第4回、8月号の内容は
大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「かわらからわかるから」
美術家・現在上海にて新入社員、安福真紀子の「夏の夜」
絵描き、鈴木啓文の「夏日にも白い龍が」
インテリアコーディネーター、ユイコの「夏の午後の独り言」
4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!
あなたはこの映像に何を見ますか?
大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ、大学非常勤講師
大阪、京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ
FM京都αステーション
昔ながらの街並み、などといった表現で示される、その街を特徴づけるような要素とは何だろう? 路面や並木、辻といった道路にまつわる要素。素材や色、窓といった壁にまつわる要素。そしてもうひとつ。眼もとのズームを少し引かないと見えてこないが、実は屋根も大事なプロフィールのひとつである。
6月にも触れた、物語映画の導入と結末に頻出するエスタブリッシング・ショット。多くの場合、超ロングという画角の幅も奥行きもたっぷりとした映像が必要となるため、カメラはたいてい高所へ設置される。自ずと画面を占めるのは、物語世界となる街の屋根である。世界を広く見渡せば、地域や時代によって屋根の材質や形状も様々だろう。ただし、こと日本とイタリアに限って言えば、基本的には瓦を基調とした屋根が多いように思う。瓦でふいた屋根が織りなす統一感。それでも目を凝らすと浮かび上がる家ごとの個性。たとえば京都だと、1964年に開業した京都タワーは、当時多く残っていた町屋の瓦を海のない古都の波に見立て、町を見守る灯台をコンセプトに設計されたことがつとに有名だ。建築から40年余りの時を経た今、タワーからのエスタブリッシング・ショットが京都を舞台とした映画でどれほどの効果を発揮できるのか、ほとんど登ったことがない僕には知る由もないが、想像するだに悲しい想いに駆られてしまうのは確かだ。
さて、そんな瓦が印象的なフィルムとして僕が思い浮かべるのは、「詩としての映像」を目指した実験的なドキュメンタリーである『西陣』(松本俊夫、1961年)や、さまざまな監督やスタッフ・俳優がその腕を競い合った金田一耕助シリーズである。こうした作品では、往々にして単なる描写ではなく、観客には瓦がメタフォリカルに見えてくるような仕掛けが施されている。登場する人間たちを押しつぶすような「おもし」に見えたり、ぬめぬめとした蛇の鱗に見えたり。監督の意図が瓦からわかるからおもしろい。
やっぱり夏といえば夜だろう。気温は高いものの、日が落ちるとずっと過ごしやすくなる。上海の夏の夜の風物詩と思われるものを挙げて見よう。
(1)シャツをまくり上げて、お腹をだして歩くおじさんたち。外で集まって、ゲームしたり、タバコを吸ったりしている。
(2)歩道や公園でイスを持ってきて寝る男性たち。けっして浮浪者ではない。涼しいからだそう。蚊にくわれないのか心配してしまう。この風景は下町になればなるほど、よく見られる。ちなみに歩道が、そこに沿って建つ家の住人の居間兼台所兼洗面所となっていたりする。ご飯の下ごしらえ、調理、食事、あるいは、歯磨き、洗濯する様子が見られる。ゴミはそのまま捨てられ、交差点に洗濯ものが干されたりする。生きていくことに逞しいなと思う反面、問題は、公共スペースが汚れることと本来の目的が機能しないことだろう。
(3)夕食後、パジャマで散歩したり、外でおしゃべりしている。そのまま、夜10時まで開いているスーパーにちょっとした買い物がてら涼みにきたりしている。最初は、ずいぶんびっくりした。
(4)広場で社交ダンス。天気の良い夜の1時間ほど、中国の懐メロみたいなのをカセットでかけて、踊りたい人が、ワルツとか踊っている。なかなか、みんな上手だ。観客も多い。盆踊りみたいな雰囲気だけど、社交ダンスというのが、上海人らしい。
追記: オリンピックの開会式が終わった。とにかく無事に終わってよかった。開催にむけての中国の緊張はなみなみならぬもので、外国人の入国、ビザ関連から、ごく普通の日常生活にまで、ありとあらゆる影響があった。一般市民も正直ほっとしたのではないだろうか。私が開会式を鑑賞したレストランには、西安出身の30人ほどの若者グループがいて「中国、加油(がんばれ)!」というエールと乾杯がさかんに行われ、ずいぶん盛り上がる夜となった。
その娘は龍の舞う町からやってきた。
中崎と呼ばれる界隈の路地中、屋根ごしに唐突に背の高い銀杏がみえる。路地の入り口に白龍大神と書いてある幟がある。
銀杏の幹にお地蔵さんに並んで、鳥居と無人のちいさな祠がある。鳥居には「楠姫大明神 / 白龍大神 / 八大龍王」とある。
ちいさいビルのオモテ通りからはみえないが、幟に導かれて入る路地沿いにドアがあり、窓から鳥居とその奥へつづく路地が窓から見渡せる、もとは倉庫につかわれていたらしい部屋に、その娘は店を作ることにした。
部屋を契約した日にちょうど、神さん地蔵さんの祠があたらしくなったお祝いをしていた。
祠は近所のお風呂屋さんがお世話している。店のドア真向かいに地蔵盆にはちゃんと提灯も並ぶ。
やがて自転車も押して歩くのがやっとな路地の北側には、薔薇や紫陽花や西瓜(!)の生る庭を挟んで、手描きTシャツ屋雑貨屋ワンピース屋甘味処が並ぶ。南側には銀杏の後に、冬には赤い実のなるみどりがつづく。
オモテ通りから路地を覗いても、ドアを開けっ放していないと店があると思われないとその娘はゆっていたが、4年経ってこの夏、お客さんにドアを開けてもらうことにした。この猛暑のなか訪ねてくれるかたから涼しいとゆってもらえてうれしいと、それだけのことでも店は成長している。
中崎が戦禍をまぬがれたのは点在するお地蔵さんに囲まれたなかだから、とゆう話を聞く。ならば古くから家屋を護るやら財を護るやらゆわれる神さんも並ぶここは在る意味無敵なのか。
なぜその娘がここに至ったか、毎朝その娘が通う喫茶店の店長がゆうように、それはただそうなるようになっているのか。故郷のくんちで舞う白い龍が、たったひとりで大阪に行ったその娘を護ろうと仲間に耳打ちしたとしたら出来すぎか。
インテリアコーディネーター
(インテリア関連メーカーショールーム勤務)
大阪
とうもろこしの皮をむいたら、驚くばかりに粒が整列していた。瑞々しく健康的な、美しい粒だった。こんなとうもろこしを見ると、いつも決まって思い出すエピソードがある。ぎっしり隙間なく整列した歯の話。
自慢ではないが、私は歯並びが良い。2歳違いの兄とは、幼い頃から全く顔が似ていない。大人になるにつれ、カップルに間違われる始末。そんな兄妹が小学生の頃、近所の友人とラーメンを食べに行ったことがある。ずっと無言だった店主、私たちが食べ始めてからポツリと一言。「自分ら2人が兄妹で、この子は友達か?」私は驚いた。今まであまり当てられたことがなかったのに。「何で分かったん?」と問い返すと、「歯並びがよく似てる」なるほど、と無口な店主の観察力に子供ながらに感心した出来事だった。
同じく、ぎっしり整列しているものを見るのが好きだ。図書館の本棚、スーパーの陳列、さとうきび畑、…。これまで見た中で最も圧倒されたのは、香港のマンション群だった。空高く伸びた建物という建物には、数え切れないくらいぎっしりと小さな窓が並んでいた。そして夜景。息を呑むばかりに煌めく光の群。灯りが点ることで、昼と夜とでここまで街の雰囲気が変わるなんて。かのエジソンに感謝したい。あまりにも非日常的な光景は、例えようもなく印象的だった。
大好きだった海外旅行も、ここしばらくは行けていない。近頃の生活でぎっしり感を味わったものと言えば、52枚パックの紙おむつ。とうもろこしが好きな娘のために、今日も離乳食作りに余念がない。最近可愛らしい歯が2本生えてきた。パパにそっくり顔の娘だけれど、歯並びくらいはママに似てみない?と語りかけたくもなる、平和にして平凡な夏の午後だった。
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