第1回、5月号の内容は
上海にて新入社員の美術家、安福真紀子の「上海ことはじめ」
絵描き、鈴木啓文の「短い宵、路地に幻燈がともる」
インテリアコーディネーター、ユイコの「色とりどりの世界」
大阪ドーナッツクラブ代表、野村雅夫の「街は主役だ! ~銀幕を彩る個性あるランドスケープ~」
4人の執筆者が、それぞれ違った視座から建築周辺の話題を綴るコラム、お楽しみください!
アパート(90年代に建設)の入り口
美術家、現在上海にて新入社員
ドイツから上海へ
デザイン事務所スペクテリー
アート&グラフィック&各種デザイン
ドイツの大学を修了し、美術家として制作活動のかたわら、フリーで、デザインや翻訳の仕事を行ってきた。ドイツ語も不自由しなくなり、友人もたくさんできた。展覧会のチャンスもある。それなのに、いろいろな面で、ドイツの暮らしに少しもの足りなさを感じていた。そのうち住む都市を変えたいなという気持ちが強くなった。それから、さまざまな試行錯誤があり、最終的には、上海のとある会社のデザイン部に就職することになった。初めての就職。中国と中国語の知識はゼロに等しい。新鮮な視点でレポートできればと思う。
上海に到着2日目。日本語のできる中国人スタッフといっしょに物件を見てまわる。最初は、職場の近くにしたほうが良いということで、徒歩にて高層マンション(29階建て)を訪ねる。予想以上に高い。別の物件3つをさらに見る。少し安いが狭くて汚い。次の部屋、肌色股引姿の(若い)男性が出てくる。「彼は、大家さんの息子で、すぐに出るから大丈夫」とスタッフ。すぐといっても明日からなんだけど。土足で、どんどん部屋の中に入っていく。中国の住宅は、靴を脱ぐ場所が、はっきりしていないのだ。しかし、どこも似たり寄ったり。なかなか決めない私に、スタッフは、厳しく言い伝えた。「こんなに決まらなかった日本人は、あなた初めて。明日、絶対決める。ホテルはチェックアウトして、荷物は会社に持ってきて下さい。」
朝、出社してスタッフとバスで別の物件に向かう。住居は、静かな住宅街、緑もある。1階なのが気にならなくもないが、2LDK庭付きという魅力的な物件。入り口の模様入り鉄格子は、古き良き上海のイメージにぴったり。物件は、一目で気に入った。職場からは少し遠いが、なんとかなるだろう。即決して、契約書をかわす。中国では、まず3ヶ月分の家賃と敷金1ヶ月分を現金で前払いする。100元(1500円くらい)が一番大きなお札なので、ものすごい量の札束だ。敷金は、大抵戻ってくるらしい。その後、3ヶ月分ずつ前払い。その日の夜、派出所で住民登録をしてからの入居となった。
ONE PLUS 1 gallery (大阪市北区中崎町)
絵を描いています。
画材は紙に鉛筆で、あるいは布フクロにマーカーで。題材は電車内で知らない人や、街中でなんでもないそのへんの建物などを、その場で見ながら。空想や計画に基づく(まだ)現実にないものではなく、既に目の前にあるものをいちいち切り取ってかきなぞる。人間スキャナー&プリンター?人間インスタントカメラ?
逆にいえばネタには困らない、描く気になりさえすれば。そういう見慣れていても描くことで改めて見つめて現出させる作業。そのなかで、ぽつねんと建っている家や店から息吹を感じることも、なくはない。また描いた時点ではピンとこなくても、絵はすぐ固定された過去となり、のちに変わりゆくさまもより感じる。
ここでは描いた絵についてというより、その建物について言葉でえがこう。
そこは六畳一間が一階と二階にあるだけのちいさな一軒家。二階の窓の外は窓際の鉢植えの他は、路地向かいにある立体駐車場の壁しかみえない。
その壁が日没後、スライドフィルムを投影する幻燈機なり8mm映写機のスクリーンと化したときの興奮を、どう伝えよう。
閉じられたなかで作品に集中させる映写室とは違う。路地とはいえそこは開かれた人道で、町に点在する雑貨店やカフェを巡る若者も、町に住まわれるかたがたも通る。そこに映されるのはギャラリーのなかと同等の無垢な表現で、繁華街での大型モニターのような広告媒体とはしていない。しかも機械音以外は音声のつかない静かな。動く壁画のような。
そんなささやかだけれど奇跡的な(たとえば駐車場のヲッチャンが気前よく受け入れてなければ・そも立体駐車場でなくマンションのベランダだったら)、ことが建物と建物のあいだ、建つところにはまま起きる。ちょうどヒトがそうであるように。
「ぬり絵シリーズ 林静一の世界「儚夢」アグレ編
メタモル出版」より
インテリアコーディネーター
(インテリア関連メーカーショールーム勤務)
大阪
2年前の夏、その趣味は始まった。正しくは20年以上の月日を経て復活した。「ぬり絵」である。その頃から世間では「大人のぬり絵」なるものが流行り出していたけれど、私の場合は当時5歳の姪っ子のぬり絵を見ていたことがきっかけである。色とりどりの鉛筆を前に、どの箇所にどの色を塗るか、心躍る作業には時間も忘れてしまうほどだ。色選びには心情も反映される。楽しい気分の時には自然と明るい色に手が伸びる。配色もメリハリが効いて、とても若々しい絵に仕上がるのだ。「ああ、この楽しい作業、何かに似ている」そうだ、私の仕事はインテリアコーディネーターだったっけ。小さなぬり絵の世界と空間のカラーコーディネートでは規模も仕上がりも全く違うけれど、私の日常の中で「色」に関わるということは、仕事であり趣味である。
子供の頃から、ビーズ細工やドールハウスが大好きだった。ラッピングというと包装紙やリボン、シールを吟味する。洋服選びも時間を惜しまず、気に入らなければ着替える。そんな私に父はこう言った。「お洒落なんぞ将来なんの役にも立たない」けれど時を経て今、あの頃のお洒落心が現在の私を創り、この仕事に役立っているんだ、と思い至る。女31歳、インテリアコーディネーター、1児の母。我が子は間もなく8ヶ月の女の子。娘もいつか洋服だんすをひっくり返して、ああでもない、こうでもないと悩むようになるのだろうか。
私がインテリア業界を選んだ理由のひとつには、「既に女性が活躍している分野で、出産・育児というブランクを置いても頑張り次第で一生続けられる仕事だから」と考えたことが挙げられる。只今育休中。しばし色鉛筆は横に置き、ピンクが9割を占めるベビー服でコーディネート中。私がおばあちゃんになっても、色とりどりの世界を楽しみ続けたい。
僕のフィルム『CREVASSE』では尼崎の港湾地帯を主な舞台とした
大阪ドーナッツクラブ代表、
ラジオDJ、大学非常勤講師
大阪、京都、ローマ
大阪ドーナッツクラブ
FM京都αステーション
映画がスクリーンという平面上に物語世界を浮かび上がらせるとき、実験映画といったごく特殊な場合を除いて、それが実在するものであれ精巧なセットであれ、現実にカメラの前に存在する空間を必要とする。20世紀に急速に発達した映画という表現システムは、よく第七芸術と言い換えられる。これには、伝統的な芸術の大区分である文学、絵画、音楽、舞踏、彫刻、建築の6つに続く7番目の芸術であるという意味と、これら既存の表現手段の各要素を併せ持つ可能性を秘めた総合芸術であるという希望を含めた捉え方が透けて見える。そうである。映画は建築にもその大事な部分を負っているのである。
映画制作において、撮影前に行うロケーションハンティングというのは、脚本の完成前に行うこともある非常に重要な作業行程だ。脚本家によっては、シナリオを執筆するにあたって予め配役を想定して物語を練り上げる「あて書き」という手法を採用することがある。それに倣って言えば、ロケハンは事前に物語の舞台となる街・建築の空間の特性をきっちり想定するための「あて書き」ではないだろうか。僕が指摘したいのは、映画において街や建築というのは立派な登場人物の一員であり、ことによっては主役にもなりうる俳優であるという事実だ。僕もささやかながら映画を撮っているのだが、舞台設定にはキャスティング以上に気を遣う。いや、すべては情景探しから始まるのが実際だ。脳内でテーマを反芻しながら、僕は必ず車に乗り込み、原案と化学反応を起こすランドスケープが網膜に投影されるのを待ち侘びる。これだと確信できる土地に無事出逢えれば、そこで映画作りの暖気運転は終了。あとは勢いよくアクセルを踏み込めばいい。
このコラムでは、街や建築物が主役として重要な役割を果たしている映画作品を紹介する。僕の活動の舞台である日本とイタリアの空間にスポットを当てながら、両国の一風変わった「俳優論」にしていきたい。
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