第1回、1月号の内容は
建築家、南野優子の「旅の景色から」
豊田高専建築学科助教、加藤悠介の「高専からのぞいてみよう」
カフェオーナー、浅海恵美子/白滝素子の「失われた箱を求めて」
大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「映画都市京都の魅力」
4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!
ローカル電車から見た雪景色
建築家(設計事務所勤務)
大阪
冬休みを使って2泊3日で青森へ旅にでかけた。自宅から目的地まで、飛行機・電車・バス・タクシー・徒歩といろいろな交通手段を使っての移動だ。旅のお目当てが特定の建築を訪れたりする場合は、一般の観光ではあまり訪れない場所であることも多い。そんな時旅の楽しみは、お目当ての建築そのものであるとともに、そこにたどり着くまでに見える風景だったり、地元の生活の光景だったりする。この旅行では、「同じモノをみていても移動手段によって見えてくるモノは全くといって違うんだなあ」と改めて考えさせられることになった。飛行機の中からは地図を見るような感覚で地形や街を見下ろすし、電車の中からは一面に広がる雪景色だったりそこに点在する集落だったりと大きな風景の変化に目がいくし、バスの中からは雪の中に映える色とりどりの建物や雪国独特の屋根の形だったり道行く人の姿が気になったりするし、歩きの場合は自分が歩く道の状態(今回の旅は慣れない雪道を歩くことが多かったので、転ばないように道の状態を必死になって見きわめていた)や建物の細部だとか道行く人の表情や会話の内容だったりする。
建築の仕事は都市スケールから建物単体のデザイン、そしてディテールまでを同時に考えることであり、一つのモノを異なるいくつかのスケールから捉えようとする。それらの要素がそれぞれのスケールで無理なくきれいにデザインできていたら、全体としてバランスよくまとまったものができるのである。また、個別の建物がばらばらなようであっても、まとまった風景をつくり出しているのは都市の持つ包容力なのかもしれない。
ふだんの生活でなんとなく見ている風景も、いろいろなスケールで見たらいろいろな発見があると思うと、また街に出かけたくなる。
研究室から見える風景
豊田高専建築学科助教
愛知県豊田市
加藤(悠)研究室
豊田工業高等専門学校 建築学科
みなさん「高専」をご存じだろうか。一般的な知名度はあまりないが、工学系出身であれば知っている方もいるだろう。
高専は全国に60ほどあり、僕はそのひとつ豊田高専の建築学科で教員をしている。そして、教員になって2年が過ぎようとしている。いくらか慣れ、余裕も出てきたからだと思う、このコラムの依頼を引き受けたとき、高専で教えている立場から建築について語れないだろうかという大胆なことを思いついてしまった。(慣れは本当に怖いと反省しております)
まずは、我が職場、豊田高専の簡単な説明をしたい。豊田高専は1963年に愛知県豊田市に創立され、現在、建築学科を含め5学科が設置されている。ほとんどの高専と同じように都市部から少し離れた場所に立地しており、自動車は生活必需品である。僕は大阪から移り住んで半年後には車を購入せざるを得なかった。
また、建築学科には15歳(1年生)から、20歳(5年生)までの学生が約200名在籍している。わかりやすく言うと、僕は高校生と短大生を相手にしているわけだ。例えば、研究室から見えるグランドでは、放課後になると3年生までの野球部員が甲子園を目指して練習に励む姿がある。2年近く身をおいてみて、このようなこどもと大人の境界にいる学生たちが、専門的な知識を身につけると同時に、ひととしての成長も促されていることが高専のもっともきわだった特徴であると気づき始めた。なので、今後も頻繁に話題にすると思う。(実際、大学とは比べられないほど成長の変化が激しいのにはかなり驚いた。)
この特殊な教育現場についてのコラムを書くことになるが、中心から離れたところから建築をのぞくことで新しく見えてくることもあるだろうし、また具体的な授業内容(設計製図など)も話題にする予定なので、みなさんの学生時代と比較して楽しんでもらえるのではないかと思う。
これから1年間おつきあいよろしくお願いします。
カフェオーナー、美術館のもぎり/お抱え料理人
大阪空堀
Books & Cafe LOW
2009年の年が明けて、空堀の古民家を改装した2階で小さなブックカフェ「LOW」を友人と始めて、ちょうど2年を迎えます。
それ以前に住居のそばで営んでいたカフェ、遡って気ままな修行?時代のカフェ。
家族を持って、自分だけの個室というものに縁がなくなってから、四方を壁と窓にかこまれた部屋的な空間=箱を求めて今に至ったという気がします。
原点ともいえる最初のカフェは古本屋併設の、2階に位置する陽の降り注ぐ部屋。一人で厨房に入って眺める客室は、普段お客としての立場からだけでは見えない景観が新鮮で、なにか新しい居場所を見つけたようでもありました。次には、好きな料理作り(現在の副業でもあります)も活かせないかと、日替わりランチを提供できるカフェを開業。そこに、友人(LOWの協同オーナー・浅海さん)の、コレも家族が増えて、行き場をなくした蔵書たちを迎え入れることになりました。でも、場所柄もあってか、ランチを慌しく召し上がっていかれるお客様に、本をゆっくり手に取る時間の余裕はありません。今度は街も空気ものんびりしたこの空堀でと、失われた箱を求めた二人と本の、小さな部屋が誕生しました。
押入れの中、掘りごたつの中、布団の中・・・全てが小さい体ではそれさえ持て余すほどのワンダーランドに、幼い頃は胸をワクワクさせたものですが、その頃の習性の名残りか、今でも小さな空間に、とても愛着を覚えます。また遠い昔の、古いアパートの塀の色や、細かい間取りの隅々まで、驚くほど鮮明に覚えているのが、部屋や建物に纏わることだったりするのです。
この小さな店が、訪れてくださるお客様達にとっても、愛着と記憶に残る空間になればと願っています。
この大それた仕事(もちろんこのコラム)を訳も分からずお受けした今となっては、「LOW」から何か発信できればと、開き直って楽しんでいきたいと思っています。
(白滝素子)
京都が生んだ名監督マキノ親子に挟まれてご満悦の筆者
大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ
京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ
エフエム京都αステーション
京都に住んで半年余り。芸術大国イタリアの、日本では知られざる文化的お宝を紹介する大阪ドーナッツクラブを主宰している僕が、どうして住処に京都を選んだのか。こんな質問がよく舞い込んでくる。もちろん、エフエム京都α-STATIONでDJをしているということも大きな理由ではあるけれど、それは決して主たるものではない。滋賀、北大阪、ローマ、再び北大阪と移り住んできた僕にとって、京都は「ここに住みたい!」と自分の意志でチョイスした初めての街だ。つまりは、通勤とか通学とかいった日常の移動の便に重きを置いて選んだのではなく、この古都が持つ魅力に幻惑され、ついにはするすると引き寄せられたわけである。
ここには日本の地方都市が高度成長という美名の下にないがしろにして置き去りにしてきた都市の風格がある。そして、サイズもまた優れて人間的だ。三方を山に囲まれた地理的条件も手伝って、京都はむやみに膨張することがなかった。おかげで、交通機関を利用せずとも、自転車一台あればどこでも気軽に足を運べる身体寸法にジャスト・フィットした規模を維持している。
歴史・文化・産業・自然、どれをとっても胸を張れる京都にあって、僕の興味を惹きつけてやまないのは、実は映画である。日本劇映画発祥の地という伝統を背景に、京都は今も映画と深い関わりを持っている。学生時代から映画のことばかり考え、自分でも映画を撮影する僕にとって、これは京都を寝床にする決定的な理由であった。そこでこのコラムでは、前半で大手シネコンに負けじと奮闘を続けるミニシアターを、後半でこの街を舞台とした映画作品のロケ地を訪ね、読者の皆さんにご紹介していこうと思う。全12回の連載を通して、映画都市京都の今の魅力が浮かび上がってくればしめたものだ。2009年師走には、「ええがな京都」と再認識していただけるだろうから。僕としては取材時の足となる自転車のメンテにいっそう気を配る1年になりそうだ。
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