第3回、7月号の内容は
インテリアコーディネーター、ユイコの「香りとイメージ」
大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「容赦ない歴史の渦の中で ~ヴォルテッラの場合~」
美術家・現在上海にて新入社員、安福真紀子の「雨の降る夜に」
絵描き、鈴木啓文の「打ち水が坂を流れる」
4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!
インテリアコーディネーター
(インテリア関連メーカーショールーム勤務)
大阪
「ああ日本の夏」という短いフレーズで、連想する香りがある。某メーカーのCMは、幼い頃の夏の記憶を呼び起こしてくれる。大人になってからは蚊のいるような所に出掛ける機会も少なくなったけれど、今でも懐かしく思い出すあの香り。夏の思い出は他にも、大好きだった線香花火、お風呂上りのベビーパウダー、夏だけ登場した竹や藺草のアイテム達、いつも心地良い香りに包まれていた。
人間の五感のうち、最も原始的と言われているのが嗅覚である。他の感覚のように「考える」という過程を経ずして、本能や感情に直接訴える。近頃では香りがもたらす直感的な誘引力を利用して、有名ブランドの店舗戦略にも香りが導入されてきた。高級車や高級時計といったクラス感を売りにしたブランドでは、印象的かつ落ち着いた香りを使用している、というのがその例である。インテリアのように視覚的にとらえるもの以上に香りというものは、トレンドに左右されにくく、雑誌でもインターネットでもない店舗という「空間」に適している。思わず足を踏み入れたくなるか、受け付けないかは、顧客次第。ブランドイメージにも少なからず影響するだろう。
カラーや香り、インテリアイメージの調和した空間は心地良い。そんな考えからアロマに関心を持ち、アロマテラピーアドバイザーなる資格を取得してから早3年。アロマとインテリアをテーマにしたセミナーも行なった。「香り」という言葉では表現しにくいものを経験的に思い出せるというのは、とても幸せなことのように思う。そこに楽しい記憶と美しい情景も重ねつつ、情緒豊かな人生を送っていきたい。
かく言う僕も、歴史の圧倒的な威圧感にくらくらきた
大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ、大学非常勤講師
大阪、京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ
FM京都αステーション
フィレンツェを擁するトスカーナ州。ピサのほど近くに、ヴォルテッラという丘上都市がある。人口は1万人を少し超えるくらい。小さいながらも、歴史遺産と石細工、さらには奥行きのある雄大な景色が各国の観光客を惹きつける。
しかし、映画ファンには、この街はヴィスコンティ監督『熊座の淡き星影』(1965年)の舞台として記憶されている。物語の軸となるのは、姉弟間の近親相姦。ヴィスコンティを語る上で欠かせないデカダンスや滅びの美学といったテーマを、僕たちはこのフィルムにも見て取ることができる。主人公の新妻は、ヴォルテッラの有力貴族の生まれ。NYでの新生活を控え、米国人の夫を連れて故郷に戻るやいなや、清算できない複雑でいびつな家族の過去にからめとられていく。この複雑な役柄をその妖艶な瞳で見事に演じきるのは、カルディナーレである。
「こんな大邸宅とは驚いた。博物館みたいに部屋がいくつもあるから、案内が必要だね」というのは、妻の豪奢な実家を目の当たりにしての夫の感想である。実際のところ、迷宮のようなその屋敷は、主である家族の関係同様に入り組んでいて、威圧感たっぷりの様相が観客の息をも詰まらせてしまう。その意味で、この建築物は映画の「主役」とも言えるのだが、それだけで監督が舞台にヴォルテッラを選んだ説明にはならない。
エトルリア、ローマ、そして中世。この街には各時代の建築物が今もなおそこかしこに点在していて、想像力をたくましくすればするほど、現代の訪問者を眩暈が襲う。ましてや、それまで何も知らされずにやってきたくだんの夫なら尚更だ。彼が妻の秘密を義父からほのめかされるシーンがある。場所はエトルリア博物館。異邦人たる夫は、映像通り街の気の遠くなる過去に囲まれつつ、自分が望むともなく足を踏み入れた家族の過去を辿らされる。ヴィスコンティがこの地を「キャスティング」した真意は、この場面に表面化しているように僕は思う。
1週間の日本一時帰国を経て、夜の上海に戻ってきた。生暖かい湿った空気にクチナシの匂いがする。浦東国際空港からリニアモーターカーに乗り、着いたところでタクシーを待つ。タクシー乗り場のそばには10代の仲良し女の子二人組が、スーツケースを伴ったわれわれを観察しながら、ハミングしたり、習ったばかりと思われる英語を発音してみたりしていた。外国や外国語に憧れた自身の10代のころを思い出し、ほほえましかった。憧れて現在に至るものの、今の自分は、今度はいつ日本に帰ろうかな~などと考えたりしている。
自宅に戻ると、そんなしみじみした気分がふっとんだ。
家中が、カビ臭でいっぱい。買ったばかりの竹細工の屑篭はカビだらけだ。
そう、上海は、梅雨のまっただ中。しかも我が家の場合、入居後、家中が水浸しになる事件が発生した。上の階の住人の水道管が破裂したのだ。職場に大家さんから電話があって、あわてて帰ってきた。真っ暗な自宅のあちこちにバケツや洗面器が置かれ、懐中電灯の光で、3人の婦人がせっせと床の水を拭き取っていた。不思議な光景であった。2時間後、派手な水漏れは治まり、ブレーカーをドライヤーで乾かして、電気を使うことができるようになった。そのときは、ベットと愛用のノートパソコンが無事だったことで、助かった!と思ったものの、状態は変化しつつ、ちっとも良くなっていない。白い壁や天井に染みのようなカビが増えていくのを不安な面持ちで眺める日々である。いかに私の在宅時間が短いとはいえ、困った話である。壁と天井の塗り替えは、上の階の住人が負担するようだが、とにかくコンクリートが乾燥しないことには、まだ手が付けられない。
上海在住10年もの上司によると「昔は、そういう話をよく聞いた」そうである。下水管が破裂することもあって、これはかなりひどいことになるらしい。想像すらしたくない話だ。コストの削減をしているためだと思うが、こちらの金属製の物は厚みが薄い。また、あっというまに錆びる。そんな部品を使用限度ぎりぎりまで交換しないのだろうと思われる。
とにかく、早く梅雨が開けて、日差しが照りつけてくれるのを願うばかり!
雑貨と喫茶とギャラリーと ひなた (大阪市中央区谷町六丁目)
その長屋は石垣のうえに建っている。
大阪市内、自転車で走ると小高く感じる上町台地の、南北に走る頂きは古くは海岸線だったと小学校で習った。
谷町とゆうだけあり東西方向の裏道にときどき急な坂がある。この坂は江戸時代くらいの地図でも同じL字形をしていた。石垣でつきあたり南に折れてビルの1階ぶんを緩い石段、踊り場で折れて東に1階分を急なスロープでのぼる。
石垣の上だったのかどうかこの付近に、幕末まで観音さんをまつる寺があったらしい。いま坂の上に建つ2階建てとも平屋ともゆえん長屋も、建って100年を越す、それこそかつては芸者さんが住んでいたりもした、らしい。
坂からかぞえて4軒目は長く放置されていたが、もと保育士とゆう若い女性が自ら大改装して店をはじめた。
ちょっとした地震や台風が来ると傍目にははらはらしてしまうが、逆に「100年も建ってるんだから大丈夫ですよ」とゆわれたことがある。たしかにとっぱらった天井のみならず軒先にも覗く剥き出しの梁は力強い。
以後5年、となりにも向かいにも坂の下にもかわいらしいお店ができる。長く地元に住まわれるかたへの配慮か静かな賑わいにあわせてか、坂の石段に沿って手すりがついたり、スロープが自転車を押して通れるくらいに整備される。坂から4軒目の彼女を通じてしか名前を知らなかった「観音坂」との石碑がたつ。
坂のことも長屋のことも、地元のかたはとうにご存知でも、それを伺う耳をもつあたらしいヒトがいなくなれば、いつか潰えてしまう。
古い建物もいまヒトがいてこそ、そこにかがやきをもって建ち続ける。
誰が現在の観音さんかはここでは問わないが、いま長屋にいるひとびとの打ち水が坂を流れていく。育てられた軒先のみどりが、坂の下に沈む夕日にあたり、坂を昇り降りする風に揺れている。
5年前、放置されていた一軒を素人の女手で大改装した顛末はご自身で本にまでして残されている。
それは彼女自身で語るべき別の物語だ。
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