思うことである。部屋の中にいる時、窓から見える景色はその空間にとってとても大事な要素である。例えば、前面が公園などで眺望が開けていたら気持ちがいい。オフィス街でも建物の前の街路樹が窓から見えたりしたらそれだけで気持ちがよいものである。また、少々建て込んだ住宅街でも、効果的に植栽を配置すれば、窓からの眺めが得られるのと同時に近隣の住宅と緩やかな目隠しとしても機能する。 このように、建築を考える上で植栽や既存の樹木などできるだけ外部の環境を効果的に取り込んだ計画をすることは、気持ちのいい空間をつくる上で重要なことである。しかし建物が林立した街中では、外部環境にまったく緑がない場合も少なくはない。間近に隣のたてものが迫っていることもあるかもしれない。
 それならばいっそのこと窓辺に鉢植えでもおいて外部の樹木のように見立ててしまうのも一つの手であろう。借景は庭園外の山や樹木等を庭園内の風景に背景として取り込む手法であるが、この場合は前景である鉢植えを風景の背景として取り出すことによって空間に奥行き感をもたせられるのではないかというアイデアである。鉢植えにぐっと近づいて外を眺めてみればそんな風にみえてこなくもない。遠近感を利用して、ちょっとした目の錯覚を楽しんでみる。窓から緑のある風景が見えなくても、小さな緑を窓辺に置いたりすることで、空間が飛躍的に気持ち良くなる一例だ。

私のあこがれは、東野高等学校(C.アレグザンダー設計)の講堂

加藤悠介

豊田高専建築学科助教
愛知県豊田市
加藤(悠)研究室
豊田工業高等専門学校 建築学科

3月は

 3月はなんといっても卒業式。
 先日、豊田高専で2回目の卒業式に出席した。教員席からは5年生の横顔が眺められる。この学生は設計製図の授業をよくさぼったけどプレゼン図面はよく仕上げてきたなとか、この学生にはインターンシップのとき受け入れ先で問題を起こして泣かされたなとか(インターンシップでも単位が出るので教員が現場でしっかり勉強しているのかを確認しに行くのである)、とりとめのないことをぼんやりと思い出しながら別れを惜しんだ。私は静かに流れていく時間を共有する、このような式が割と好きである。(ただ、今年は日本中が盛り上がったWBCの決勝戦と式が重なり、一部の学生はそわそわして壇上からの祝詞をあまり聞いていなかったようだけど)
 しかし、卒業式にひとつ不満ももっている。それは場所について。豊田高専では校内の体育館で行うことが通例である。一方私の在籍した大学では大阪中央公会堂で卒業式を行った。学生の年齢や数などから高専と大学を単純に比較することはできないけれど、これから未知の社会に入ろうとする決意に応えるには、やはり厳かな、式用の空間が望ましいと思う。
 確かに、体育館はどんな用途にも適うユニバーサルな空間であり、そのしつらえ方次第ではとても立派な舞台にもなるだろう。しかし、式で得る非日常の特別な記憶は、日常のありふれた多くの記憶の中に埋もれてしまう可能性がある。大人になってから探すのが大変そうだ。学生時代を振り返ってターニングポイントとなる非日常の記憶をいきいきと思い出すには、それが生まれた場所の個性がかなりの手がかりになると思う。場所と記憶のマッチングが大切なのではないだろうか。
 豊田高専でもそのような場所で卒業式を行いたい。できればキャンパス内に小さな講堂があるとさらにいい。日常に隣りあう非日常の場所。近づきがたいけど魅力的な場所。腫れ物に触るような場所。夢のような話だけど。

 

浅海恵美子/白滝素子

カフェオーナー、美術館のもぎり/お抱え料理人
大阪空堀
Books & Cafe LOW

ロウという名前

 あなたは名前を付けられました。順調に人生を歩めるように字画を考えたり、この子にはこういう人になってほしいなど、その名前には生まれたばかりのあなたに託された誰かの想いが込められています。まあ、たいていの場合期待通りにはいかないのですが。それでも名前というものは一種の呪縛であり、けっこうな力を持つ訳です。
 私たちの店はbooks&cafeLOWといいます。ときどきお客様に何故『LOW』と付けたのか聞かれることがあります。そんなとき私は窓の上に飾られた一枚のレコードを指差します。黄昏れにうかぶ男性の横顔。これは1977年、デヴィッド・ボウイ30歳のときに発表された『ロウ』のLPです。 ジャケットのアートワークにはボウイ主演で撮られたニコラス・ローグ監督の作品『地球に落ちてきた男』のワンシーンが使われています。当時ボウイのロス・アンジェルスでの暮らしは、虚飾にまみれ、いつ死んでもおかしくないほどコカインに溺れるという、まさにハリウッド・バビロンを地でいく崖っぷちの状態でした。映画のなかの、孤独をまぎらわすため酒浸りになている宇宙人トーマス・ジェローム・ニュートンは、ボウイそのものでした。 ボウイはニュートンを演じることによって自己を客観視することができ、自分の置かれている闇の中にかすかな光を見出し、退廃的な生活から抜け出す決心をしました。再び人間として生きるため、東西冷戦下のヒリヒリするような緊張感に満ちたベルリンに移り住み、そして作られた実験的な作品が『ロウ』なのです。
 私はいつの時代のボウイも好きですが、特にこのベルリン時代のボウイにシンパシーを感じています。books&cafeLOWの『LOW』はこのアルバムから付けたものです。この『ロウ』という言葉に込められたボウイの想いから、店を続ける力を貰っているような気がします。
(浅海恵美子)

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